2010年12月19日日曜日
僕はオイディプス王?
「運命に立ち向かう」のなかで、「ノルウェイの森」の
僕が神話上のオイディプス王で、緑はエレクトラだといいました。
ほんとうにそのような読みでいいのでしょうか?
この読みを支持する証拠があります。
たとえば、僕と直子はこんなやりとりをしています(6章)。
「こんな風にしてるとなんだか昔みたいじゃない?」
と直子は言った。
「あれは昔じゃないよ。今年の春だぜ」と僕は笑って言った。
「今年の春までそうしてたんだ。あれが昔だったら十年前は
古代史になっちゃうよ」
「古代史みたいなものよ」
それから僕が読んでいた本
18歳の年の僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの
「ケンタウロス」だったとあります(3章)。
ケンタウロスは、ギリシア神話に登場する怪物
首から下が馬、首から上が人間のハイブリッドな姿をし
好色で酒好きの暴れ者です。
小説や映画によくでてきます
「ハリーポッター」にも出てきました。
登場人物が2つのもののハイブリッドであることは
本小説の重要な仕掛けです。
後半(11章)、僕は自分がおかれた状況について
迷宮になげこまれたようだと嘆いていますが
そこにはやはり牛頭人身の怪物ミノタウロスが。
ジョン・アップダイクの小説は
ギリシア神話を下敷きに描く田舎町の高校教師の悲喜劇。
高校教師はケイロン(ケンタウロス)、美しい女教師はアフロディテ
校長はゼウス、ケイロンの息子はプロメテウス。
ケイロンは、医学の祖、数々の英雄を教育した賢者で不死
アフロディテは、愛と美と性を司る女神
ゼウスは、主神たる全能の存在、雷を司る天空神、神々の王
プロメテウスは、天界の火を盗み人間に伝えたとされます。
表面上は、アメリカの田舎町でおこる高校教師の悲喜劇は
一枚めくれば、オリンポスの神々の叙事詩でもあるわけです。
こういう手法はジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」をはじめ
西洋文学では一般的な手法。
(欧米か!)
そもそもエディプス・コンプレックスという精神分析学上の呼び名も
この手法のひとつ。
「ノルウェイの森」もこのことを踏まえて読む必要があり
僕はオイディプス王でもあり、緑はエレクトラでもありそうです。
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