2011年4月29日金曜日

 ヤマブキ

 
 
 ヤマブキ(山吹)
 バラ科ヤマブキ属の落葉低木。

 しなやかな枝が風に揺れる様子から
 名がつけられたとか。
 
 ヤマブキ属といっても本種のみの一属一種
 多年草みたいだけれども、樹木。

 見てのとおりヤマブキ色の花
 春の季語。

 花言葉は、「気品」「崇高」「待ちかねる」
 待ちかねるとは、待てないということ?

 垣や庭にヤマブキが植えられていると
 主の人柄がしのばれます。

  山吹を やどに植ゑては 見るごとに

          思ひは止まず 恋こそ増され

                    万葉集・大伴家持
 

2011年4月28日木曜日

 「婚前特急」か「GANTS」か?


 映画は大好きでよく観ますが
 時間に余裕のあるなしで、次の3つの観方になります。

 ①観たい映画を観に行く
 ②映画館に行き、複数のなかから気に入ったものを観る
 ③限られた時間で観れるものを観る

 この間ゆっくり映画を観る暇がなかったせいで
 ③のやり方ばかりで3本の映画を観ました。

 筑紫野イオンのワーナー・マイカル・シネマズで
 「漫才ギャング」。

 天神ソラリアシネマで
 「婚前特急」。

 それからJR博多シティのT・ジョイ博多で
 「GANTZ PERFECT ANSWER」。

 ③のやり方なので、たまたまなのですが
 後の2つで吉高由里子さんが出演していました。

 旬なのでしょうね
 テレビドラマ「ラブシャッフル」のときからのファンです。

 震災復興応援のサントリーの最近のCM、多数の芸能人が
 「上を向いて歩こう」(H篇)を歌うやつで、トリをつとめていました。

 彼女は「婚前特急」と「GANTS」で
 まったく対照的な役柄を演じ分けていました。

 前者は、5人の男と同時につきあう(5股)わがままな女で
 後者は、主人公に一途なかわいい女性。

 なのに、前者「婚前特急」の吉高さんのほうが魅力的でした。
 なぜなんでしょうねぇ。

 スコット・フィッツジェラルドは、このような・どちらかというと
 愚かと思える思考パターンをこう表現しています(村上春樹訳)。

 「僕のこの思いはこのクリーンでひきしまって、いくぶん深みを欠き、
 懐疑主義を通して世界とかかわる女性だけに向かっていた。」

 こういう女性に惹かれていると
 結婚後の波乱と不幸が十二分に予想できるわけです。

 それでもそういうふうに遺伝子がプログラムされているとすれば
 そのような人生の方が波乱に富んでいて面白いからかも。

 たしかに「姫と王子は幸せに暮らしましたとさ」
 という筋立てでは、結婚後の人生は退屈かも?
 

2011年4月27日水曜日

 同友会・定期総会


 きのうは福岡県中小企業家同友会の
 今年度・定期総会でした。

 スローガンは
 次代を拓く“全社一丸”の企業づくり~問う、守る、つなぐ~

 一見あたりまえに思えることですが、それをあらためてスローガンに
 しなければならないところが組織運営の難しさ。

 私も会在籍20年の表彰を受けました。
 敬愛する(株)彩の林田達さんと同期入会と知り、びっくり。

 田浦通・新代表理事の話によると
 20年間存続する中小企業の割合は0.3%だとか。

 しかも減少傾向
 中小企業をめぐる情況の厳しさを示す数字です。

 そんななか、同友会で20年もやってこれたのは
 まわりのみなさまのあたたかいご理解・ご支援があったればこそ。

 これからも仲間とともに頑張ろう
 とあらためて決意しました。

 新年度方針等をめぐっては厳しいやりとりもあったものの
 なんとか承認して新年度出航しました。

 来賓でみえていた某役所の課長が大学の同級生で
 旧交をあたためることができたのも嬉しかったです。
 

2011年4月26日火曜日

 労災事故&交通事故&医療事故


 労災事故&交通事故&医療事故?という3重困難な事件が解決しました。
 作業中に交通事故に遭い、診断・治療が遅れ、障害が後遺した事案。

 労災保険は所得の一部と慰謝料等を補償するものではないため
 不足分の損害賠償を求めて雇主、車の所有者らを訴えたものです。

 損害保険と生命保険のちがいをご存じでしょうか?
 生命保険は加入している口数だけ保険金がおります。

 これに対し、損害保険は複数口加入していても1口しか出ません。
 それにより損害が補填されるからです。

 医療裁判のハードルのほうが高いこともあり
 労災・交通事故裁判に専念することにしました。
 (2兎を追うものは1兎も得ず、なので)

 福岡地裁で勝訴判決を獲得し、被告らが控訴したものの
 福岡高裁で和解が成立しました。

 一審では、労災事故・交通事故の発生そのものが争点に
 労災事故の性格上、目撃できる者は被告企業に集中し多勢に無勢。

 さらに、もととなった症状の診断がおくれたために
 障害をひきおこした事故の存在そのものも不安定に。

 (むかし短期間に3度交通事故に遭ったために、因果関係の証明が
 難しくなった事件がありました。複数の不幸に遭うとさらなる不幸が
 まっているというのが訴訟制度の難しいところ)

 それでも長期間にわたる治療実績があることや
 労災による障害認定を受けていたことから、一審勝訴。

 高等裁判所では、労災事故・交通事故の存在を前提に  
 主に、事故と障害との間の因果関係が争われました。

 障害の発生原因が他にあるという、いわゆる他原因主張です。
 他原因が医学的な論点であったことから、医学論争となりました。

 損保会社側からは、医師の鑑定書が複数提出されました。
 当方も、診療にあたった医師の鑑定書を2通提出しました。

 この段階で、高裁から和解勧告がなされました。
 和解案は、事故と因果関係を認めた上で、素因減額をするというもの。

 素因とは、損害の発生及び拡大に影響を及ぼす被害者側の事情
 その理由により、賠償額を減額するのが素因減額の考え方です。

 一審・福岡地裁が認めた賠償額が削られることに不服がありましたが
 高等裁判所の和解案であることを考慮して受諾、和解が成立しました。
 
 裁判は証拠によって事実を立証しなければならず
 複数の要因が重なると、すべての事実が存在しないことにも。

 そんな錯綜した事件でした。
 

2011年4月25日月曜日

 シャクナゲ@宝満山 


 宝満山のシャクナゲがそろそろ見ごろ。
 一の鳥居ふきんなので、それほど登る必要はありません。
 
 竈門神社の左手を下りた登山口から
 しばらくの登りです(30分程度)。

 太宰府ロータリークラブでは毎年3月
 シャクナゲの植樹をおこなっています。

 竈門神社と宝満山を愛する登山者のみなさま
 とともに。

 自分たちの植えた樹が花をつけると
 とても幸せな気持ちになれます。

 毎年3月20日ころですので
 みなさまも参加してみませんか。

 漢名は石楠花。石南花→シャク・ナン・ゲが訛ったとか。
 ただし、石南花は別種で誤解だというのだから、ややこしい。
 
 シャクナゲの花言葉は
 「威厳」「荘厳」「警戒」「危険」。

 「威厳」「荘厳」は
 花の気品から来ているのか、それとも…。
 
 学名はRhododendron metternichii
 Rhododendronはツツジ属のことだから、メッテルニヒのツツジ。

 学名のとおりツツジの仲間
 ツツジはrhodon(バラ)の dendron(樹木)が語源。

 メッテルニヒはウイーン体制時代の政治家・宰相
 「会議は踊る」で有名。

 それにしてもなぜ
 日本の植物の名前に宰相メッテルニヒなのか?
 
 それは江戸時代の後期に来日したシーボルトが
 日本の植物標本を多数もちかえり、献じたためだとか。

 その他、シーボルトにちなむ
 学名も多い。 

 シャクナゲは常緑低木で、山中でもよく見かけます。
 犬ケ岳三郡山天拝山など。
  
 ネモトシャクナゲは、福島県の県花
 百名山である吾妻山安達太良山に群生しています。

 花言葉の「警戒」「危険」は、別に地震を予見したわけではなく
 葉にケイレン毒を含む有毒植物だからだと思います。

 やはりきれいな花には
 毒があるのですねぇ。
 

2011年4月23日土曜日

 菜の花



 野菜として食べるので、菜の花
 菜種油を採取したことから、別名アブラナ

 ダイコン、ハクサイ、キャベツ、カブ、ブロッコリー
 カリフラワー、クレソンなど多くの野菜と同じ仲間(アブラナ科)。

 花言葉は「快活な愛」「競争」「小さな幸せ」
 知り合いの弁護士が事務所名に使っています。

 どの意味で使っているのか?
 そんなことを調べるタイプに見えないので外見でしょうか?
 
 与謝蕪村(1716~1783年)のあまりにも有名な句

   菜の花や 月は東に日は西に

 夏目漱石にも意外にも筑後川を詠んだ句があります。

   菜の花の 遙かに黄なり筑後川
 

2011年4月22日金曜日

 同友会例会


 福岡県中小企業家同友会・筑紫支部の4月例会は
 (有)五十番食品社長の王愛さんの報告でした。

 テーマは、OL~突然社長に~
 「いかにして私は社長になったのか!」

 他社のOLだった王さんが亡くなった父親の会社を継いで
 奮闘する日々。

 女性の年齢のことをいってはいけませんが、お若いのに
 すばらしい経営者ぶりがうかがえる立派な報告でした。

 多くの人の証言を積み重ねる形での実証的な報告スタイルは
 腕のいい弁護士がおこなう最終弁論のようでした。

 個別具体的な事実に基づき、しかも多くの視点を通じた
 バランスのとれた物の見方は、ただ者ではない風格さえ感じさせました。

 また彼女を応援している仲のよい経営者たちも多数参集されました。
 昨日はほんとうに同友会らしい・よい会でした。

 同友会は、①よい会社をつくろう。②よい経営者になろう。
 ③よい経営環境をつくろう。を目標に、学びあう会です。

 中小・零細企業は、大企業とちがって
 学ぶ機会もほとんどないし、孤独です。

 そこを同友会は、毎月例会を開き、互いの経営体験を報告するなかで
 学びあい、励ましあうことができます。

 経営に迷っている中小企業経営者のかた
 一度参加してみませんか。
 

2011年4月21日木曜日

 花の百名山・東赤石山(1,706m)


 福山駅前から出ている高速バスで
 四国・愛媛県の今治まで約1時間。

 そこからはJRに乗り換え、伊予西条で一泊。
 前回来たときは、薬害肝炎の調査でした。

 原因製剤であるフィブリノゲンは
 血液を固まらせる素となるもの。

 血が止まりにくくなった人に対し
 静脈注射するというのがもともとの使い方。

 ですが、それを餅状にして、細かくちらばっている
 胆石や腎結石を吸着させて除去するという使用法もありました。

 船乗りシンドバッドの冒険で、谷底のルビーを採集するため
 肉塊を放り込んでルビーを吸着させ、ハゲタカに回収させる

 という冒険譚がありますが、あんなイメージですね。
 その使用方法について医師から教えていただくという調査でした。

 その後、国とのあいだでやりとりがあり
 そのような投与方法も救済対象となりました。

 話を戻して伊予西条は、石鎚山の玄関口でもあるのですが
 数年前に登ったばかりなので、今回は東赤石山を目指します。

 愛媛県東部に位置する法皇山脈の最高峰
 日本二百名山の1つ。

 百名山の撰には漏れたけれども、捨てがたい山を
 もう百ケ集めたのが日本二百名山。英彦山などもそう。

 京都の三十三間堂を建てた際、使用されたこの山の木材が
 優秀であったため、後白河法皇の許しをえて法皇山脈に。

 伊予三島駅までJRで行き、筏津登山口まではタクシー。
 南側にまわりこんで登る感じです。

 背振山脈などは、造山運動のメカニズムから北側が切り立っていて
 面白いのですが、ここでは南側が趣向があるとされています。

 南側は、翌日登る笹ヶ峰に源を発する銅山川が
 谷を刻んでいます。

 銅山というのは別子銅山
 住友財閥がその基礎を築いたところです。

 皇居前広場の楠木正成像の銅は
 この別子銅山のもの。

 江戸時代に発見され、鉱毒事件もおきているようですが
 足尾鉱毒事件ほど有名でないのは、田中正造がいなかったためか。

 瀬戸内側は霧につつまれていたところ
 法皇トンネルを抜けると嘘のように晴れていました。
 
 銅山川沿いにずっと植えられた桜は満開で
 まるで桃源郷のよう。

 別子山の筏津登山口から太い尾根をまわりこんで瀬場谷に
 橋を渡った瀬場谷分岐点から反時計回りで5時間余のコース。

 赤石山といえば南アルプスですが、確かに、ここも山が赤い。
 これは岩峰のカンラン岩の鉄分が酸化されて赤くなったから。

 四国まで来て
 赤川温泉のお湯が恋しくなりました。

 東赤石山は、オトメシャジンをはじめ高山性植物の宝庫
 そこから花の百名山に選定されています。

 ただこの季節、里は花につつまれていましたが
 高山性植物の花期は7、8月のため、花はマンサクくらいでした。

 山頂付近、また北側斜面にはまだ雪が残っていて
 一人も登山者に行き会いませんでした。

 これはまえに北海道の後方羊蹄山に登って以来のこと
 山を一人占めしたみたいで、ちょっと贅沢な気分になりました。
 

2011年4月20日水曜日

 尾道出張


 予定どおり
 尾道に出張しました。
 
 尾道「時をかける少女」をはじめとする尾道3部作の舞台
 になるなど、映画や文学とかかわりの深い場所です。

 こういうと「いいねぇ。」といわれるのですが
 観光地に出張することはきわめて稀。

 ドラマに出てくる弁護士はたいてい信州や北海道に
 出かけていますが、実際は東京か大阪ばかり。

 弁護士の仕事も経済・社会的な流れに棹さしているので
 信州・北海道より東京・大阪への流れが大きいわけです。

 尾道の案件は、個人再生事件の審尋でした。

 福岡県筑紫地区に住んでいたところ
 仕事の都合で、広島県へ転出された依頼者です。

 個人再生は、負債総額の20%(最低100万円)を
 3年程度で返済して、債務者の経済的な再生をはかる制度。

 「時をかける少女」の舞台で
 人生を再生するためのお手伝いをするのも悪くありません。

 審尋は主に、債務者が提出した再生計画案どおりに
 返済が可能かどうかを確かめるものでした。

 仕事がおわったあとは、市内観光でもして帰ろうかと
 予習のため、「時をかける少女」のDVDを観ました。

 すると、なんかもう尾道市内を観光したような気になってしまった
 ので、思い切って「しまなみ海道」を超えて四国へ行ってみました。

 しまなみ海道は、広島県の尾道と四国・愛媛県の今治とを
 むすんだ60Kmの海上の道です。

 地図をみればわかりますが、尾道と今治のあいだの瀬戸内海には
 島がいっぱい。この9つの島を10ケの橋で結んだもの。

 「時をかける少女」が時間的な可能性をひろげるものだとすれば
 しまなみ海道は空間的な可能性をひろげたものでしょう。
 
 この季節、瀬戸内の島々は桜やなんかで淡くピンクに霞み
 絶景でした。
 

2011年4月19日火曜日

 少年よ


 いまの時期、山を歩いていると
 どんぐりの木(コナラ)が花を咲かせています。

 通勤途中にもちょっとした林があるのですが
 やはりクヌギが花を咲かせています。

 どんぐりの実は誰でもが知っているのに対し
 花のほうはどうでしょう?人知れず咲いているようです。

 さて先日、ある少年に対し保護観察処分がいいわたされました。
 非行事実は、集団暴走行為その他の道路交通法違反など。

 少年法は、少年の健全な成長を通じて、健全な社会づくりを
 めざしています。

 成人の累犯者(何度も犯罪を続ける人)の立ち直りは
 なかなか困難です。

 ですが少年のばあい、まだまだ成長可能性をのこしているので
 健全な成長を遂げることが期待できます。

 一人の少年が累犯者にならずに更生することで
 社会が受ける利益は大きなものがあります。

 しかしながら、社会や国会議員の理解を得られにくい話題で
 実際には厳罰化という方向に議論がいきがちです。

 「北風と太陽」の寓話を
 思い出していただきたいと思います。

 少年事件でも、警察による逮捕・勾留、検察官への送致までは
 成人とそう変わりません。

 でもそこから先は少しちがい
 検察官は家庭裁判所に送致します。

 家庭裁判所はまず、観護措置の要否を判断します。
 観護措置となれば、鑑別所に収容して、少年の要保護性を判断します。

 鑑別所は、少年院との区別がむずかしいのですが
 少年院に送るべきかどうかを、みて、わけるところです。

 鑑別所の技官と家庭裁判所の調査官が
 少年の性格や家庭環境をくわしく調査します。

 少年院は本来、教育施設であるべきところ
 実際には予算が足りず、十分な処遇がなされていないようです。

 また半年もしくは1年間の身柄の自由を奪う処分でもあるので
 少年院送致が適切かどうか十分な吟味が必要です。

 そのため日本弁護士連合会では、少年院送致が見込まれる事件など
 について無料で付添人の援助が受けられるように図っています。

 この制度によって今回、付添人に就任しました。
 福岡市内のS弁護士と共同受任です。

 手分けして、少年との面会、記録の閲覧・謄写、保護者・雇主との
 面談、調査官との面談、意見書の提出などをおこないました。

 本件少年も鑑別所に収容されていました。
 福岡のばあい、西鉄大橋駅からタクシーで数分のところにあります。

 鑑別期間は通常1か月間のところ、のこり3週間くらいでした。
 週1~2回面接をおこないました。

 鑑別所という非常に特殊な空間における面接で緊張します。
 人格と人格のぶつかりあいで、少年事件の要の部分です。

 窃盗がいけないというのは分かりやすいのに対し
 道路交通ルールの重要性を少年の腹に落とすのは難しい。

 少年のばあい、暴走仲間や喧嘩仲間に所属する問題はあったものの
 仕事もまじめにいっていて、反省している様子もありました。

 他方、保護者も職場の上司も、少年の更生に前向きで
 被害弁償も努力し、審判にも立ち会ってくれました。

 こうして直ちに少年院に送る必要はないという判断で
 保護観察処分に。

 保護観察は、地域の篤志家である保護司さんの
 指導と監督を受けながら立ち直りをめざす制度です。

 まじめにやっていってくれ
 さきざき立派な実をみのらせてくれるものと期待しています。
 

2011年4月18日月曜日

 「JIN -仁-」


 きのうTBS系列で「JIN -仁-」をやっていました。
 出演は、大沢たかおさん、綾瀬はるかさん、中谷 美紀さんほか。

 現代の外科医・南方仁が幕末にタイムスリップ
 抗生物質やビタミンについての知識を利用して人々を救います。

 タイム・トラベルものなので、前にも書いたとおり
 タイム・スリップはしても、ドラマがスベることはありません。

 ここでもやはり問題は「歴史を変えられるか?」
 「歴史を変えてもいいのか?」
 
 仁は、幕末の英雄、坂本龍馬、久坂玄瑞らと交流し
 佐久間象山、西郷隆盛らを治療しながら悩み、自問します。

 その結果、出した答えは、医師の本分を尽くす
 歴史よりまずは、目の前にある命を救う、というもの。

 ところで週末、ちくし法律事務所は春の研修でした。
 佐賀県は浜玉町の「魚半」さんで1泊2日。

 浜崎海岸・虹の松原が眼下に臨める
 いい雰囲気の宿でした。

 東日本大震災・原発事故といった国難のなか
 どのように事務所運営をしていくのか、熱心に議論しました。

 われわれが出した結論は
 仁とおなじ。

 これまで以上に結束を固め、力量を高め、地域社会に貢献する
 ということを確認しあいました。

 日本の将来がどうなっていくのか大いに気になるところですが
 まずは弁護士、法律事務所としての本分を尽くしたいと思います。
 

2011年4月17日日曜日

 ドウダンツツジ 


 ドウダンツツジ
 落葉低木 

 燈台躑躅
 枝が燈台の脚の形に似ているので。

 これが訛って
 トウダイ→ドウダンになったというのですが…。

 学名のEnkianthus(エンキアンサス)は、
 ギリシャ語の「enkyos(妊娠する)+ anthos(花)」

 これは花の形が
 ぽっこりと「膨らんだ花」だから。

 ちくし法律事務所にも、ぽっこりお腹の弁護士がいます。
 花言葉「節制」は、まさかそこからきたわけでは…。

 「私の思いを受けて」という花言葉もあり
 告白にもってこいです。

 「できちゃった。」と彼女に告白されると
 さすがにびっくり。

 そうなると、婚姻予約の履行、費用負担、認知、養育費など
 法律問題に発展することになったりもします。

 満天星躑躅とも書きます
 これは白い花が咲きほころぶさまが満天の星のようなので。

 この関係の花言葉は
 「上品」。

 落葉するまえ赤く紅葉しますが
 これもきれい。

 九重山には、ツクシドウダンという赤い品種が咲きます
 花期はもうすこし先(5月末~)。

 5月末には九重山に登る予定
 いまから楽しみ。
 

2011年4月15日金曜日

 「月と蟹」


 後鳥羽上皇や順徳院を承久の乱で破り
 彼らを追放した武家政権の所在地が鎌倉。

 鎌倉散策はだいすきですが、京都と比べると
 「太陽と月」というか、すこし陰なイメージ。

 その鎌倉を舞台にしたのが
 道尾秀介さんの「月と蟹」(文藝春秋)。

 ちょっと、びっくりしました。道尾さんは
 もっとキワモノを書いているのかと思っていたので。

 「ノルウェイの森」で、ワタナベが寮の先輩・永沢さんから
 借りていた本が、ジョゼフ・コンラッドの「ロード・ジム」。
 
 遭難した老朽船パトナ号に800人の乗客を残したまま、船を見捨てて
 船長ら3人とボートで「脱出」してしまった一等航海士ジム。

 その人生が船乗りマーロウの言葉により語られるのですが
 彼は我々にこう問いかけます(柴田元幸訳・河出書房新社)。

 「率直に言って、私が不審の念を抱いているのは
 私の言葉ではなく君たちの心だ。

 もし君らが、肉体に糧を与えるために想像力を
 枯渇させてしまっていなければ、私としても雄弁になれるだろう。

 失礼なことを言っているつもりはない。幻想を持たないのは
 まっとうなことだしー安全だしー儲かるしー退屈だ。

 けれど君たちだって、かつては生の強烈さを、些細な事どもの
 衝撃の中で生み出されるあの魅惑の光を知っていたはずだー

 冷たい石から打ち出された火花の閃きに劣らず驚異的な
 そして、ああ、同じくらい儚い光を!」

 「月と蟹」は、我々がかつて知っていた「些細な事どもの衝撃の
 中で生み出されるあの魅惑の光」「儚い光」を思い出させてくれます。

 ご一読ください。
 

2011年4月14日木曜日

 しのぶ草


 しのぶ草。別名、ノキシノブとも。
 木や岩などに着生するシダの仲間

 葉裏のぽつぽつは胞子嚢
 観世音寺・参道のクスに生えています。

   ももしきや 古き軒端の しのぶにも

            なほあまりある 昔なりけり

                       順徳院

 小倉百人一首の最後の歌
 しのぶ草がよく似合います。

 百人一首は、天智天皇の若々しい歌ではじまり
 懐古的な本歌で終わり。

   秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ

            わが衣手は 露にぬれつつ

                      天智天皇

 天智天皇(中大兄皇子)は、中臣鎌足らと謀り
 蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こしました(645年)。

 その後、様々な改革(大化の改新)を行ない
 天皇中心の政治をつくりあげていきました。

 そのような「理想的な天皇」が
 農民の生活を慈悲深く歌った和歌が、百人一首の最初の歌です。
  
 なお、天智天皇は、百済をたすけるために
 母・斉明天皇とともに、筑紫の地に来ています。
 
 斉明天皇は、朝倉付近で亡くなりました。
 その冥福を祈るために、天智天皇が創建したのが観世音寺です。

 これに対し、順徳院(1197~1242)は、後鳥羽上皇の第三皇子
 承久の乱にやぶれて佐渡に流され、島で世を去りました。

 承久の乱は、鎌倉幕府の成立後、鳥羽上皇らが
 武家から政権を奪回しようとしておこした戦い(1221)。

 乱の結果、武家の優勢=公家の没落が決定的に
 かくて御所にも、しのぶ草が。

 こうして百人一首は、和歌のアンソロジーとしてだけでなく
 歴史書としても読めるわけです。

 百人一首がこのような構成になっているのも
 選者の定家が鎌倉時代初期という歴史の転換期に生きたから。

 定家がすぐれた歌人であったことは事実でしょうが
 歴史が定家をつくったことも否定できないところでしょう。

 順徳院は、定家の和歌の弟子でしたが
 承久の乱後は、政治的犯罪人。

 表向きは、その和歌をとりあげることができません。
 鎌倉幕府に叱られるので。

 百人一首は、公的な歌集ではなく
 私的なアンソロジーなので、順徳院を採ることができました。

 いまでいえば、小沢チルドレンが
 小沢さんを擁護する発言をするようなものでしょうか。

 当の小沢さんがいまも自由に発言できるのも
 武力ではなく言論で勝負する民主主義社会ならではです。
 

2011年4月13日水曜日

 契約締結上の過失責任


 施主さんからある工事の依頼を受け
 これに必要な設備を購入するなどしていたところ中止。 

 発注書がいまだつくられていなかったため
 施主さんは契約の成立を否認しました。

 依頼者は、契約成立による利益はともかく
 購入済みの設備代は施主さんにみてもらいたいとの立場でした。

 当方まずは、発注書はないものの、図面、見積りなどから
 契約の成立はあったと主張しました。

 つぎに、主張したのが契約締結上の過失責任という考えです。
 信義誠実の原則からくるもの。

 契約の締結に至るまでの段階であっても
 責めを負うべき当事者は損害を賠償すべきという考えです。

 双方、契約成立を前提とするやりとりがあった
 いや、なかったとの主張をたたかわせました。

 しかし、結局、施主さんが譲歩されて
 設備をひきとられる形で円満解決しました。

 民法の基本原則は「約束は守ろう」ですが、約束までいかずとも
 信頼関係が深く形成されれば裏切れなくなります。
 

2011年4月12日火曜日

 オオイヌノフグリ


 事務所の裏山に登る坂道の途中、オオイヌノフグリが
 咲いています。

 ゴマノハグサ科クワガタソウ属の越年草
 書くか書くまいか、迷っていました。
 
 先日、朝日の天声人語に紹介されていたので
 ま、いいかと。

 馬酔木、馬の足形など花には変わった名前が多いのですが
 これほど不名誉な名前もめずらしい。

 そのわけは、オオイヌノフグリを漢字にすればわかります
 大犬の陰嚢。実の形が雄犬のそれに似ていることから。

 かの「日本の植物学の父」牧野富太郎博士(1862~1957)
 の命名にかかります。
 
 ヨーロッパ原産、明治になって帰化した植物
 明治20年(1887)の春、博士がお茶の水で発見

 花に人権があれば
 名誉毀損の裁判で博士に勝訴できたでしょう。

 この可憐な花をみて、誰しもが可愛そうと考え
 名誉回復をはかろうと、いろんな別名が考えられています。
 
 瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳…
 みなさまも、ひとつ考えあげてください。
 

2011年4月11日月曜日

 花まつり


 花祭り、別名、灌仏会
 戒壇院にて。

 4月8日は花祭りについて書くつもりが
 うっかり馬の足形について書いてしまいました。

 それで3日遅れの花祭り
 これこそ、祭りのあとか、後の祭りか。
 
 様々な草花で飾った花御堂
 甘茶をみたした灌仏桶のなかにたつ誕生仏

 花祭りの由来となった花御堂は
 釈迦が生まれたルンピニ園の花園をあらわしています。

 生まれた直後に周囲を見わたし七歩あるいて、右手を天に指し
 左手を大地に向けて「天上天下唯我独尊」と言ったときの像。

 信長ばりの強烈な自我、自己主張
 釈迦の逸話としてはかなり特殊な部類でしょう。

 そのとき産湯として9竜が天から下って、甘い露を潅いだとか
 ここから誕生仏に黄褐色で甘みがある甘茶を潅ぐことに。

 甘茶は、ふつうのお茶に砂糖を入れたものではなく
 ユキノシタ科の落葉低木ガクアジサイの変種が本来。

 生薬として日本薬局方にも収載されており
 アレルギーや歯周病に効果あり。
 

2011年4月8日金曜日

 ウマノアシガタ


 アセビ(馬酔木)つながりで
 ウマノアシガタ(馬の足形)

 キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草
 観世音寺参道わきにて。

 名前からわかるとおり、葉が馬の足形に似ていると
 言われるものの、実は似ていない…。

 キンポウゲ科の花には、ほかにトリカブトや
 クレマチス、アネモネなどの種類があります。

 トリカブトが仲間であることからもわかるように
 外見はかわいいが、やはり有毒植物。

 毒にもなるということは薬にもなるわけですが
 むやみに口にできません。

 キンポウゲの花言葉は、「栄光」「子どもらしさ」。
 

2011年4月7日木曜日

 歩かんね太宰府


 太宰府ロータリークラブ山歩き会
 太宰府路を散策しました。

 ご案内は、「歩かんね太宰府」の
 冨永敦夫さんと杢尾幹雄さん。

 クラブの卓話を冨永さんにしていただいたご縁で
 こんかいの運びとなりました。

 コースは、観世音寺駐車場(集合)→宝蔵→講堂→戒壇院学校院跡
 →冨永朝堂アトリエ→三十三茶屋(昼食)→太宰府政庁(都府楼)跡
  
 解説者も参加者も達者で、季節も最高
 いつもとちょっとちがう太宰府路に出会うことができました。
 

2011年4月6日水曜日

 アセビ



 アセビ(馬酔木)

 変わった名前ですが
 有毒成分を含み馬が食べると酔って足がなえることから。

 やっぱり、きれいな花だからといって
 うかつに食べると、危ないんですねぇ(馬のはなし)。

 花言葉は「犠牲」「二人で旅をしよう」「清純な心」

 九重山にはアセビの群落がたくさん見られます。
 二人で山にのぼろう!ということでしょうか?ただし清純な心で。
 
 「万葉の時代から日本人に愛されてきた」とか
 ほんとうでしょうか?

 たしかに、万葉集には詠まれています。 
  
   わが背子に わが恋ふらくは 奥山の

                あしびの花の 今盛りなり

                        詠み人知らず

 また俳人・水原秋桜子らが大正7年に「馬酔木」を創刊しているので
 大正~現代の日本人が愛してきたとの証拠もありそう。

 では、その間の平安~明治の日本人も
 アセビを愛してきたのでしょうか?

 そんな証拠があるかどうか知りません。
 でも民法にはこんな規定があります。

  前後の時点において占有した証拠があるときは
  占有は、その間継続したものと推定する(186条2項)。

 この規定を本件に類推適用できれば、万葉の時代~現代の日本人が
 ずっとアセビを愛してきたといえるかもしれません。
 

2011年4月5日火曜日

 ちくし法律事務所のチェンジ


             (桜 花言葉は「精神美」「優れた美人」)

 担当替え・席替えをおこないました。
 
 ちくし法律事務所では2年に1度、弁護士と事務局の担当替え
 をおこない、これに伴い席替えをします。

 弁護士が8人、事務局が11人いますので
 それぞれのスキルやノウハウがあります。

 また今年入った新人から
 20年、30年の経験者までいます。

 担当替え・席替えをすることにより
 スキル・ノウハウの共有、新人の指導・共育をはかります。

 お客さまにできるだけ優れた法的サービスを提供させて
 いただくためです。

 しばらくは担当替え・席替えにともなうご迷惑をおかけする
 こともあるかと思います。ご容赦ください。

 担当替え・席替えは大量の記録、事務用品、パソコン・ファックス
 コンピュータの移動をともなうので、ちょっとした引越です。

 終了後、裏山の公園へいき、花見をしました。
 ことしはアルコールなしです。

 ※浦田、徳田井上は所用のため写っていません。
  ファンのみなさま、ごめんなさい。

2011年4月4日月曜日

 小野寺康男弁護士

(レンギョウ 花言葉は希望)

 小野寺康男さん
 司法研修所38期8組でおなじクラスでした。

 宮城県の気仙沼で弁護士をしていて
 事務所も記録も被災されました。

 でも被災者のため場所をかりて毎日、無料相談に応じられ
 NHKニュースおはよう日本でも放送されました。

 「今回の震災では家や車を失った人や、事務所を失った経営者が多い。
 そういった人たちはローンや従業員への給与といった不安について
 相談にのるため、地元の弁護士が法律相談の活動を始めた。」

 体調にお気をつけください
 エールをおくります。
 

2011年4月3日日曜日

 アブラチャン


 アブラチャン@犬ケ岳
 クスノキ科クロモジ属の落葉低木

 低木でほっそりしているので
 どっしりとしたクスノキの仲間にはみえません。

 いまの時期、葉はなく、小さい花がびっしり
 うかつに山を歩いていると、気づかないぐらい。

 名前がかわいいので
 女性に人気。

 ただしチャンは愛称ではなく瀝青
 炭化水素からなる化合物のことです。

 木全体に油が多いことが名前の由来
 薪炭や灯油として利用されたらしい。

 弁護士なかまにも、油物ばかり食べている
 油ちゃんがいます。

 わがパーティでも、アブラチャンに出会うと
 その方面の話題で盛り上がります。
 

2011年4月2日土曜日

 雲を望む


 豊前坊からしばらく登ると分岐があり
 右折すると山頂方面、左折すると望雲台。

 まっすぐ山頂へ向かわず
 望雲台へ寄り道。

 クサリ場×横ばい×クサリ場30mで到着(汗汗)
 向こう側は100m超の断崖絶壁。

 しかも頂上部は刃先のような場所で
 クサリにしがみつく状態。

 望雲台とはよく名付けたもの
 鷹ノ巣山が正面にくっきりと望めます。

 Mさん:なぜこんなところに来たん?

 :ていわれても
   そこに望雲台があるから…。

 Mさん:いや山登りとちがうやん。

 私:そうれはどうだけど…。
   ま、が望めるから。
 

2011年4月1日金曜日

 鬼 杉



 南岳山頂からクサリ場を経て、材木岩辺りから急坂を下ると
 杉の大木が林立するようになります。

 そんななか
 ひときわ巨きな杉がこの「鬼杉」です。

 はじめてこれをみた連れは
 大きすぎて、何度説明しても分からなかったほど。

 樹高38m、幹周1240cm
 樹齢1,200歳(推定)

 惜しいことに台風で上部が折れており
 そのまえは60~70mあったともいわれます。

 森の巨人たち百選(日本全国の国有林の中から直径1m以上の樹木や
 地域のシンボルになっている樹木のなかから選定したもの)の一つ。

 屋久島の縄文杉は樹高25m、幹周1639cm
 なので、幹周ですこし負けています(勝ち負けじゃないけど)。

 鬼がこの山を退散する時に、持っていたスギの杖を地に突き刺したのが
 芽を出して、このような大木になったそうな。

 1200年前といえば810年ころ
 平安時代の初め、「薬子の変(平城太上天皇の変)」がおこった年。

 そのころ活躍した坂上田村麻呂には鬼退治の伝説がありますから
 日本にもまだ鬼がうようよいたのでしょう。 

 たしかに、鬼杉は超自然的な精気にみち神秘的
 パワーをもらいました。