2010年12月20日月曜日

 ギリシャ悲劇とローマ法



 村上春樹さんは「ノルウェイの森」で
 古典ギリシャ悲劇をベースとして物語を展開されています。

 ギリシア悲劇は、古代ギリシアで
 アテナイのディオニソス祭で上演されていました。

 「ノルウェイの森」の巻頭には
 「多くの祭り(フェト)のために」というエピグラフが
 置かれています。

 「多くの祭り」が何と何と何…を指しているのかは
 挑戦するにたる大変面白い設問ですが
 ディオニソス祭はその一つだと思います。

 ディオニソスは、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神
 作中「僕」はしょっちゅう誰かとワインなどの酒を飲み
 誕生会や就職祝いなどをやっているのが、その理由です。

 ま、村上さんがそう考えていなかったとしても
 そう考えるほうが正解のように思います。

 そう考えるほうが
 「ノルウェイの森」がより大きなスケールをもち
 深みを増すからです。
 エピグラフというのはそういうものでしょう。 

 ディオニソス祭での上演は
 悲劇作家らが競作し
 聴衆の投票により優勝者を決めていました。

 一昨日、内ちゃん南ちゃんが
 「ザ・イロモネア 笑わせたら100万円」をやってましたが
 イメージとしては、あんな感じだったのでしょうか。
 (古典悲劇作家の先生がたにはやや失礼の段お許しください)

 考えてみれば、陪審や裁判員裁判も
 古典ギリシャ悲劇の上演と似ていないわけではないわけです。

 しかしながら、われわれが法律論を展開するのに
 依拠している法は古典ギリシャ法ではありません
 古典ローマ法に由来する民法です。

 以前にも書きましたが、民法をひとことでいうと
 「約束は守ろうよ」ということです。

 この「合意は守られるべし」 (pacta sunt servanda)
 というのはローマ法に由来する大原則です。

 古代ギリシャは哲学や悲劇が知られ
 古代ローマは法律や土木建築技術が知られています。
 
 古代ギリシャ人は右脳、古代ローマ人は左脳が発達していた
 などと言ってしまいそうですが
 ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」が論証したとおり
 環境のなせるわざだったのでしょう。

 ローマ法はローマ時代から一貫してヨーロッパの法であった
 ような誤解もしてしまいそうですが、ちがいます。

 それはギリシャ・ローマの他の多くの知的遺産と同じ
 いったん忘れさられたのちに復活したものです。

 (古代ギリシャ、ローマ人は
 いまのイタリア、ギリシャ人とはちがいます。

 プラトンやソクラテスの末裔がいまのギリシャの財政危機を
 まねているわけではありません)

 ローマ法も、東ローマ帝国、ローマ・カトリック教会
 中世の大学らの手(数奇な運命)を経て
 中世ヨーロッパ大陸法(普通法)として復活しました。

 (漢倭那國王が漢の皇帝から授与された金印が失われて
 江戸時代に再発見された感じに似ています)

 普通法は市民革命後も、ナポレオン法典、ドイツ民法典などとして
 リメイクされ、基本的に現在でも通用しています。

 日本の民法は、これらをほぼ直輸入したものです。
 龍馬らの不断の努力により鎖国政策が崩壊した後、諸外国から
 不平等条約の改正の条件として民法の制定を求められたからです。

 ここら辺の話はまだ語るべきことがあるのですが
 それは別の機会にゆずり
 とりあえず「ノルウェイの森」へと戻りましょう。
 

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