2011年6月7日火曜日

 好きなときに好きな本を読む自由



 ひきつづき「カラマーゾフの兄弟」

 古典はなんども再読すべきといわれますが
 大学時代は気づかなかったポイントがたくさんあります。

 ストーリーは、長男ドミートリーがやってもいない父親殺しで
 20年のシベリア懲役刑を受ける誤判・えん罪事件です。

 子が親を殺すことを尊属殺と呼び、封建的な理由などから
 一般の殺人より重く処罰する制度があります。

 日本もかってそうでした。
 この論点に関する有名な最高裁判決があります。

 実父からの長年の性的虐待に堪えかねて殺害に及んだ事件で
 このような場合でも重罰にする必要があるかが争点となりました。

 刑法が間違っているかどうかですから
 その合憲性が問題となります。

 最高裁は尊属に対する殺人への重罰規定を合憲としたものの、
 重罰すぎることが違憲であるとしました。

 この判決はきっかけに、重罰を軽くするのではなく
 尊属殺の規定自体がなくなりました。

 カラマーゾフ家でも、親の子に対する虐待はあり
 弁護人の弁論でも、フョードルに父の資格なしと決めつけられています。

 真犯人スメルジャコフもフョードルの婚外子のようであり
 そうであればこの関係でも尊属殺であり、おなじような背景があります。

 ドフトエススキーが第12編のタイトルを「誤審」としているので
 本件が誤判・えん罪事件であることは間違いありません。

 しかしながら、これは遠山の金さんや刑事コロンボとおなじように
 神のごとき作者がスメルジャコフのイワンに対する自白を聞いたからです。

 真犯人のスメルジャコフは裁判の前日自殺してしまいますし
 イワンは病気で錯乱してしまい信用できる証言にはなっていません。

 それゆえ、たとえ再審となっても、証拠関係からすれば
 やはりドミートリーの有罪が覆ることはないように思います。

 こう書いたからといってもちろん
 ドフトエススキーは法廷サスペンスを書いたわけではありません。

 「わがロシアの、国民的な刑事事件の多くが、まさしく何か普遍的なものを、
 われわれが麻痺してしまった社会全体の不幸を証明している」

 検事がこう論告するように、ドフトエススキーは本刑事事件を通じて
 普遍的なものや、当時のロシア社会の不幸を証明しようとしたのでしょう。

 同じく検事の論告によれば、長男ドミトリーは「あるがままのロシア」
 次男イワンは「ヨーロッパ主義」、三男アレクセイは「民衆の原理」を表現。

 そうとすれば作者は、あるがままのロシアがヨーロッパ主義によって毒されて
 つつある社会の不幸を民衆の原理により克服すべきといっているのか…。

 かくて、「終わりなき夏」の片岡さんが戦中、心から切望した
 好きなときに好きな本を読む自由と平和を享受する幸せを噛みしめました。
 

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