2010年12月26日日曜日
森の謎の犯人はうなぎだった!?
村上春樹ワールドの
タイやヒラメの見事な舞い踊りに見惚れているうちに
いつのまにやら日が経ちました。
そろそろ森を脱出して、現実の世界に戻らねば
と思うきょうこのごろです。
村上さんの作品を読んだことのない人や
あまり好きではないという人には
申し訳なく思いつつも
長々と書いてしまいました。
ま、それほどにおもしろい世界であるということでして。
騙されたと思って一度読んでみてください。
それでも「ノルウェイの森」を読んだけど
さっぱり分からなかっただとか
あんまり癒されなかっただとか
そういうことはあると思います。
「まず最初にあなたに理解してほしいのはここが
いわゆる一般的な『病院』じゃないってことなの。
てっとりばやく言えば、ここは治療するところではなく
療養するところなの。…
人々は自発的にここに入って自発的にここから出ていくの。
そしてここに入ることができるのはそういう療法に向いた人達だけなの。
誰でも入れるというんじゃなくて専門的な治療を必要とする人は
そのケースに応じて専門的な病院に行くことになるの。
そこまではわかる?」
(「阿美寮」についてのレイコさんの説明)
というわけでして
村上ワールド療養に向かない人達には、ごめんなさい。
村上さんの世界にこうも馴染むようになったのは
わけがあります。
薬害肝炎の被害立証がはじまろうとしていたころ
若手弁護士たちは大きな壁にぶつかっていました。
それまで薬害責任論を長い時間かけてやってきたせいで
行政的・科学的な議論に頭が凝り固まっていて
イマジネーションが枯渇していました。
O Freunde, nicht diese Töne!
という感じ。
そんなとき久保井弁護士からまことに適切なアドバイスが
投げかけられました。
久保井さんは、あの困難なハンセン病訴訟における
被害立証の責任者でした。
ハンセン病被害は、90年間におよぶ多様な被害が幾重にも
積み重なっていましたから、その立証は困難を極めました。
それを見事にやり遂げたのですから
集団訴訟における被害立証の第一人者なわけです。
久保井さんはハンセン病訴訟の被害立証に携わり、ある時点から
「この尋問で原告が語っていることは、まさに原告が語りたかったこと
であり、かつ、被害の本質である」という確信を抱いたといいます。
そのような立証ができたのは、振り返れば
そこに「うなぎ」がいたからだ、というのです。
「うなぎ」とはなにか?
村上さんは柴田元幸さんとの対談でつぎのように語っています。
(「柴田元幸と9人の作家達」2004年)
「僕はいつも、小説というのは三者協議じゃなくちゃいけない
と言うんですよ」
「三者協議?」
「三者協議。僕は『うなぎ説』というのを持っているんです。
僕という書き手がいて、読者がいますよね。
でもその二人だけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。
そこにうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの」
「…読者と作家とのあいだだけで。ある場合には批評家も入るかもしれない
けど、やりとりが行われていて、それで煮詰まっちゃうんですよね。
そうすると『お文学』になっちゃう。
でも、三人いると、二人でわからなければ
『じゃ、ちょっとうなぎに訊いてみようか』ということになります。
するとうなぎが答えてくれるんだけど
おかげで謎がよけいに深まったりする。
そういう感じで小説書かないと、書いてておもしろくないですよ」
こうして久保井さん=村上さん=うなぎクンのアドバイスのもと
弁護団の若手のあいだにも自由な地平が新たに開け
なんとか被害立証を遂げることができました。
傍聴席で聴いていて、意味のわからない
謎の質問はうなぎクンのせいなわけです。
というわけで、村上さんには恩義を感じているわけです。
それを別にしても「ノルウェイの森」にも
うなぎが投げかけたと思われる謎がいっぱい。
これがもうめっぽうおもしろい
答えをつかまえたと思ったら、するりと抜けてしまいます。
私自身も弁護士になったころからしばらく
フィクションを受け付けない時期がありました。
40代前半に例の「読書の師匠」(11月「静子の日常」参照)に巡りあい
その薦めで読んだ小説がどれもおもしろく感じ
それからまた小説を読むようになりました。
長い人生ですからその時々の情況・気分におうじて
自分に語りかけてくる時期、自分を癒してくれる時期など
あると思います。
いまはどうもという人も、しばらくすれば
うなぎクンが成長して
語りかけ、癒してくれるのでは?
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