2023年12月13日水曜日

最近解決した遺産分割調停事件5件

 

 ここのところ遺産分割調停事件がつづけざまに5件解決した。

遺産分割事件は、相続人の数・親疎と遺産の内容によって難しさが決まる。相続人の数が増えれば増えるほど、相続人どうしが親しくなければないほど困難さは増す。ときには数次相続など、被相続人が複数いらっしゃる場合もある。遺産の内容が現金だけであれば分割しやすいし、不動産だけであれば分割が困難だ。

1件目。相続人は伯母と姪2人、福岡と関東であまり交流はなかった。福岡の伯母から依頼を受けた。遺産は比較的広い土地がひとつだけ。現物分割といって、不動産を2筆に分割した。問題は分割の仕方である。相手は2等分を要求し、当方は広い道に接しているほうを狭くする案を提案した。交渉が決裂したので、調停を申し立てた。結局、当方の案が通った。

2件目・3件目。被相続人がお二人。相続人は共有している方々とそうでない方々に分かれた。どちらもめぼしい遺産は不動産のみ。これらも交渉で解決できず、調停となった。遺産を売却して、代金から経費を差し引き、残ったお金を分配した(換価分割)。争いになったのは経費のなかみ。不動産を売却するのだから、建物解体費、残置動産(家財道具)の処分費用、測量費、譲渡所得税・市県民税・税理士費用、登記費用はOKとなったが、弁護士費用はダメとおっしゃるかたがいたのでその方の分だけ控除できなかった。

4件目。相続人は5人。被相続人と懇意にしていた方が当職の依頼人。遺産は主に不動産。相続開始後、近所のクレームを受け、不動産の管理費を支出されていた。これも調停に。他の相続人は、4人のうち、1人は成年後見人が、1人は未成年後見人がついておられた。さらに1人は東京の方で、一度も出席されなかった。難しかったのは後見人の先生方。不動産を売却して分配しようとしたが、経費についてうるさく注文をつけ、代償金による解決を要求した(代償金分割)。依頼人の了解を得て、なんとか解決することができた。

5件目。相続人は妻、子二人。子の一人から依頼を受けた。交渉で解決せず、遠方の家庭裁判所に調停を申し立てた。遺産は主に不動産。不動産の価格が主な争点となった。遠方の不動産ゆえ、時価の把握が困難だった。また相手方から、新民法で新たに創設された配偶者居住権の主張がなされた。協議を重ねるうち、相手の譲歩を引き出すことができ、無事解決することができた。

福岡市や筑紫地区は不動産市場がひきしまっていて、売りに出せばすぐに買い手がつく。そして比較的高値で売れることが多い。そうでない場合に比べて、遺産分割事件を解決しやすい。現金は分割しやすい。不動産は分割しにくい。売買できれば不動産が現金に変わるわけだから、遺産分割が容易になる。

しかし逆に困難になる場合がある。未解決な事件はそんなケースだ。現物分割や換価分割ができればよい。しかし代償金分割となると、不動産の評価があまりに高いと代償金が用意できなくなってしまうからだ。このため、ある事件がいまだ解決できず調停がつづいている。解決できた暁にはまた報告したい。

2023年12月12日火曜日

機械の利用料を請求されたある事件(勝訴的和解)

 

 山行記・旅行記ばかり書いているが、事件もちゃんと解決している。きょうは機械利用料を請求されたある事件について報告しよう。

ある組合員、Aさんとしよう。Aさんはある機械利用組合から機械の利用料を支払えと訴えられた。その額は約800万円である。当職はAさんから依頼を受けた。

請求にかかる機械についてAさんは一切利用していない。したがって、そのような利用料は1円も支払う義務がないと争った(これだけではなんのことやら分からない。組合は全組合員に利用義務があることを前提としていた。)。

むこうには弁護士が2名ついていて、弁護士の数だけでいえば、劣勢である。

機械利用組合というのは、農業の集団化・合理化のため行政主導で設立されたものである。農業に使う機械を個人で購入・所有するのはムダも多いので、組合で購入・所有し、みんなで利用しようという目的である。

組合の請求根拠は当初、組合規約に基づくとのことだった。しかし、規約を熟読するも、どこにもそのようなことは書いていない。

そのように指摘すると、今度は組合設立時にそのような黙示の合意がなされたと請求の根拠を変更した。

その証拠の存否を尋ねると、それを明記した規約も議事録も契約書も存在しないという。情況証拠の積み重ねで当該合意の存在を推認できるという。

組合員に対し800万円もの大金を請求する裁判を提起しながら、その根拠は情況証拠の組合せであるという。むちゃだ。

そのように反論するも、組合側もなかなかあきらめない。結局、証人尋問がおこなわれた。いまどき珍しい。本格的な証人尋問はコロナ後、初ではなかろうか。

尋問終了後、裁判長から心証開示があった。当方の勝ちだという。組合側はそれでもあきらめなかった。往生際が悪い。

最終準備書面を提出することになった。心証開示の結果からすれば手を抜いてもよかったが、心血を注いで説得力のある自信作を完成させた。21頁の大作だ。

双方、最終準備書面を提出し、結審。判決日の予告がなされた。

・・・それから数日経って、山を歩いていると、組合側の弁護士から電話があった。和解したいという。最終準備書面の説得力のなせる技であろうか。その旨Aさんに連絡をしたところ、和解するとの了承を得た。

和解内容は、もちろんこちら側の全面勝訴である。めでたし、めでたし。

2023年12月11日月曜日

マジカルミステリーツアー(4)

 



 最終日はまたまた強風雨となった。さてどうしよう。やはり芭蕉の足跡をたどろうか。そうだ、甲冑堂へ行こう!だが、甲冑堂は『おくのほそ道』にはでてこない。なぜか。

実は芭蕉の足跡には2種類ある。一つはもちろん『おくのほそ道』に記された足跡である。もう一つは芭蕉に随行した曽良が書いた『曽良旅日記』に記された足跡である。

『曽良旅日記』は長らく行方がしれなかった。それが1943年(昭和18年)に再発見された。その後、重要文化財となっている。

2人旅であるから、両者の足跡は一致しているはず。だが、実は一致していないところがある。どちらの記載が実際の足跡だろうか。

刑事訴訟では、反対尋問を経ない証拠は、いわゆる伝聞証拠であるとして受け入れられない。しかし、いくつかの例外がある。その一つ。商業帳簿、航海日誌その他業務の通常の過程にいて作成された書面は、例外とされている。

『曽良旅日記』は、その内容・体裁からここでいう航海日誌に近いものである。それゆえ、実際の足跡どおり忠実に記載がなされているものと思われる(曽良が幕府の隠密であり、そうとはかぎらないという点は別論である。)。

そこから、『おくのほそ道』の創作性が明らかとなった。『おくのほそ道』を読むと、一見、紀行文ふうに書かれているので、それまではみな、実際の足跡に忠実に書かれていると思い込んでいた。

ところが、実際の足跡により忠実な『曽良旅日記』が発見され、それと比較することが可能となった。その結果、『おくのほそ道』が創作物であること、すなわちその「文学」性が明らかとなったのである。

両者が一致しないところの一つが飯塚の里と笠島のくだり。まず、『おくのほそ道』。

(飯塚)
 ・・・またからはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも、ふたりの嫁がしるし、まづあはれなり。女なれどもかひがひしき名の世に聞こえつるものかなと、袂をぬらしぬ。

(鐙摺・白石)
 鐙摺・白石の白を過ぎ、・・・。

つぎに、『曽良旅日記』。

(飯塚)
・・・佐藤庄司ノ寺有。寺ノ門へ不入。西ノ方ヘ行。堂有。堂ノ後ノ方ニ庄司夫婦ノ石塔有。堂ノ北ノワキニ兄弟ノ石塔有。・・・

(鐙摺・白石)
・・・万ギ沼・万ギ山有。ソノ下ノ道、アブミコハシト云岩有。二町程下リテ右ノ方ニ、次信・忠信が妻ノ御影堂有。同晩、白石ニ宿ス。

現地に行けば、どちらが実物に即しているかは明白。いまでも『曽良旅日記』に書かれたとおりである。『おくのほそ道』は現地の実情に即してはいない。

飯塚の里は、佐藤庄司が治めていた。かれは奥州藤原氏の被官である。源頼朝に攻められて、奥州藤原氏とともに滅亡した。

かれの息子2人が次信と忠信である。ふたりとも源義経の忠臣であり、『平家物語』をはじめ、歌舞伎でも活躍する。

「ふたりの嫁」は次信と忠信の嫁のこと。次信と忠信の無事な帰還をまちわびる義母(つまり佐藤庄司の妻)のため、甲冑を着て無事の帰還を演じ義母を慰めたという。

飯塚の里に医王寺がある。医王寺には佐藤庄司夫婦の石塔や兄弟の石塔はあるけれど、「ふたりの嫁のしるし」は存在しない。

「ふたりの嫁のしるし」があったのは、鐙壊し(鐙摺)の先にある甲冑堂である。芭蕉は両者を融合させ、文章を引き締めたものと思われる。

こうして甲冑堂は『おくのほそ道』にそれとして記述されなかったが、そこで「ふたりの嫁のしるし」は拝見することができる。

・・・ことになっている。この日、甲冑堂を訪れたところ、強風雨のため閉鎖されていた。しかしあきらめきれない。

強風雨のなか、JR越河駅から道に迷いつつ、歩いてようやくここまで辿り着いたのである。

神主さんのご自宅を訪ね、玄関で声をかけた。80歳くらいの年輩のご夫人があらわれた。きょうは強風雨のため、甲冑堂の開張はできないという。

そこをなんとか、福岡から来たんです!と食い下がったところ、ご夫人は義経のこと、芭蕉のこと、甲冑堂のこと、これまで訪ねてきた客のこと、維持管理がたいへんなこと、行政が冷たいことなど延々と30分以上語りに語った。

こっ、これはいかん。ご開張に代えて、その埋め合わせに「語り」で済ませるおつもりではあるまいか。それはそれでとても面白い「語り」ではあったが、それでは証拠写真がとれないではないか。

玄関先をみると、お守りや甲冑堂の来歴をしらせる資料等が販売されていた。これください!ついでに拝観料もお支払いします!

これにご夫人は負けたという表情を浮かべられた。やった!かくて甲冑堂前のたたかいに勝利し、ふたりの嫁に対面することがかなったのであった。めでたし、めでたし。

2023年12月8日金曜日

マジカルミステリーツアー(3)

 





 赤倉温泉駅から陸羽東線を古川に戻る。そこから東北新幹線で盛岡へ向かう。列車は全席指定のはやぶさだ。なんと1両貸切。他に客はいない。これも山の神のご接待か。恐れ多い。

北上駅あたりから東をのぞむ。あのあたりが遠野だろうか、早池峰山だろうか。まもなく新花巻を通過。時間があれば訪ねたいところだ。最近でいえば早池峰山に登ったときに訪ねたきりだ。それでももう10年以上前になる。

盛岡でおり、ホテルに向かう。北上川にかかる開運橋を渡る。北を見ると、岩手山が美しい姿をみせていた。西側に雲がすこしかかっているので、上空は風が強そう。でもこれなら、明日は登れそうだ。開運橋は開雲橋。

岩手山の美しい姿をみると、NHKの朝ドラ「どんど晴れ」(2007年)を思い出す。比嘉愛未が旅館の若女将を好演した。旅館の格式と奮闘しながら成長し、民話との運命的な再会を果たす。その不思議な魅力に、まわりは彼女に開運の座敷童(ざしきわらし)を幻視する。

ドラマ制作のねらいは、目に見えるものしか価値をもたなくなった現代人に欠けている「見えないものを信じる勇気と力」を描こうとしたとされる。

『星の王子さま』や『ロード・オブ・ザ・リング』を共通するテーマ。『遠野物語』の遠野があり、『銀河鉄道の夜』などを書いた宮沢賢治の拠点であった岩手を舞台としたことで、テーマを効果的に描くことができた。欠かさず見た記憶だ。もちろん、オーディションで選ばれた比嘉愛未の可愛いさにハートを打ち抜かれたせいもあったが。

翌日は岩手山に登った。標高2038メートルの百名山。宮沢賢治も中学時代から登り、30回以上は登ったという。ぼくは13年ほどまえに1度、今回が2度目である。以前は迫田弁護士夫婦、石井弁護士の4人で登った。宿で握ってもらった秋田こまちのおにぎりの味が絶品だった思い出がある。

岩手山は、どこよりも地元の人たちに愛されている山だ。東北なまりが行き交い、雰囲気があたたかい。若者から高齢者まで。70歳、80歳とお見受けするおじいさん、おばあさんがたくさん登られている。あの年齢で、足は、腰はだいじょうぶか?といらぬ心配をしてしまう。

70歳、80歳のかたがたに混じって最初は余裕だったが、くだりではそうとうバテてしまた。それもそのはず、この日の万歩計は37,000歩を歩いたと告げていた。平地ならともかく、その半分は登りである。バテたはずだ。

2023年12月7日木曜日

マジカルミステリーツアー(2)

 

 翌朝目が覚めた。深夜に目覚めることもなく、うなされることもなく、座敷わらしに会うこともなく、神隠しにあうこともなく。朝の光のなか、さっそく一風呂浴びた。さっぱりした。贅沢。食堂はやはり一人。昨夜の嵐はややおさまっている。

鳴子御殿湯駅まで歩いてJR陸羽東線に乗る。鳴子温泉駅で下車。鳴子峡まで歩くが、紅葉はまだまだ(10月上旬ゆえ)。

駅に戻り、陸羽東線を東へ向かう。途中、堺田という駅がある。駅をおりれば芭蕉が泊まった封人の家がある。

 ・・・やうやう(あれ?パソコンが固まって動かなくなった。しばらくして回復。)として関を越す。大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留す。

 蚤虱馬の尿する枕もと(のみしらみうまのばりするまくらもと)

さらにJRでいくと赤倉温泉駅がある。そこからおくのほそ道の旅の最大の難所、山刀伐峠(なたぎりとうげ)をめざす。名前だけでも恐ろしい。

時間の関係で、登山口までタクシーを利用し、そこから峠まで往復する計画だった。10分ほどしてずんぐりした体格の青年の運転するタクシーがやってきた。おくのほそ道の記述が頭をよぎる。

 あるじのいはく、これより出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究きょうの若者、反脇指(そりわきざし)を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く。

青年運転手によると、山刀伐峠は登山口から峠までを往復しても悪くないが、やはり尾花沢まで抜けたほうがいいという。しかもタクシー代は登山口までの往復料金にまけてくれるという。

青年の好意に甘えて、そうすることにした。登山口ではスマホで写メを撮ってくれた。そうしていると、驟雨がやってきた。

クマがでるという。運転手はクマ脅しの道具を貸してくれた。残念ながら、おくのほそ道の旅のように、道案内まではしてくれないらしい。

おくのほそ道の記述にたがわず、深山幽谷、樹齢数百年と思われるブナの美林がつづいていた。そこを九十九折りに登っていく。深閑としている。かすかな異音にクマではないかと怯える。他に誰も人はいない。

・・・あるじのいふにたがわず、高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。

ようよう峠についた。やはり人はいない。東屋のほか、子持ち杉、子持ち地蔵尊が祭られている。温泉街で買った弁当、それとミカンを食す。鳴子温泉で買ったのに、ミカンは熊本県産である。くまモンのマークがついている。

食べ物のにおいにクマが寄ってくるといけないので、そそくさと食べ終わる。一服することもなく、尾花沢(最上)側へ降りていく。・・・そろそろ山の中腹かと思うころ、驚いて跳ね飛んだ。人生で最長不倒距離を跳んだ。

なんと、300キロはあろうかという成獣のクマが昼寝していた。クマが寝るのであれば、うつ伏せであろうが、仰向けに寝ていた。まるでくまモンのイラストのよう。死んでいたのかもしれない。慌てて逃げ出したので、生死の確認はできなかった。

転がるようにして坂を駆け下りた。タクシーとの待合せ場所についた。ひゃーたすかった。芭蕉の記述以上に怖い思いをした。ふうー。

・・・雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水を渡り、岩に躓いて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せし男のいふやう、「この道必ず不用のことあり。恙なう送りまいゐらせて、仕合はせしたり」と、喜びて別れぬ。後に聞きてさえ、胸とどろくのみなり。

あのクマは山の神だったのだろうか。この日、カメラの不具合で写真は一枚も撮れていなかった。登山口で青年運転手が撮ってくれた写メだけが手もとに残った。なんと、芭蕉の句を入れ、写真立てに入れてプレゼントしてくれた。

それにしても息もとまりそうな、不思議な体験だった。

2023年12月6日水曜日

マジカルミステリーツアー(1)

 



 異様な旅だったので、これまでどうしようか迷っていたが、概要だけでも書き留めておこうと思う。

ときは10月の連休。あの『遠野物語』の舞台となった遠野を東にのぞみながら、宮城北部から岩手に至る旅だった。遠野に天狗、河童、座敷童などの妖怪がいて、神隠しが存在するのであれば、これら地域にそれらが存在してもおかしくない。

当初は、森吉山、和賀岳、秋田駒ヶ岳という秋田の二百名山をめぐる旅を計画していた。しかし、数日前の天気予報で、予定日はいずれも強い寒気と強風が吹き荒れることが予想されていた。

実際、これらの日々に登山を強行されたかたがたのなかからは、低体温症で亡くなられたかたも少なくなかった。このことは以前にも書いた。

ぼくは登山をあきらめて、芭蕉のおくのほそ道の旅をたどることにした。おくのほそ道の旅は80%くらいはたどることができていた。残るは数カ所。

なかでも難所は、尿前(しとまえ)の関から山刀伐(なたぎり)峠を越えて尾花沢までのルートだ。芭蕉も苦労したらしい。おくのほそ道きっての難ルートだ。

連休の直前になっての転針であるから宿の確保ができるか心配した。が、なぜか、鳴子温泉のある旅館を予約することができた。そのときは、予約できたことに安心してそれ以上の探索をやめてしまった。

当日は予報どおり風が強く、飛行機はなんとか仙台空港に着陸できたものの、そこから先の在来線、新幹線は乱れに乱れていた。

新幹線の古河駅から海側へ向かう路線は強風のため運休していた。しかし山側へ向かう路線は遅れながらも運行していた。途中、岩出山など、おくのほそ道で馴染みの地名などがある。

鳴子温泉駅でおり、尿前の関まで歩いた。ふるくは陸奥・出羽の境であった。そのため怪しい人の出入りを厳しくチェックする関があった。

 南部道遙かに見やりて、岩出の里に泊まる。小黒崎・みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて・・・。

日も暮れてきたので、あわてて宿に向かう。帳場で宿泊手続を行った。湯の種類は4種あり、温泉好きにはたまらないようだ。

部屋に案内された。・・・。唖然。壁がボロボロだ。誰かが凹ましたままになっている。寂れているなぁ。

まぁいい。温泉さえよければ。・・・。呆然。河童でもでそうで怖い。そさくさと湯につかる。

風呂のあとは夕食。食堂にむかう。・・・。なんと宿泊客はぼく一人のようだ。背筋がゾクゾクする。

部屋に戻る。風雨で、窓がガタガタとなっている。窓枠が外れそうだが、だいじょうぶだろうか。

あらためて検索していみる。その旅館の名前を入力すると、予測変換の文字が。なんと「恐怖」とか「怖い」とか。ぞーっ。

そのとき。タカタカタカ・・・。窓の外を、なにものかが走り抜けた音がした。あわててカーテンをどけて窓の外を見分する。漆黒の闇に、樹木の枝葉が揺れ、雨が窓ガラスを打っている。窓の外は切れ落ちていて、なにものかが通れる余地はない。

なんだったのだろう?天狗か妖怪か?ネコだったと信じたい。今夜、眠れるだろうか?心配しながら、すこし湿気った布団に入る。

2023年12月1日金曜日

U弁護士の事件簿①-黒百合事件

 
 
 わが事務所にはオンラインのスケジュールボードがある。7人の弁護士、9人の事務局の予定が一覧できるようになっている。

これにより、各弁護士のスケジュール管理、事務所会議、弁護士会議、事務局会議、共同受任事件など複数弁護士・事務局の日程調整や新規相談の担当決めなどを行っている。便利だ。

本日をみると、顧客との相談や打合せのほか、U弁護士が破産債権者集会、TN弁護士が精神保健審査会、TM弁護士があいゆう電話相談、M弁護士が芝居の稽古などで外出することがわかる。

TN弁護士らのボードにはアスベスト訴訟、TM弁護士のボードにはHPV訴訟や結婚の自由訴訟などの用事が書き込まれていることが多い。

かように、ボードには相談者・依頼者の名前や、事件名、参加する団体・行事名などが多様に記載されている。

忘れるといけないから、公的な行事だけでなく、私的なイベントも書き込んでいる。つまり、プライベートもある程度、事務所内では筒抜けである。

そんなある日。U弁護士のスケジュール欄に、12月1日9時から「黒百合」と書き込みがなされた。黒百合?黒百合様だろうか、黒百合事件だろうか?

なにか不穏なにおいがする。黒歴史とか黒執事とかに連なる。花言葉には呪いというのがある。あまりよい印象ではない。

秘書さんたちの間ではさまざまな憶測が流れた。あれはU弁護士がおつきあいしている女性の名前かもしれない。きっと悪い女にちがいない。・・

きのう夕方、そうした憶測がふくらんで頂点に達した。そしてついに、真相があかされた。「ああ、あれ? あれは山小屋の名前。」。えーっ。

黒百合は岳人の間で人気の高山植物である。他の高山植物のように、どこででも出会えるというものではない。希少価値が高いのである。

ここで「黒百合」というのは、八ヶ岳にある黒百合ヒュッテという山小屋の名前である。天狗岳の北側稜線沿いにある。八ヶ岳を縦走する際、便利な小屋である。

https://www.yamatan.net/hut/kuroyurihutte

U弁護士はその小屋での年越しを計画していた。新年を雪山で迎え、初日の出を雪の稜線で拝したいと。

コロナ禍以降、山小屋は予約が必要である。その予約は1か月前からでないと、受け付けられない。その予約をするのを忘れないよう、12月1日9時の蘭に「黒百合」と書いておいたのである。

・・・けさ7時20分、ネット予約をすべく小屋の空き状況を確認した。すると、なんともう満室。

https://www.yamatan.net/hut/kuroyurihutte/plan?year=2023&month=12

うぐっ。岳人が考えることはみな同じ。しかも朝が早い。行動が早い。しかたがない、プランBを考えないといけない。

かくてきょうもU弁護士の孤独なたたかいは続くのだった(「孤独のグルメ」を踏まえて)。

                                   (つづく)