2010年12月14日火曜日

 ざわめく影の樹々のなかで



 丸谷才一さんの「樹影譚」は、題名からわかるように
 主人公たちの「樹影フェチ」の性癖を動力源として物語が展開
 彼らはなぜ自分が「樹影フェチ」なのか、その謎を探つていきます。
  
   それなのに、影しか写つてゐない写真にこだはつたのは、
   ここを探ればまだ何かが出て来さうな予感がしたからだ。
   老作家は、三人の作中人物といつしよに生きて
   彼らの人生を長編小説の本筋とからめながら、
   他方、自分と樹の影との関係を探らうと努め、
   さうしてゐるうちに、
   ふと、雑誌から切抜いた写真を思ひ出したのである。

 古屋にとつての「樹木フェチ」の由来は
 (つまり、最後のマトリョーシカ人形でもあるわけですが)
 自己のアイデンティテイをゆるがす衝撃の事実…。

 自分の性癖の原因を分析することにより
 自己の無意識にひそむコンプレックスをさぐりあてるという作業は
 まさに精神・心理分析。

 さういえば村上春樹さんも河合隼雄さんと仲がいいですもんね
 村上さんが「樹影譚」を推す深層心理にはそこら辺があるのかも。

 クライマックス、古屋と老婆の会談(怪談)は
 まるで恩田陸さんの「常野物語」「エンド・ゲーム」のよう
 裏返さなければ裏返される??

 丸谷さんのお得意な(お好きな)
 意識と無意識、近代と古代の相克・往来
 老婆はグレートマザーなのでせうか?

 われわれも強いストレスにさらされたりすると
 なにやら独り言をつぶやいてしまって
 自分でもビックリすることがありますよね。

 真相をこじあける呪文はこの独り言
 「呪怨、呪怨、呪怨」ぢやなくて
 「樹影、樹影、樹影」。

 ラストは、ざわめく影の樹々のなかで
 フロイト的な精神分析からユング的な集合無意識の解明に達したのか
 まるで「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」
 のラストのよう。

 古屋のばあい、アウターではなく
 インナー・スペース・オデッセイなのでせうが。

 ※丸谷さんはこの時間オデッセイの手法が大好き(フェチ)なようで
 「女ざかり」のナカニワ類似の描写があります(さてどこでせう?)。
 

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