2010年12月24日金曜日

 「魔の山」に上る


 「ノルウェイの森」も、修験道とおなじ
 霊山に分け入り悟りを得る話だといえば
 「またまた自分の趣味にひきつけて~」といわれそうですが
 いや、ほんとです。

 「ノルウェイの森」の中央にも「魔の山」がそびえ
 僕はそこに上って下りてきます。
 (「登る」ではなく「上る」という表記は、作中で
 「登山ルートを上りはじめた。」とあることによります)

 小説は全部で11章からなり
 その真中の6章が「魔の山」、物語のピークになっています。

 (10章でも「阿美寮」へ行っていますが、6章とちがい
 「魔の山」に上ったようには書かれていません)

 「魔の山」に上ることは物語の早い段階から予定されています。

 直子は僕に(「阿美寮」の)共同生活ができるかどうか訊ね
 父親が山登りが好きだったせいで、小さい頃から日曜日になると
 山登りしてたのと言っています(2章)。

 例によって、僕がトーマス・マンの「魔の山」を読むことで
 「阿美寮」=「魔の山」であることが示されています(4~6章)。

 「魔の山」は、主人公のハンス・カストルプ青年が
 危機的な状況にある外界(第一次世界大戦前のヨーロッパ)から
 アルプス山中にある結核療養所に7年間入所し
 様々な人物との出会いや語りから学び成長していく話です。

 「魔の山」が、結核を患った主人公の成長を促すのは、そこで
 様々な人物が深い話を主人公に語りかけるからです。
             
 「阿美寮」で語られる、レイコさんと直子の話は圧巻
 本作のクライマックスで、読みながら背筋がゾクゾクします。
 
 このような主人公の心理的・精神的成長を描くものは
 ビルドゥングスロマン(教養小説)。

 ドイツ人が大好きなジャンルで
 小林書店で僕が読んだヘッセの「車輪の下」もそう。

 「ノルウェイの森」は、「魔の山」の章にとどまらず
 全体が教養小説的です。

 僕が袋小路に入り込むと必ず誰かがちゃんとリードしてくれ
 「突撃隊」でさえ僕をカオスから救い出す役割をしています。

 「魔の山」が、主人公の成長を促すのは
 異界に異化されることにもよります。
 (異化されるばあい、下手をすると生きて帰れませんが)

 雑木林を抜け「阿美寮」に入ると、彼岸(異界)に入り込んだよう
 に表現されています。
 (直子は「彼岸の彼女」なわけ
 「グレート・ギャツビー」の求めるデイジーも「対岸の彼女」です) 

 「阿美寮」から戻った僕は、緑から
 「幽霊でも見てきたような顔しているわよ」と言われています。

 直子が裸になった場面は、とても神話的
 「蝶」のように変身し、大人になったことが
 象徴的に表現されています。

 この場面は、スタインベック「怒りの葡萄」のラストを
 ほうふつとさせる印象的なシーンです。

 なお、このとき、僕は唾をのみこみ、夜の静寂の中で
 その音はひどく大きく響いてしまいます。

 のちに(7章)、緑は僕にこんなことを言ってます。

 「あのね、セックス・シーンになるとね、まわりの人がみんな
 ゴクンって唾を呑みこむ音が聞こえるの」
 「そのゴクンっていう音が大好きなの、私。
 とても可愛いくって」

 緑は勘が鋭い女性ですが
 ここまで見抜かれると、浮気はできません。

 愛する女性を求めて異界へ往って還る話は
 日本神話のなかにもあり、イザナギは
 出産時に亡くなった妻イザナミに会いに黄泉国へおもむきます。

 決して覗いてはいけないという約束を破って見てしまったのは
 腐敗してウジにたかられ、雷に囲まれた妻の姿
 これに驚き、逃げ出してしまいます。

 黄泉国と地上との境である黄泉比良坂を塞いだ大岩を挟んで
 イザナミが「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」というと
 イザナギは「それならば私は、1日1500の産屋を建てよう」。

 この神話も、人はなぜ生き、死ぬのかという問いに対する
 古代人なりの答え
 夫の裏切りが原因だというのもまぁ今日でさえあります。

 異界へ往って成長して還ってくる話といえば
 新しいところでは、宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」でしょうか
 「トンネルのむこうは、不思議の町でした」ですから。

 さて、もうひとつ大きな異界へ往って成長して還ってくる話は
 「ノルウェイの森」の外枠の話がそうです。

 ボーイング747の機中にいた37歳になった僕は
 「ノルウェイの森」のBGMを聴いたことをきっかけに
 過去、あるいは自己の記憶・深層心理の世界へトリップします。

 直前、スチュワーデスが声をかけます。
 I hope you'll have a nice trip.

 僕のこたえは
 Auf Widersehen!(再会しましょう!)

 スチュワーデスへの挨拶であるとともに
 直子たちへ呼びかけたものでもありましょう(呪術的に)。

 僕はこのトリップにより
 癒され、自己を快復して戻ってこれるでしょうか?

 さらに外側にはわれわれ自身の物語があります。
 日常生活に疲れ傷ついたわれわれの心の。

 「ノルウェイの森」を読み、僕といっしょにトリップすることで
 そうした心のささくれがきっと癒されることでしょう。
 

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