2010年9月10日金曜日

 筑紫戒壇院



 私は高校までは関西で育ちました。奈良に行くときは必ず東大寺の戒壇院によって四天王像を拝し、端正な造形にそのつど感動していました。興福寺で阿修羅像を拝するのもいいですが、戒壇院にもよってみてください。おすすめします。

 弁護士になってからは筑紫の地で暮らすようになりました。なにかのご縁でしょうか、事務所のすぐちかく(太宰府)に戒壇院があります。戒壇院とは、奈良時代、出家者が正式の僧尼になるために必要な戒律を授ける施設。筑紫戒壇院とも呼ばれ、東大寺や下野薬師寺のそれとともに、三戒壇と呼ばれています。

 中学のとき、歴史を教えておられた牧野勝先生に「これくらい読んどったほうがええよ。」といわれて読んだのが「天平の甍」(井上靖)。栄叡ら若き日本の学僧らが唐の高僧・鑑真を招へいする苦難の物語。現在でいえば、サッカー日本代表の監督やハーヴァード大学の名物教授を招へいするようなレベルではなく、映画「アルマゲドン」でブルース・ウイルスらが命をかけて人々の生命を救うくらいのヒューマン・ストーリーです。


 たれも答えるものはなかった。すると鑑真は三度口を開いた。
 「法のためである。たとえびょう漫たるそう海が隔てようと生命を惜しむべきではあるまい。お前たちが行かないなら私が行くことにしよう。」(「天平の甍」より鑑真)

 
 鑑真は失明するほどの苦難のすえ6度目のチャレンジでようやく鹿児島に上陸し、太宰府を訪れ初の受戒をおこなったとされています。そうであれば、かなりのトリビア!(残念ながら、井上さんの「天平の甍」は太宰府を訪れことに触れるのみで、受戒の場面は記されていません)。

 ところで、現在、仏僧ならぬ法曹(裁判官、検察官、弁護士のこと)になるには、受戒ならぬロースクールを卒業し司法試験に合格しなければなりません。弁護士が都市部に集中していたことの弊害をあらためるためもあって制度改革がなされ、ロースクールが各地につくられました。しかし、先の司法試験の結果にみられるように、地域に根ざしたロースクールの苦戦が伝えられます。地域に根ざすことを志す法律家のひとりとして、残念なことです。奮起を期待したいと思います。

 
 「こうしたことを、いままで大勢の日本人が経験して来たということを考えている。そして何百、何千人の人間が海の底に沈んで行ったのだ。無事に生きて国の土を踏んだ者の方が少いかも知れぬ。一国の宗教でも学問でも、何時の時代でもこうして育って来たのだ。たくさんの犠牲に依って育まれて来たのだ。幸いに死なないですんだら勉強することだな」(「天平の甍」より栄叡)

                                               やま 

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