2011年6月30日木曜日

 タムシバ



 タムシバ@越後駒ヶ岳
 モクレン科の落葉小高木。

 小倉尾根の途中からちらほらあらわれ
 小倉山から先の尾根筋にもたくさん咲いていました。

 モクレンの仲間なので平地では早春に花を咲かせますが
 山では季節が一緒にやってくるので、いま咲いていました。

 フェイスブックは、高校、大学時代の友達を捜すツールとして
 設計されているので、小学校、中学校時代は無視されています。

 それでも高校時代の友達をつうじて最近
 小学校、中学校時代の友達とつながりが復活しました。

 その一人が最近「最寄りの駅」について
 書き込みをしました。

 そこはむかし小学校があった場所だったことから
 急に昔話に花が咲きました。

 それではということでメンバーをグループで
 まとめてみると、さらにいろんな話が出てきました。

 担任の先生の家に遊びに行った記憶はあるけど
 誰と行ったのかが分かったり
 
 まったく記憶をなくしていたけれど
 そういうことがあったといわれればあったような…。

 新しい友達をつくって新しい知識を仕入れるのも楽しいですが
 旧交をあたためてプチ過去を旅するというのもワクワクします。
 

2011年6月29日水曜日

 イワウチワ



                    (イワウチワ@越後駒ヶ岳)

 異業種交流会に行っていつも話題になるのは
 互いの仕事って知っているようで知らないことです。

 法律事務所、弁護士の仕事も実はあまり知られていないような。
 わが事務所のことも知られていないなぁと感じます。

 債権回収をやってるんだ!?とか、離婚事件を扱っていたの?
 などとびっくりされて、こちらもびっくりします。

 債権回収や離婚事件は、われわれ弁護士にって
 もっとも日常的に取り扱っている事件です。

 考えてみれば、私が弁護士になったころの弁護士像は
 若山富三郎や小林桂樹の渋いイメージでした。

 なのに若造弁護士が出てきて
 お客さんはイメージと違うなぁ~という顔をされていました。

 最近は私が年齢を加えたのと、テレビに出てくる弁護士も若くなったので
 あまりそういうこともなくなりました。

 テレビに出てくる弁護士が取り扱っている事件はたいてい刑事事件で
 信州や北海道に調査に行き、1か月に1件程度の事件処理です。

 これも一般の弁護士の日常とは違います。
 信州や北海道に行くことは10年に一度あるかないかでしょう。

 ということで、ちくし法律事務所では
 弁護士のことをもっと知ってもらおうという努力をおこなっています。

 古いものでは1999年に発行をはじめた事務所ニュースがあります。
 一年前にはじめたこのブログもそのような試みの一つです。

 ホームページの充実が懸案だったのですが
 技術的な理由などでなかなかすすみませんでした。

 最近、その方面にとても詳しい田中謙二弁護士が
 ブログ版のホームページを立ち上げてくれました。

 書き込み、バージョン・アップが容易なので
 ただいま内容が日々充実していっているところです。

 われわれも知らなかった同僚弁護士の生い立ちや
 事務(秘書)局のページなど楽しいですよ。

 これを見て、アクセスしてこられる方も増えています。
 みなさまも一度、覗いてみてください。
       

2011年6月28日火曜日

 タニウツギ



 タニウツギ(谷空木)@越後駒ヶ岳
 小倉山の手前、東側に荒沢岳をのぞむ斜面に咲いていました。

 スイカズラ科の落葉小高木
 茎が中空のため空木。

 谷に咲いているので、谷ウツギ
 田植えの時期に花が咲くので「田植え花」とも。

 新緑とピンクがひきたてあって、うつくしい。
 花言葉は、豊麗。

 ふと気づいて、過去ログをしらべると
 このブログがはじまったのは昨年の6月17日でした。

 そのときには、落合弁護士が
 こう書いています。

 「ブログ始めました。
 弁護士の落合です。

 昨年10月に新事務所に移転して以降
 更新が途絶えていた我が事務所のホームページでしたが

 こっそりとブログを始めてみることにしました。【NEW】

 とりあえずタイトルは「ちくし法律事務所」と無難なものにしてますが
 ブログの方向性が確立したら、それらしいサブタイトルを付けようか
 と考え中です。(それまでは迷走します。)

 「ブログを見た!」の一言で相談料10%OFF!!
 ・・・みたいなことをするかはわかりませんが
 たまに覗いていただければ幸いです。

 なお、学生時代に少しだけ「mixi」をやっていた私が
 主に更新する予定ですが、他の弁護士もたまにつぶやくかもしれません。

 2ヶ月くらい後に

 【2010/8/15】ブログを閉鎖いたしました。【NEW】

 とホームページに載らないように頑張ります。」

 落合弁護士の掲げた2ヶ月以上は頑張る
 という目標はどうやらクリアできたようです。

 いつまで頑張れるか分かりませんが
 今後ともよろしくお願い申し上げます。
 

2011年6月27日月曜日

 カタクリ



    (カタクリ@越後駒ヶ岳、ちょっとピンぼけ)

 子どもに誘われて筑紫野市のイオンで
 「Super 8/スーパーエイト」を観ました。

 この間、例のすき間の時間に映画を観るやり方で
 「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉
 「わたしを離さないで

 「スカイライン
 は観ていました。

 「パイレーツ」に、キーラ・ナイトレイが出ていないなぁと思っていたら
 「わたしを」に出ていて、つながりを感じたり

 やはり「わたしを」に「17歳の肖像」のキャリー・マリガンが出ていて
 いかにも英国的で素敵だなぁと感じ入ったりしました。

 「岳」と「もしドラ」はそれぞれ観たい映画ですが
 時間があわず、かなっていません。

 さて「Super8」、このタイトルは誤解されがちなように
 活躍する子どもたちのことではありません。
 
 子どもたちは8人もいませんから。
 コダック社のアマチュア用8ミリフィルム規格のことです。

 もちろん、ストーリー展開からして、アマチュアの子どもたちの視線
 というメタファーはあるかもしれません。

 子どもたちが映画内でゾンビ映画を撮っているのですが
 子役の俳優たちのちょっとヘタな演技に関心させられます。

 「ET以来の映画」というプロモ評が当たっているかどうか別として
 「スタンバイ・ミー」と「ET」を足して2で割ったような感じでした。
 
 カタクリは
 ユリ科カタクリ属に属する多年草。

 越後駒ヶ岳の小倉山から先の尾根筋に群生していました。
 シャイな花で下向きに咲きます。そのため、ピンぼけに。

 ご承知のとおり、片栗粉の原料ですが
 近年の粉はほぼジャガイモから抽出しているそうです。

    もののふの 八十乙女らが 汲みまがふ
  
                 寺井の上の 堅香子の花

                            大伴家持
 

2011年6月25日土曜日

 ムシカリ



 ムシカリ(虫狩)@越後駒ヶ岳
 名前は、葉を虫が好むため。

 スイカズラ科ムシカリ属
 山地に生える落葉小高木。

 別名、オオカメノキ
 葉が亀の甲羅のようにも見えるため。

 枝先から散房花序を出し,小さな両性花をつけています。
 周辺を取り巻く白く大きな花は装飾花

 ヤマボウシなどとともに「利休七選花」
 利休も愛した伝統の名花。

 そのままの状態ですでに
 生けてあるようです。

 登山者にはあまり注目されていないようですが
 私は大好きです。
 

2011年6月24日金曜日

 ヒメシャガ



          (ヒメジャガ@越後駒ヶ岳、百草の池ふきん) 

 昨日、くだんの労働審判が解決しました。
 3期日目でした。

 一般とおなじ勤務時間で7年勤務しているのに、臨時採用ということで
 社会保険や雇用保険に加入させていなかった違法ゆえ慰謝料請求した事案。

 ①雇用保険についてはさかのぼって加入させる
 ②解決金を支払う、との解決です。

 審判官の提示した解決金が、本人の希望にくらべて低額だったことから
 心配しました。でも本人は満足されました。

 本人のこの勇気ある申立てにより、他のおなじ立場にあった人々
 についても社会保険等に加入できるようになったからです。

 私自身も学生時代に似たような経験をしているので
 彼の気持ちはよく分かりました。

 ヒメシャガ(姫著莪)は、アヤメ科アヤメ属の多年草
 名前はシャガに似ていて、小さいので。

 環境省レッドリストで
 準絶滅危惧種(NT)に分類されています。

 学名は、Iris gracilipes
 gracilipes(細長い脚の)Iris(アヤメ属)

 Iris(アイリス)は、ギリシャ語で虹
 花言葉は、友だちが多い、私を認めて。
 

2011年6月23日木曜日

 カシワ



 きのうの源氏物語の柏木つながりでカシワ(柏・槲)
 ブナ目ブナ科の落葉中高木。

 学名はQuercus dentata
 dentata(歯のある、歯状の)Quercus(コナラ属)

 葉には縁に沿って丸く大きな鋸歯があります。
 dentata(歯のある、歯状の)はここから来たものでしょうか。

Quercus(クワカス)は、ケルト語の
「quer(良質の)+ cuez(材木)」が語源。

 英名はDaimyo Oak
 オークはブナ科コナラ属の植物の総称。Daimyoは大名?

 カシ(樫)と名前はにていますが
 落葉樹=カシワ、常緑樹=カシの違いがあります。 

 カシワの名は、炊(かしい)葉から
 葉は大きく芳香があり、古くは蒸し焼きに使われました。

 翌年に新芽が出るまで古い葉が落ちないことから
 「代が途切れない」縁起物として柏餅に用いられることはご存知のとおり。

 不義密通を光源氏に知られた柏木は恐怖のあまり死んでしまいます。
 でも女三宮には柏木の子・薫が…。

 紫式部が頭中将の嫡男をなぜ柏木としたかは知りませんが
 たしかに代は途切れないようです。

 光源氏にとって縁起がよいかどうかは別として。
 花言葉は、愛は永遠に。
 

2011年6月22日水曜日

 タチアオイ



 きのうのシラネアオイの名前の由来となった
 タチアオイ(立葵)。

 シラネアオイの記事を書きながら、どこかに咲いていないかな?
 と思っていたら、なんと、ちくし事務所のお隣の庭に咲いていました。

 言霊でしょうか?シンクロニシティ(共時性)でしょうか?
 幸せの青い鳥ならぬ、赤い花は意外と身近なところに。

 葵といえば、ふつうこの立葵のこと
 アオイ科の多年草。

 名前は、葉が太陽の方に向かうところから
 仰日=あうひ→アオイ。

 ヒマワリ(向日葵)が花が太陽の方に向かうことから
 命名されているのと同じですね。

 イラク北部のシャニダールの洞窟のなかで、5万年前の
 ネアンデルタール人の埋葬骨といっしょに花粉が見つかりました。

 5万年前の人類の兄弟がはやくも花で亡くなった人を悼み
 宗教心を持っていた逸話として知られています。

 その花粉のなかに、タチアオイの仲間が含まれていました。
 人類と、おつきあいがもっとも古い花の一つなのでしょう。

 学名は、Althaea rosea
 バラのような(rosea)アルテア属(Althaea)

 Althaea(アルテア)は、ギリシャ語のalthaino(治療)が語源。
 薬効があります。

 日本にも、古くから薬用として渡来
 平安時代ころは「唐葵」と呼ばれていました。

 花言葉は、大きな志、大望、野心
 気高く威厳に満ちた美、高貴。

 これら花言葉は、葵の立派な立ち姿からして
 肯けます。

 紫式部もこの花のイメージを援用しています。
 「葵」は「源氏物語」の巻名のひとつになっています(第9帖)。

 そこに登場する光源氏の最初の正妻は
 後世、「葵の上」と呼ばれています。
 

   くやしくぞ つみをかしける あふひ草
    
              袖のゆるせる かざしならぬに
  
                            柏木

 この「あふひ草」は、光源氏の二番目の正妻=「女三宮」のこと。
 柏木は、光源氏の恋のライバルである「頭中将」の嫡男

 父のライバルの妻にたいして無理に「つみをかし」たのですから
 柏木が死ぬほどビビるのも当然です(罪と摘みは掛)。

 実際、柏木は恐怖のあまり死んでしまうのですが
 和歌など披露しながらビビるところが王朝人の典雅なところ。

 いまなら、すぐに弁護士に相談すべきでしょうね。
 

2011年6月21日火曜日

 シラネアオイ



 シラネアオイ(白根葵)@越後駒ヶ岳
 4枚の花弁のように見えているのは萼片。

 小倉山~百草の池の登山道沿いに
 10輪ほど見かけました。

 「シラネ」の名は、白根山に多いことから
 草津白根山ではなく、日光白根山のほう。

 越後駒ヶ岳から東南の方角をのぞむと
 平ケ岳が見えます。

 さらにその先には尾瀬沼(燧ヶ岳)があり
 その先に日光白根山があります。

 「アオイ」の名は、花がタチアオイに似ることから
 フヨウにも似ることから、「山芙蓉」、「春芙蓉」とも。
 
 キンポウゲの仲間の多年草
 深山の植物。日本固有種

 もっとも1属1種のシラネアオイ科とする説もあります。
 たしかに、キンポウゲに似ているかというと?

 いずこの世界もおなじで
 植物の分類も、論者によって説がわかれています。

 親子関係確認訴訟、嫡出否認訴訟における親子鑑定とおなじで
 従来は形態分類がおこなれてきました。

 花、葉、実などが似ているだとか
 似ていないだとかいうのが基準です。

 しかしこの分野でも近年、分子生物学的な考えが浸透
 分子系統解析が進んでいます。

 これによれば、キンポウゲ科から初期に分岐したと考えられ
 系統的にはキンポウゲ科に含めるのが適切なのだとか。
 
 花言葉は、完全な美、優美。 

   白根葵 咲けりといふよ 山彦も

                       水原秋桜子
 

2011年6月20日月曜日

 越後(魚沼)駒ヶ岳



 あの時はー雪崩の危険期が過ぎて、新緑の登山季節に入った頃だった。
 あけびの新芽も間もなく食膳に見られなくなる。

 無為徒食の島村は自然と自身に対する真面目さも失いがちなので、
 それを呼び戻すには山がいいと、よく一人で山歩きをするが、

 その夜も国境の山々から7日ぶりで温泉場へ下りて来ると…


 川端康成の小説「雪国」の一節ですが、一人の山歩きが
 自身に対する真面目さを呼び戻す作用があるといっています。

 仲間との山歩きもたしかに楽しい
 でも一人の山歩きにもやはり捨てがたい魅力があります。

 「雪国」の舞台は越後湯沢なので
 この「国境」は上野国(群馬県)と越後国(新潟県)の上越国境です。

 国境の山々とは三国山脈のことで、日本百名山だけでも
 谷川岳を中心に、巻機山、平ケ岳といった山々でしょう。

 巻機山には去年登ったので、ことしはもう一歩北へ足を伸ばして
 越後(魚沼)駒ヶ岳(2,003m)に登りました。

 新潟県の豪雪地帯に位置し
 中ノ岳、八海山とともに、越後(魚沼)三山と呼ばれています。

 上越線で北へ向かうと、右手に八海山が屏風のようにそびえ立ち
 その背後に、越後駒ヶ岳と中の岳が見え隠れします。

 わが事務所の酒飲みが「八海山って、山の名前だったんですか?」
 などと、とぼけたことを言ってました(当たり前でしょう!)。

 あまり無理はしたくなかったので、枝折峠~小倉山~越後駒ヶ岳
 のコースを行きたかったのですが、峠までいまも冬期閉鎖中…。なので

 駒ノ湯~小倉山~越後駒ヶ岳のコースを往復(日帰り)することに。
 コースタイム12時間、標高差1600mという厳しさ!

 夜明け前に駒の湯の登山口を出発
 山際やうやう白くなりゆくなか、小倉尾根をやうやう登っていきます。

 ブナ、ミズナラなどの高木のなかを登ると、ムラサキヤシオ、タムシバ
 サラサドウダン、ホオ、タニウツギなどの花々が迎えてくれました。

 小倉山を過ぎると、大きな残雪、雪渓がつぎつぎとあらわれ
 シラネアオイ、カタクリ、アズマシャクナゲ、ショウジョウバカマ

 イワウチワ、イワカガミ、ナエバキスミレなどの花々が
 足もとを彩っていました。

 最後の岩場を登って駒の小屋に着いたころまでは晴れていたのですが
 小屋辺りからガスってきました。

 管理人さんに聴くと
 やはり今年は例年になく雪がおおいとか。

 ガスのなか、雪渓をのぼり
 山頂まで往復しました。

 アイゼンまでは必要なく
 ストックだけで足りました。

 小屋に戻ってひと思案したものの 、天候が怪しいのと
 時間がまだ9時だったので下山することに。

 途中、ぽつぽつ降りはじめ
 小倉山ふきんからは本格的な降りに。

 梅雨前線の北側なら大丈夫だと思っていたのに
 やはりこの辺りの天候は変わりやすい。

 激雨のなか、なんとか気力を奮い起こして
 下山しました。

 下山後は、駒ノ湯山荘の秘湯で
 ひと風呂。あ~極楽、極楽。
 

2011年6月17日金曜日

 きょうは夢みたいね、天神にいくなんて



 「もういちど読む 山川 倫理」(山川出版社、2011年)
 を読みました。これがめっぽう面白かったです。

 高校時代の倫理の時間といえば
 まったく面白くない授業の筆頭だったのに。

 倫理の先生の思い出といえば
 修学旅行のときに女子部屋にいたのを叱られたことぐらいなのに。

 倫理とはなにか?
 高校時代はこれがまったく分かっていなかった…。

 「日常生活の中で、ふと、今、
 自分は何のためにいきているのだろうか

 自分はこれでよいのだろうか
 これから自分はどうなるのだろうか

 という、さまざまな自己への問いかけが生まれることがある。
 私たちは、このような心にわきあがる問いに対して

 自分なりの答えを見つけ出そうとする。そのような試みの一つ」
 が倫理、すなわち人間の生きる道筋です。

 「生きていることの意味を問うことこそ
 人間と動物との本質的な違いの基準である」 (フランクル)

 「もっとも多く生きた人は、もっとも長く生きた人ではなく
 生きていることをもっとも多く感じた人である」(ルソー)

 これはまさしくドラマ「」のなかで
 幕末の動乱にタイムスリップした南方仁が見いだしている思いそのもの。

 人類の歴史上あらわれた偉人たちが人生をどう捉えたか?
 どう立ち向かったのか?

 わずか283頁の本に、実にコンパクトに凝縮されています。
 これで1575円!とてもお買い得です。

 ただし、これを鵜呑みにしたり
 自説のごとく人に吹聴してはいけません。なぜなら

 「自分自身でないことほど恥ずべきことはなく、自分自身でものを考え
 感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない」(フロム)から。

 この本の使い方としては、これにより知識を蓄えるのではなく
 日々生きるうえでの「考えるヒント」とするのがいいのでしょうね。

 「僕たち、ずっと遠くまでいったけれど、この鳥
 ずっとここにいたんだなぁ」(「青い鳥」のチルチル)

 チルチル&ミチルの兄妹のように旅をしなくとも
 この本のなかに旅はあります。

 生きる意味や幸せについての考え方を変えるだけで
 自分の手のなかにある幸せに気づくかも知れません。

 先日、福岡地裁へ向かおうと、二日市駅で
 天神行きの西鉄電車をまっていたら 

 「きょうは夢みたいね、天神にいくなんて」

 「おもいがけないお出かけねぇ」

 と年配のご婦人お2人が話されていました。
 これを聴いて、「あっ」と思いました。

 僕自身は天神に行くことについて
 仕事場に向かう通過点にすぎないと考えていたからです。

 たしかに、高校生くらいまでは
 「お町に出かける」ことにワクワクしたものでした。

 そういうワクワク・ドキドキをなくしているなぁと
 反省しました。

 そう思い直して行った天神は、夢のようとまではいきませんが
 すこし輝いてみえました。
 

2011年6月16日木曜日

 別れた男の義務~話題の事件


 
 さいきん、ちくし法律事務所で話題になった事件を
 紹介します。

 最新の判例集(判例時報2108号57頁)に掲載されていたもので
 東京高裁の事案です。

 太郎さんは、結婚相談所を介して花子さんと知り合いました。
 2人は交際、合意の上で性行為を行い、花子さんが妊娠しました。

 その後、破局。
 花子さんは太郎さんの了解をえて中絶しました。

 花子さんは、太郎さんが妊娠と中絶に関して不法行為責任
 (民法709条)を負うとして提訴。

 治療費、慰謝料など合計905万円の損害賠償を求めました。
 太郎さんはこれを争いました。

 男女間でありがちな事案ですが
 みなさんはいかがお考えでしょう?

 東京地裁、東京高裁ともに
 太郎さんの責任を認め、114万円余の賠償を命じています。

 中絶後に、太郎さんが花子さんの身体的、精神的苦痛や経済的負担の
 不利益を軽減し、解消するための行為をしないことが不法という理由。

 さすがに合意の上で性交渉をし妊娠中絶をしたこと自体は違法に
 なりません。

 でもその後の態度、不作為責任を問題にされています。
 先行行為に基づく保護責任者遺棄罪みたいな理屈ですね。

 結論の妥当性、法的な理由、慰謝料額の当否について
 いろいろと議論になりました。

 女性弁護士が東京高裁の判断を必ずしも支持するわけでは
 なかったところが、この事案の微妙なところです。

 おなじようなご相談がきたときにどうなるのか?
 やはり悩ましい事案であるといわなければならないようです。

2011年6月15日水曜日

 フェイスブックのこのごろ



 フェイスブックについて
 3度目の近況報告です。

 フェイスブックの第1の機能はできるだけ
 たくさん友達をつくろうということです。

 毎日のように、某さんはお友達ではないですか?とか
 誰々さんにお友達を紹介しましょうなどと薦められます。

 おかげで、落語家さん、女優さん、通産局の課長さんなど
 これまでまったくご縁のなかった職種の方々とも「友達」に。

 これらまったくの異業種の方々の日常報告が
 とても面白いです。

 もちろん、中学、高校時代の旧交も復活し
 最近のお仕事や活動(バンドなど)を知ることができました。

 これまであってもせいぜい年1~2回の葉書のやりとりに比べ
 格段の情報量のアップです。

 一般的なやりとりのほか
 同好会や所属団体ごとのグループ設定という機能もあります。

 グループ内では、カミシモを脱いで
 くだけたやりとりをしています。

 基本的にはメールなのですが
 顔写真つきなので、日常会話にちかい感じのやりとりになります。

 また他人のやりとりにからんでいったりして
 座談のような感覚が楽しめます。

 フェイスブックがビジネスに役立つとやらで
 その方面でがんばっている方もおられます。

 ですが、私的には日常生活の刺激剤、賦活剤として
 役に立っています。

 これまで漠然と、他の人たちも頑張っているんだろうなーとか
 想定していたことが、現実にみなさんが頑張っているのが分かるのです。

 これが刺激にならないはずはありません。
 まいにち元気をもらえます。

 ミクシィでやってきた方々には実名主義が高いハードルのようですし
 プライベートを公開していくことになるのでリスクも増えるでしょう。

 ですが、これもいまのところ
 メリットのほうがデメリットより、はるかに大きいと感じています。

 なにか問題が生じたらそれに対処し
 いざとなったら、その時点でやめると腹をくくるしかありません。

 (比喩として適切かどうかはおくとして、道路を歩けば交通事故のリスクが
 ありますが、だからといって道路を歩かないわけにはいきません。)

 いまだ未体験の方々
 みなさんもいかがですか?
 

2011年6月14日火曜日

 家庭の法律講座


 
 ちくし法律事務所では市民法律講座を
 開催することになりました。

 地域貢献のひとつとしてやろうという話はもう
 10年以上まえからありました。

 でも日常業務にまぎれて
 なかなか実行することができてきませんでした。

 1昨年に25周年行事、昨年に新事務所移転
 ことし弁護士8人の体制になり、よくやく開催の運びに。

 開催日は2011年の7月7日(木)
 七夕の日です。

 棚機(たなばた)の語源は、旧暦7月15日の夜に戻って来る
 祖先の霊に着せるため棚に機で織った衣服を備える習慣から。

 仏教が伝来すると、7月15日は仏教上の行事「盂蘭盆」となり
 たなばたはその準備をする日ということになって7月7日に。

 さらに織女と牽牛の伝説が
 中国から伝わって、つけくわわったものだとか。

 機織で働きものの織姫は
 彦星とめでたく結婚しました。

 ところが織姫は新婚ボケのあまり
 機織を怠けたまま。

 天帝の怒りに触れ
 2人はわかれわかれに。

 でも織姫がまじめに機織りをしさえすれば
 年に一度、彦星との再会が許されることになりました、とさ。
 
 織女星(こと座のベガ)と牽牛星(わし座のアルタイル)が
 天の川をはさんで輝いていることから想起された話でしょう。

 法律講座のお題は「夫婦・家庭の法律」
 織姫・彦星の別居が解消できるような話になりますでしょうか?
 

2011年6月13日月曜日

 賃料の増減をめぐる紛争



 この間、賃貸借をめぐるご相談がおおかったので
 すこし解説させていただきます。

 家を知人や親族に無料で家(あるいは土地)をお貸しするのが
 使用貸借です。

 さらに月々7万円とかの賃料をいただくのが
 賃貸借です。

 どちらも借主に居住権が生じますが
 賃貸借の借主の権利のほうが強いです。

 必ずしも契約書は必要ありません。
 現に居住していて月々の賃料を支払っていれば、賃貸借の存在ありです。

 賃貸借は民法のほか、借地借家法により
 その大きな柱が決められています。

 契約書に定めがなければ民法の規定によりますし
 契約書に定めがあっても借地借家法により修正を受けます。 

 桃や梅は天然果実というのに対し
 賃料は法定果実といいます(民法88条)。

 賃料は契約のときに決めるわけですが
 年月がたつうつに実情とあわなくなってきます。

 そうなると、大家さんのほうから賃料の増額を請求したり
 店子さんのほうから賃料の減額を請求したりします。

 経済と土地価格と固定資産税が右肩上がりの時代は
 賃料増額請求が一般的でした。

 こんにち、デフレで右肩下がりの時代となり
 賃料減額請求のご相談も増えています。

 さてここからが少しややこしいのですが
 店子さんから賃料減額請求のご相談を受けたとします。

 いままで月額7万円の家賃を支払ってきたものの
 近所では5万円のところがほとんどだから減額したいというものです。

 このばあい、まず、家主さんに来月分から5万円にする旨通告します。
 家主さんがOKしてくれれば、それで減額になります。 

 でも家主さんがOKしてくれなければ
 当面、賃料は7万円ずつ支払っていく必要があります。

 そうしないと、賃料不払いで
 契約を解除され、建物の明け渡しを要求されてしまいます。

 そのときは、賃料増額の調停・裁判を起こす必要があります。
 調停・裁判の結果、増額となれば通告のときにさかのぼって減額に。

 いくらが適正賃料なのかは、最後は不動産鑑定士が決めます。
 不動産の投資価値や近隣賃料との比較などを材料にします。

 最近では一棟のアパートでも、入居の時期によって賃料が違ったり
 するので、素人にも賃料の違いが見えるようになっています。

 昨今のように景気が悪くなると
 大家(貸主)さんも店子(借主)さんも賃料にセンシティブになっています。

 それが賃料の増減をめぐる紛争に関する
 ご相談が増えている原因です。
 

2011年6月11日土曜日

 テイカカズラ



 テイカカズラ(定家葛)
 キョウチクトウ科のつる性常緑低木

 名前は、式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず
 ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説から。

 定家は、いわずと知れた新古今の代表的歌人。平安末から鎌倉初の
 激動期を生き、御子左家の歌道の家としての地位を不動にしました。

 父・藤原俊成の「幽玄」をさらに深化させて「有心」をとなえ
 後世の歌に極めて大きな影響を残しました。

 句切れ、語句の倒置・圧縮・飛躍、体言句の羅列などさまざまな
 技を駆使しつつ、象徴的なイメージをつなぎあわせて一首に。

 勅撰集『新古今和歌集』と『新勅撰和歌集』を撰進。
 それより『小倉百人一首』の撰者として有名。
 
 定家自身の作で百人一首に収められているのは
 これ。

   来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に

            焼くや藻塩の 身もこがれつつ

 この歌の本歌は
 これ。

   なきすみの 船瀬ゆ見ゆる 淡路島
 
   松帆の浦の 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに

   藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ

   よしのなければ ますらをの 心はなしに たわやめの
 
   思ひたわみて たもとほり 我はそ恋ふる 舟梶をなみ

             笠金村・万葉集巻6ー935


 松帆浦は兵庫県の淡路島の北の端にある松帆崎の海岸
 磯に打ち寄せる波の向こうに、本州・明石市を望む。

 彼氏は明石から舟をコイでやってくるのでしょうか
 瀬戸内海に日は夕凪に海女の心は恋こがれています。

 その定家が愛したとされるのが式子(ショクシ)内親王
 平安時代末期の皇族で、後白河天皇の第3皇女です。

 父・俊成のお弟子さんで
 やはり新古今の代表的歌人として知られ、新三十六歌仙の1人。

 内親王の歌のなかから定家が百人一首に撰んだのは
 これ。

   玉の緒よ たえなばたえね 長らへば

             忍ぶることの よわりもぞする

                        小倉百人一首

 内親王がこんな歌を詠んだ日には
 列席した男どもはみな忍ぶ恋の相手は俺だ!と誤解したことでしょう。

 定家に至ってはさすが、死後も彼女を忘れられず
 ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたほどですから。
 

2011年6月10日金曜日

 芭蕉句碑ー宝満山の石碑



 宝満山を竈戸神社側から登り、7合目(「閼伽の井」「西院谷」)を過ぎ
 しばらくいくと、右上に、石碑があります。

 中宮跡まで行ってしまうと、見過ごしたことになります。
 戻るか帰りに見るか、思案のしどころでしょう。

 石碑には芭蕉の句

   世の人の みつけぬ花や 軒の栗

 「奥の細道」のなかの句です。
 芭蕉一行は白河の関を越え、福島県須賀川の宿

  この宿のかたはらに、大きなる栗の木陰を頼みて、世をいとふ僧あり。
  橡拾ふ深山もかくやと閑かにおぼえられて、ものに書き付けはべる、

  その詞、
 
   栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、
   行基菩薩の一生 杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。

   世の人の みつけぬ花や 軒の栗

 というくだり。
 なぜ、この句が宝満山のこの場所に?

 不明ですが、宝満山がそのころ修験道の山であり
 精神的・気分的に芭蕉の句と相通じあうものがあったからでしょうか。

 なお「橡(トチ)拾ふ深山」は
 西行法師のつぎの歌より。

   山深み 岩にしただる 水溜めむ
          
           かつがつ落つる 橡拾ふほど

 これには閑かさだけでなく、橡(トチ)と栗の実の連想によるところも
 ありましょうか。

2011年6月9日木曜日

 ちくし法律事務所ニュース夏号



       (大場敬介先生に新作3D作品を魅せていただく)

 ちくし法律事務所では事務所報を年2回
 夏と冬に発行しています。

 1999年(平成11年)が第1号ですから
 はや12年目になります(バックナンバーをご参照ください)。

 地域のみなさまや大規模訴訟の原告の方などに
 ご寄稿をいただいているのが主な記事です。

 それに所属弁護士が最近解決した事件の紹介や
 ちょっとした法律知識の紹介欄があります。

 意外(失礼)と弁護士コーナーより人気なのが
 事務局コーナー。毎回、ひとひねりあり楽しいです。

 なにより自慢なのが表紙の画ですね。2007年夏号から
 ご厚意で大場敬介&寿子先生の作品を掲載させていただいています。

 ペーパー・スクリーン版画で
 いずれも心癒されるポエジーな作品です。

 もっとも今年の新年号はこれまたご縁にめぐまれ
 小川蓮太郎先生の作品を掲載させていただくことができました。

 「長崎若葉」「アネモネ」の2点で
 いずれも好きな作品です(バックナンバーの2011年新春版参照)。

 ということでいよいよ
 今夏も準備をはじめました。

 おかげさまで今期もさまざまなご縁をいただき
 地域の方々に原稿をお願いすることができました。

 予告編を流したいところですが、執筆者の方々にプレッシャーとなる
 といけないので発行まで秘密です。

 Coming Soon.
 (乞う、ご期待)。
 

2011年6月8日水曜日

 一粒の麦が地に落ちて



 長男ドミトリー「あるがままのロシア」、次男イワン「ヨーロッパ主義」
 三男アレクセイ「民衆の原理」をそれぞれ表現しているとされました。

 そしてこの3つの思潮=トロイカについての検事の論告の結びの部分は
 こうです。

 「われわれの宿命的なトロイカは、ことによると破滅に向かって
 まっしぐらに突き進んでいるのかもしれません。そして、すでに

 久しい以前からロシア全土で、この気違いじみたがむしゃらな疾走を
 止めようと、手がさしのべられ、訴えがなされているのです。」

 この後におこったロシア革命という歴史的事実を知っているので
 どうしてもこの論告をそれと結びつけてしまいます。

 「ヨーロッパ主義」のイワンが語った「大審問官」の世界も
 その後にやってくるファシズム・全体主義を予見しています。

 キリストが荒野で悪魔から守りきった良心の自由、その重さに耐えかねて
 人間はこれを放り出して大審問官の手に委ねてしまいます。

 エーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」という現象でしょう。

 それから半世紀後、ロシアでペレストロイカが起きます。
 ひょっとしてカラマーゾフのトロイカ論はそこまで予見していたのか!?

 これは誤解。ペレストロイカは、ペレス・トロイカではなく
 ペレ・ストロイカ(=リ・ストラクチャ)なので。

 現在、日本では大連立が議論されています。これが自由の重さに
 耐えかねたわれわれの自由からの逃走でなければよいのですが。
 

2011年6月7日火曜日

 好きなときに好きな本を読む自由



 ひきつづき「カラマーゾフの兄弟」

 古典はなんども再読すべきといわれますが
 大学時代は気づかなかったポイントがたくさんあります。

 ストーリーは、長男ドミートリーがやってもいない父親殺しで
 20年のシベリア懲役刑を受ける誤判・えん罪事件です。

 子が親を殺すことを尊属殺と呼び、封建的な理由などから
 一般の殺人より重く処罰する制度があります。

 日本もかってそうでした。
 この論点に関する有名な最高裁判決があります。

 実父からの長年の性的虐待に堪えかねて殺害に及んだ事件で
 このような場合でも重罰にする必要があるかが争点となりました。

 刑法が間違っているかどうかですから
 その合憲性が問題となります。

 最高裁は尊属に対する殺人への重罰規定を合憲としたものの、
 重罰すぎることが違憲であるとしました。

 この判決はきっかけに、重罰を軽くするのではなく
 尊属殺の規定自体がなくなりました。

 カラマーゾフ家でも、親の子に対する虐待はあり
 弁護人の弁論でも、フョードルに父の資格なしと決めつけられています。

 真犯人スメルジャコフもフョードルの婚外子のようであり
 そうであればこの関係でも尊属殺であり、おなじような背景があります。

 ドフトエススキーが第12編のタイトルを「誤審」としているので
 本件が誤判・えん罪事件であることは間違いありません。

 しかしながら、これは遠山の金さんや刑事コロンボとおなじように
 神のごとき作者がスメルジャコフのイワンに対する自白を聞いたからです。

 真犯人のスメルジャコフは裁判の前日自殺してしまいますし
 イワンは病気で錯乱してしまい信用できる証言にはなっていません。

 それゆえ、たとえ再審となっても、証拠関係からすれば
 やはりドミートリーの有罪が覆ることはないように思います。

 こう書いたからといってもちろん
 ドフトエススキーは法廷サスペンスを書いたわけではありません。

 「わがロシアの、国民的な刑事事件の多くが、まさしく何か普遍的なものを、
 われわれが麻痺してしまった社会全体の不幸を証明している」

 検事がこう論告するように、ドフトエススキーは本刑事事件を通じて
 普遍的なものや、当時のロシア社会の不幸を証明しようとしたのでしょう。

 同じく検事の論告によれば、長男ドミトリーは「あるがままのロシア」
 次男イワンは「ヨーロッパ主義」、三男アレクセイは「民衆の原理」を表現。

 そうとすれば作者は、あるがままのロシアがヨーロッパ主義によって毒されて
 つつある社会の不幸を民衆の原理により克服すべきといっているのか…。

 かくて、「終わりなき夏」の片岡さんが戦中、心から切望した
 好きなときに好きな本を読む自由と平和を享受する幸せを噛みしめました。
 

2011年6月6日月曜日

 「カラマーゾフの兄弟」読了!


                  (ドクダミ@うちの近所)

 「カラマーゾフの兄弟」(ドフトエフスキー著、原卓也訳、新潮文庫) 上、中、下巻、ようやく読み終わりました!

 大学時代に一度読みました。大審問官が凄い!
 文学部の友達とそう議論をしたのを覚えています。

 それから30年、社会人になってから話題にのぼるたびに
 再読しようと2~3回挑戦しましたが、途中で断念。

 社会人としてのテンポや感覚からすると
 カラマーゾフ的な世界にはつきあいきれん…という感じでした。

 それがこんかい読了できたのには
 わけがあると思います。

 このブログでご紹介したとおり、「終わらざる夏」(浅田次郎著、集英社) をちょっと前に読みました。

 「終わらざる夏」とは、太平洋戦争が1945(昭和20)年8月15日
 に終わらなかったという意味です。

 主人公のひとりである片岡直哉は東京にある翻訳書を出版社に勤務する
 兵隊としてはギリギリの年齢のサラリーマン。

 彼は英語ができることから、終戦交渉の通訳要員として秘密裏に
 米軍が侵攻してくることが予想された北海道へ派遣されます。

 その彼が読んでいたのがヘンリー・ミラーの小説「セクサス」
 アメリカでも風俗壊乱罪に問われたほど赤裸々な性描写があります。

 片岡は同書を翻訳して日本に紹介したいという夢をもっているものの
 当時の日本の情勢では当然許されるはずもありません。

 つまり、「セクサス」は片岡にとって見果てぬ自由と平和のシンボル
 「終わらざる夏」はその貴重さ、尊さを見事に描いていました。

 自由の女神に奉仕する弁護士としてはこれを読まざることはできない
 と考え、井上健訳の水声社版を購入してきて挑戦しました。

 しかしこれがとてつもなく読みづらい作品で
 自由の代価を思い知りました。それでも辛抱して読み通しました。

 そのせいか、いままで歯が立たなくて途中で放り出していた数冊を
 その後読み通すことができました。

 そして満をじして取り組んだのがカラマーゾフというわけ
 「終わらざる」のおかげで、読み終えることができました。
 

2011年6月4日土曜日

 キンシバイ



 キンシバイ?
 博多弁?禁止ばい?

 いやいや金糸梅
 花木の名前です。

 オトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉小低木
 ウメの花に似て、金糸のような雄しべがあることから。

 早良区百道にある福岡拘置所へ、被告人に面会にいく途中に
 咲いていました。

 拘置所は起訴前の被疑者、裁判中の被告人が逃亡したり
 証拠隠滅をしたりしないようにするための身柄拘束施設です。

 刑が確定すれば(実刑になれば)
 刑務所へ身柄は移されます。

 一般面会と異なり、弁護人としての面会(秘密交通権)は
 憲法上保障された被告人の権利です(憲法34条、37条)。

 そのため、入所、待合室、面会室、面会方法(立会いなし)も
 一般と異なる配慮がなされています。

 一般面会室では、拘置を受けている方々の家族や友人がたくさん
 順番を待っています。

 最近は弁護人面会控え室も弁護人がいっぱいです
 世の中が不景気になると、犯罪が増えるからでしょうか? 

 いま現在、控訴中、上告中の各被告人、起訴前拘留中の被疑者を
 計3人担当しています。

 待っていると、名前を呼ばれ
 複数ある面会室のひとつに入ります。

 遮蔽のガラス越しに詳細な打ち合わせをおこなうのは
 重労働でつかれます。

 長時間の面会を終えて帰途につくと
 キンシバイが待っていてくれました。

 花言葉は
 悲しみを止める、秘密、煌き

 われわれの活動が、いくらかでも悲しみを止め
 人生の煌きを取り戻すためのよすがになればいいのですが。
 

2011年6月3日金曜日

 地域弁護士の喜び



                   (シモツケ@うちの近所)

 中小企業家同友会・筑紫支部の担当役員さんがうちの事務所に集まり
 7月例会の打ち合わせをおこないました。

 帰り際に、役員さんのひとりAさんが事務所の入り口に貼っていた
 ポスターに目をとめられました。

 「東日本大震災・復興支援 みんなで愛とはげましの心を送るコンサート」
 のポスターです。

 復興支援へ愛とはげましの心を送る実行委員会の主催で
 5月21日、筑紫野文化会館でおこなわれたものです。

 Aさんは「Bさんからそのコンサートを薦められた」と話されたので
 うちはCさんに依頼されてそのポスターを貼っている旨話しました。

 AさんもCさんとは面識があられたので、
 「もとDで働いておられましたよね。」と話をつなぎました。

 Aさんは、そのことはご存じありませんでしたが
 「Dなら、うちの兄Eが働いていました。」と返されました。

 なんと、Eさんは私も知っていて
 むかし法律相談にのったことのある方でした。

 私が駆け出しの弁護士だったころDに関係する法律の勉強会が開かれ
 その際、CさんやEさんは中心メンバーで、とても親しい間柄でした。

 (その勉強会に参加されていたFさんは大学の先生になられていて
 うちの事務所で落合弁護士らと研究会をされています。)

 お互いびっくりしました。Aさんとは少し前からの知りあいでしたが
 Eさんのご兄弟だとはまったく知りませんでした。

 しばらく2人で、あまりに不思議なつながりを確認しあいました。
 Aさんとの距離がまたぐっと近くなった気がしました。

 これも私が駆け出しの弁護士だったころ、先輩弁護士から
 「裁判所のない地域に、弁護士がいる必要はない」といわれました。

 当時は動揺したものですが
 あれから25年、裁判所のない地域で弁護士をやってきました。

 人と人のつながりがこういう形で実感できる経験というのは
 東京、大阪はもちろん、福岡市内の弁護士でも乏しいでしょう。

 筑紫地域に根ざして弁護士をやってきた喜びを
 感じたひとときでした。
 

2011年6月2日木曜日

 爆音の滝ー宝満山の滝



 筑紫野市の吉木、大石の集落を経て米の山峠(飯塚)方面へ
 少しいくと猫谷川新道の登山口があります。

 手前の大石からは大谷尾根コース、先の本道寺からは提谷コース
 などがありますが、私は猫谷川新道コースが一番好きです。

 釣船岩から金の水、普池の窟、長崎鼻を経由して三郡山まで行き
 それから戻って仏頂山、宝満山に登り、太宰府側にくだります。

 猫谷川新道には名前をつけられた滝がたくさんあります。
 夫婦の滝、黎明の滝など。

 なかで、いつも笑ってしまうのがこの「爆音の滝」
 名前に似合わず、とても小音の滝です。

 宝満山名所の案内板にも
 「昔は滝の音が大きかったよう」と申し訳が書いてあります。

    滝の音は 絶えて久しく なりぬれど

             名こそ流れて なほ聞えけれ
    
                      大納言公任

 というわけです。
 (公任の歌は大覚寺の滝を歌ったものですが)

 昔は音が大きかったというのはほんとうだろうか?
 誰がその音の聞いたのだろう?

 そのようなことを考えていたら、いつのまにか
 疲れを忘れて高度をかせげているという仕掛けです。

 みなさんも一度いかが?

 ところで、太宰府の案内をされている櫻井裕子さんのHPに
 「熱心な宝満山ブロガーの方々のページへのリンク」というコーナーが。

 そのコーナーに、ちくし法律事務所の当ブログが紹介されていることが
 このたび判明しました。

 宝満山の登山者のなかには、毎日登っている方、日に何度も登っている方
 など猛者がたくさんおられます。

 諸先輩をさしおいて、へなちょこな案内記事を書きつつ
 叱られないかな…という心配をしておりました。 

 そんななか、さらに「熱心な宝満山ブロガー」と認定していただき
 とても光栄です。

 今後とも「熱心な宝満山ブロガー」の名に恥じないよう
 楽しい記事を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。
 

2011年6月1日水曜日

 ティーチ・フォー・アメリカ



 ひきつづきNPO法人のはなし
 共時性なのか感心が向くと話題のほうが寄ってきますね。

 昨日は太宰府ロータリークラブの例会(@大丸別荘)で
 夜須高原でおこなわれたライラセミナー報告がありました。

 ライラはロータリー青少年指導者要請プログラム
 (Rotary Youth Leadership Awards)の略RYLAのこと。

 テーマは「リーダーシップとは」で、小山田浩定氏
 (次期地区代表)が講演された由。そのなかでのお話。

 日本の一流大学の卒業生の人気ランキング上位は大企業
 だけれどもアメリカではティーチ・フォー・アメリカ(TFA)だとか。

 うかつなことに、この話題を知らなかったのですが
 TFAはニューヨークに本部を置く教育NPO。

 アメリカ国内の一流大学の卒業生を2年間、十分な教育が
 なされてこなかった地域に派遣する活動を実施。

 「いつか、すべての子供たちに」教育を
 という理念です。

 2010年には全米文系学生・就職先人気ランキングで
 GoogleやAppleをおさえて1位に。

 行政が解決してこなかった地域や社会の公的な課題を
 見事に解決しているわけで、まさしくNPOの面目躍如です。

 1989年にプリンストン大学のウェンディ・コップが
 卒業論文において論じたアイデアがその出発点だそう。

 これも映画「フェイスブック」でM・ザッカーバーグが
 企業した経緯とダブります。

 日本でも若い優秀な頭脳が一流企業に就職することばかりではなく
 このようなパイオニア分野に向けられることを期待したいものです。

 …というと、「近ごろの若いモンは」という話なので、そうではなく
 われわれ大人がそのような社会環境を整えていく必要がありますね。