2010年12月20日月曜日
ノルウェイの森は謎がいっぱい
刑事事件や民事事件においては
証拠が断片的であったり
証拠どうしが矛盾したりして
わけがわからないということがよくあります。
そのようなとき、「筋読み」という作業をします。
真相・真実を推理するわけです。
松本清張の小説に「点と線」がありますが
点が証拠、線が筋になります。
点は星のようにちらばっていますから
星座のように、線の引き方は複数ありえます。
だからこそ裁判が必要になりますし
地裁と高裁、さらには最高裁の判断が分かれる
ことにもなります。
小説のばあい、象徴的な表現がなされているので
より多様・自由な線の引き方(解釈)が可能でしょう。
「ノルウェイの森」を読んでいると
わけのわからないところがたくさんでてきます。
いうなれば「ノルウェイの森」のなかは
謎や不思議がいっぱいです。
「あるいはそれは彼女の中にしか存在しないイメージなり
記号であったのかもしれないーあの暗い日々に彼女がその頭
の中で紡ぎだした他の数多くの事物と同じように。」
というわけで、謎のイメージや不思議な記号もいっぱい。
たとえば、父の死後、緑は仏壇の亡父の写真の前で裸になり
亡父にじっくり見せてあげたとか。
(原文は放送禁止用語がいっぱいで、ここに引用できません)
この風変わりな行為は、このままでは何のことかわかりません
どうして緑はこんなことをしているのでしょう?
この謎は、緑がエレクトラであるとすれば
(前に書いたように、初対面の場面を参照)
つぎのように解釈することができそうです。
エレクトラは、ミケーネの王アガメムノン
(トロイア戦争におけるギリシャ側の総大将)
とクリタイムネストラとの娘。
トロイア戦争から帰国した父を、母とその情夫が暗殺したため
エレクトラは弟とともに仇を討ちます。
ここから、エレクトラコンプレックスは
女子が父に対して強い独占欲的な愛情を抱き
母に対して強い対抗意識を燃やす状態をいいます。
(エディプスコンプレックスの女子バージョン)
緑によれば、母は緑に対し「お前は私の子じゃないし
お前のことなんか大嫌いだ」と言ったことになっています(7章)。
緑がエレクトラであるとすると
両親との間に上記のような葛藤があったことになり
緑の風変わりな行為の動機を説明できることになります。
ま、例によって、そうかもしれませんし、ちがうかもしれません。
例によって、どっちが物語として豊かか、自分にとって真実か
自分の励みになるかなどが決め手になると思います。
ギリシャ時代の悲劇が
現代においてもわれわれの心をつかむとすれば
何千年経とうとも人類の心性がそう変わらないものなんだなぁ
というふうに思います。
彼らがたしかな筋を読み
普遍的な真相・真実をつかんでいたためでもありましょう。
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