2011年6月11日土曜日
テイカカズラ
テイカカズラ(定家葛)
キョウチクトウ科のつる性常緑低木
名前は、式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず
ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説から。
定家は、いわずと知れた新古今の代表的歌人。平安末から鎌倉初の
激動期を生き、御子左家の歌道の家としての地位を不動にしました。
父・藤原俊成の「幽玄」をさらに深化させて「有心」をとなえ
後世の歌に極めて大きな影響を残しました。
句切れ、語句の倒置・圧縮・飛躍、体言句の羅列などさまざまな
技を駆使しつつ、象徴的なイメージをつなぎあわせて一首に。
勅撰集『新古今和歌集』と『新勅撰和歌集』を撰進。
それより『小倉百人一首』の撰者として有名。
定家自身の作で百人一首に収められているのは
これ。
来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
この歌の本歌は
これ。
なきすみの 船瀬ゆ見ゆる 淡路島
松帆の浦の 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに
藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ
よしのなければ ますらをの 心はなしに たわやめの
思ひたわみて たもとほり 我はそ恋ふる 舟梶をなみ
笠金村・万葉集巻6ー935
松帆浦は兵庫県の淡路島の北の端にある松帆崎の海岸
磯に打ち寄せる波の向こうに、本州・明石市を望む。
彼氏は明石から舟をコイでやってくるのでしょうか
瀬戸内海に日は夕凪に海女の心は恋こがれています。
その定家が愛したとされるのが式子(ショクシ)内親王
平安時代末期の皇族で、後白河天皇の第3皇女です。
父・俊成のお弟子さんで
やはり新古今の代表的歌人として知られ、新三十六歌仙の1人。
内親王の歌のなかから定家が百人一首に撰んだのは
これ。
玉の緒よ たえなばたえね 長らへば
忍ぶることの よわりもぞする
小倉百人一首
内親王がこんな歌を詠んだ日には
列席した男どもはみな忍ぶ恋の相手は俺だ!と誤解したことでしょう。
定家に至ってはさすが、死後も彼女を忘れられず
ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたほどですから。
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