2021年9月7日火曜日

ウィズ・コロナ


 きのう、午前10時からは遺留分減殺請求権について、家庭裁判所小倉支部との間で電話会議。午後1時からは福岡県中小企業家同友会・総務財政室のズーム会議。同3時30分からは預金の無断引出に関する損害賠償請求権について、福岡地裁との間でチームス会議。結びは、午後5時からズーム利用によるオンライン事務所会議でした。

事務所会議は月1回、全員が揃って当月の相談活動状況等を報告し、事務所全体の課題を話し合います。ビフォー・コロナは3階の会議室に全員が揃って行っていました。しかし、事務所全員がそろうとなると密になるので、さいきんはズームによるオンライン会議になっています。

オンライン会議には困難なものがあります。議題を形式的に議論することはなんとかできますが、情緒的・心理的な一体感を醸成することはできにくように思います。従来、会議後には懇親会を開き、交流をしていました。いまはそれもできません。

そのため、ここしばらくは事務所会議の結びに近況報告の場をもうけています。いつもは仕事のことを話し合っているメンバーが、家族のことや趣味のことについて披露します。意外な趣味に取り組んでいる人もいて新鮮です。なかには、この報告をするために趣味をはじめた人までいます。

きのうはぼくも4人の報告担当の一人でした。夏の報告として、7月に大雪山~トムラウシ山縦走を一人でしたこと、登山グループ怪鳥会で上高地・焼岳・西穂独標・双六に登ったこと、8月の家族の出来事、9月に2回予定している山行計画について話しました。

ぼくは薬害HIV訴訟、ハンセン病訴訟、薬害肝炎訴訟を手がけましたので、感染症、ウィルスについては他の弁護士より詳しいです(ですが文系なので、以下、誤り多数。ご自分で確認くだされ。)。

細かい説明は省略しますが、コロナウィルスはウィルスの特性から変異株を次々と生み出し、コロナ対策がイタチごっこになることは「自然」です。HIVウィルスは1981年に発見されていますが、いまだに特効薬が開発されていません。

当面、宣言期間をすぎればなんとかなる、ワクチンを打ちさえすればなんとかなる・・・というわけではないようです。

ならば、できる範囲でリアルな人間的交流を再開するなど、コロナウィルスと上手につきあっていかねばならない時期にきているでしょう。

2021年9月6日月曜日

アバウト・タイム~愛おしい時間について~



 タイムトラベルものはだいたい好きだ。ドラえもんから受けた教育のせいだろうか。グリムウッドの『リプレイ』はなんども読んだし、北村薫の『スキップ』『ターン』『リセット』三部作も大好きである。

映画『ミッドナイト・イン・パリ』が好きなのは、そのせいもあるかもしれない。1920年代のパリにタイムスリップして、ヘミングウェイやピカソと交流するという筋立てだけで引き込まれてしまう。

おなじころ、BSで『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』をやっていた。これも好きな映画だ。やはりタイムトラベルものだからか、それとも・・・

どちらも主人公の若者のお相手役はレイチェル・マクアダムス。『ミッドナイト・イン・パリ』ではイネス役で、主人公の若者と価値観があわず、ほかの男と浮気をし、別れてしまう。

『アバウト・タイム』では、メアリー役で、ケイト・モスのファンで、主人公ティムと結婚し、愛おしい時間をともに積み上げていく。一人の女優さんがまったく違う役をこなしているのにビックリしてしまう。

『アバウト・タイム』の主役ティムの仕事は法廷弁護士。ティムがそう言うと、メアリーは「キュート」、『法廷でスーツを着て人助けをするなんてキュート」なんて返す。そうかそうか。弁護士はキュートなんだ、知らなかった。よしよし(笑)。

ティムは弁護士なんだけど、女子とのトークが下手。そんなコミュニケーション能力で弁護士としてやっていけるのか・・・。

大事な場面でいつも言い間違える、言ってはならないことを言ってしまう。

ティムには特殊なタイムトラベル能力がある(一家の男だけに伝わる)。かれはそれで過去に戻り、失敗したセリフをなんどもやり直すなかで、なんとか課題をクリアしていく。

女性を口説くときは、もちろん上手くいかない。それだけじゃない。むかし好きだった女性に観劇場でバッタリ出会う。その際、向こうは女性二人連れ。もしかしてゲイかも?この場面では、言ってはいけない言葉がいくつかあるけれど、ついついそればかりを言ってしまう・・・。

こればかりは他人事ではない。弁護士会は4年に一度倫理研修を受けることを義務づけている。ことしのテーマは、法律事務所におけるセクハラ・パワハラの防止。その一貫としてアシュリー・マーデルの『13歳から知っておきたいLGBT+』(ダイアモンド社)を読んでおくよう指導がなされた。

読んでみた。面白く読むことができた。なるほど、人と人とのつきあいは実に多様で自由なんだ。

でも頭の固いわれわれがこの時代の流れにうまく適応できるのか心配にもなった。がんばろう。できることならばキュートに。

2021年9月3日金曜日

風が吹いてもマチ弁は儲からない?

あてにならない期待をすることを、「風が吹けば桶屋が儲かる」などと申しますけれども、

 

当ブログでも話題に出ていますが、山浦善樹先生の書籍『お気の毒な弁護士』、私も読みました。「お気の毒に」と言われても、地域のみなさまのために身を粉にして働くマチ弁に、私もなりたいと思います。

 

ところで、冒頭の「風が吹けば桶屋が儲かる」の中身、ご存じでしょうか。

「風が吹けば砂ぼこりが舞う。

砂ぼこりが舞えば目に入って失明する人が増える。

失明した人は三味線を弾くようになる。

三味線がたくさん売れる。

三味線に張る猫の皮が必要になって猫の数が減る。

猫の数が減るとネズミの数が増える。

増えたネズミは風呂の桶をかじる。

桶が売れて、桶屋が儲かる。」

というものです。

随分と、あてにならない期待をする桶屋がいたものだと思いますね。

 

弁護士Ver.だと、こんな感じでしょうか。

「風が吹けば砂ぼこりが舞う。

砂ぼこりが舞えば目に入って失明する人が増える。

失明した人は、砂山を放置した事業者を訴える。

両眼の失明は後遺障害等級1級に該当するとして損害賠償請求する。

損害賠償請求のために弁護士を雇うから、弁護士が儲かる。」

 

いやいや、地域とともにあるマチ弁なら、きっとこう。

「風が吹けば砂ぼこりが舞う。

砂ぼこりが舞って困っている住民が相談に来る。

砂ぼこりが舞いやすい地域だとして、行政に砂塵防止措置をとらせるように住民運動をする。

恒久対策を実現して被害を回復する。

紛争を解決して、住民と三味線をたしなみつつ、ネズミに桶をかじられた話で盛り上がる。」

 

あれ、これだとあまり弁護士は儲からないなあ。お気の毒に。

 

何はともあれ、「風が吹いた」と思ったら、あてにならない期待などと思わず、早めにご相談ください。

 

富永

パリのほそ路

 



 (西鉄電車のなか)
A いま、なにを読んでる?
B  『われらの時代』ヘミングウェイ。
A いまごろ、なぜ?
B それは・・・

BSで『ミッドナイト・イン・パリ』という映画をやっていた。小説家になろうと悩んでいる若者がパリの街角でタイムスリップして過去へ。フィッツジェラルド夫妻、ヘミングウェイなどの小説家や、ピカソ、ダリなどの画家らと交流し、真の人生に目覚めていく。

ウッディ・アレン監督。登場人物はみな本物そっくりで(本物を知っているわけではないけれども)、セリフもおそらく彼らが発した言葉を引用したものだろう、いかにも言いそうなことばかりだ。

と、楽しんでいたらラストちかく、シェイクスピア書店がでてきた。書店はジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』を出版したことで知られる。いまでこそ世界一の名著であることは誰もが知るところだが、当時は発禁処分や刑事事件をおそれて誰も手を出そうとしなかった。その時代に出版したのだから、見識と勇気があったのだ。

シェイクスピア書店がでてきたので、もう一度観た。するとどうも種本はヘミングウェイの『移動祝祭日』のようだ。晩年の作だけれども、彼が若者のころパリに移住し、小説家として駆け出したころを書いたものである。

映画の若者とおなじく、ガートルード・スタインや、シェイクスピア書店のシルビア・ビーチ、スコット・フィッツジェラルドらと交流しつつ、叱咤激励されながら成長していく。

ヘミングウェイが指導を受けたのは、かれら先輩小説家・文筆家だけではない。リュクサンブール公園にあった美術館を訪れ、セザンヌの絵画からも学んでいる。

 ヘミングウェイはひたすら、セザンヌが描くように自然を描きたいと思っている。写真のようなリアリズムとは一線を画す写実。色彩と描線とモティーフの反復。半端なディティルの省略。そこから浮かび上がる”真実”の風景・・・(上記新潮文庫の訳者解説)。

短編小説が苦手である、いままであまり好きだと思ったことはない。しかしこんかい、短編小説の作法を知ることができた。

 もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、水面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。

つまり、短編小説には全体の八分の一しか書かれていない。残りの八分の七の部分は、われわれが感得しなければならないのである。なにからなにまで説明してもらえてる、なんて幻想はいますぐ捨てろ!(笑)

ヘミングウェイがこの『移動祝祭日』のなかで日々執筆しているのが、初期短編集『われらの時代』(新潮文庫、ヘミングウェイ全短編1)だ。

かくてこのごろは、映画『ミッドナイトインパリ』『移動祝祭日』『われらの時代』を行ったり来たりしながら、パリの街を散策している。

お奨めはストリートビューを使うことだ。ガイドはヘミングウェイだから、超ぜいたく。

『移動祝祭日』は「サン・ミシェル広場の気持ちのいいカフェ」にはじまる。どのようにすれば、そこにたどりつけるのか?

まずはストリートビューを使って、セーヌ左岸パンテオンの南東にあるコントルスカルプ広場へ行こう。

かれが当時住んでいた住まいや、執筆場所としていたホテルにほどちかい。また『ミッドナイトインパリ』の若者がタイムスリップするサン・ティティエンヌ・デュ・モン教会もちかい。うらぶれた、手入れのお粗末なカフェ・デ・ザマトゥールはもう存在しないようだ。

秋風が吹き雨が降り始めた。でも歩いて行こう、ここはパリだから。

アンリ四世校と古いサン・ティティエンヌ・デュ・モン教会の前をすぎ、風の吹き渡るパンテオン広場を通り抜けてから風雨を避けて右手に折れる。

そこからようやくサン・ミシェル大通りの風のあたらない側に出たら、そこをなおも下ってクリュニー博物館の前を通り、サン・ジェルマン大通りを渡っていくと、サン・ミシェル広場の、通い慣れた、気持ちのいいカフェにたどり着く。・・・

この時節、なかなか外出もままならない。しかしパリの街散歩に出かけよう。われわれは自由だ。エピグラフにはこうある。

 もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。

1950年かれが友人に語った言葉である。しかしいまやわれわれは、若者のころパリで暮らしたことなどなくても、パリをいつでも自由に歩くことができる。ストリートビューも移動祝祭日だからだ。

※きょうの朝、エクスターンくんが出勤してくるなり報告してくれた、昨夜遅くまで『お気の毒な弁護士』を読みましたと。だれかが助言してくれたのかな(笑)。

2021年9月2日木曜日

『お気の毒な弁護士』


  わが事務所でいま読まれている本があります。『お気の毒な弁護士』山浦善樹著(弘文堂)です。地域に根ざす弁護士としてのわが事務所の理念と共通するところから、座右の書となりました。事務所報の夏版に書きましたので、そのことはそちらに譲りたいと思います。事務所ホームページ「ちくし法律事務所のニュース」欄をご覧ください。

きょうは別の話題。わが事務所は研修生を受け入れています。研修生には2種類あって、司法試験に合格したあとの人と合格する前の人です。前者は司法修習生、後者はロースクール生です。この研修のことを弁護実務修習とかエクスターン・シップとか呼びます。

むかしは司法修習生に希少価値があり、その受け入れは一つの名誉職でした。それで先輩弁護士はみな、すすんで引き受けていたと思います。司法試験改革により合格者が数倍に増えた結果、修習生の価値もインフレにより下落してしまい、最近は引き受け手も減ったやに聞きます。

そうなった後もしばらく司法修習生を引き受けていました。司法修習生とのおつきあいは利害を超えて、将来の法曹界をになってくれる人材を育てる一助となる、いわば社会貢献的な意味があると思うからです。

しかしなぜか、当職のところには予備(司法試験のバイパス)試験に合格、東京の4大法律事務所(地域事務所とは対極的なあり方)に「就職」がすでに決まり、骨休めに福岡修習を希望しましたみたいな人がつぎつぎとやってきました。そのような状況がつづいたため、社会貢献的な意義も感じられず、引き受けをお断りしました。

最近、それじゃいかんなと思い直し、ロースクール生だけは受け入れることにしました。それで今週月曜から金曜まで1人来られているわけです。

月曜日、かれが来てすぐに、上記書籍を読むよう勧めました。・・・しかし、木曜の今日まで、それが読まれている形跡はありません。残念です。

この問題は実務修習で何を学ぶかという点と関わってきます。本人が実務の枝葉を学びたいというのであれば、いたしかたありません。でも、枝葉は弁護士になれば毎日学ぶことができ、1週間もすれば同じ体験ができます。

むしろいまの時期は、何のために法曹になりたいのか、誰のために仕事をしたいのか、どのような法曹を目指すのかという理念やビジョンを練るほうがよいと思うのです。自動車でいえばエンジンの性能をアップして馬力を高めるということです。エアコン、ステレオや車内の装飾などは、あとからでもどうとでもなります。

むろんそのようなことは実務修習でなくとも大学の図書館でもできるとの意見もありましょう。しかし35年間弁護士をやってきた自分に教えられることがあるとすれば、そこが一番かなとも思うのです。あるいは、自分では教えられないとしても、教えられる本を教えることはできるように思うのです。

でもそこは彼の人生の選択ですし、価値観の問題でもありましょう。なので本人の選択にゆだねるしかありません。まことに残念。

2021年9月1日水曜日

期限の利益を放棄する

 返済期限はまだ先だけど、繰り上げて先に返済することを、「期限の利益を放棄する」などと申しますけれども、

  

期限がないことをいいことに、しばらくブログの更新をサボっていると、いつの間にか、浦田先生の芭蕉の旅が終わっています。「ひとときも停滞することを自分に許さず、常に変転のなかに自己革新をめざした芭蕉」と対照的に、ブログを停滞して自分を甘やかして参りました、はい。

  

ところで、最近、農林水産省の職員がやっているYouTubeチャンネル「BUZZ MAFF(バズマフ)」というものがあることを知りました。

 「どうせ国家公務員のやっているお堅い動画でしょ」と思ったら、意外に面白いんです、これが。

  

その中で、食品ロスを減らす取組みも取り上げられており、なんとなく感化されて、自宅の冷蔵庫に眠っていた、賞味期限が1年前の白だしと半年前の味噌を使って味噌汁をつくりました。

 

「これがほんとの、期限の利益を放棄する、である」(ど~ん)。

  

期限を無視して、機嫌を損ねるかもしれませんが、起源はここにあります。

  

しょうもない話で恐縮です、はい。

  

富永

エンディング、あらたなる旅へ

 


 露通もこの港まで出で迎ひて、美濃の国へと伴ふ。駒に助けられて大垣の庄に入れば、曽良も伊勢より来たり合ひ、越人も馬を飛ばせて、如行が家に入り集まる。前川子・荊口父子、その外親しき人々、日夜訪ひて、蘇生の者に会ふがごとく、かつ喜びかついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて、

 蛤(はまぐり)のふたみに別れ行く秋ぞ

 旧暦三月二十七日江戸深川を出発した芭蕉は、八月下旬ころ美濃大垣に到着しました。わがブログも新暦3月26日にスタートし、9月1日ここまで到達しました。ようやくエンディングです。ふう。

長旅を終えた芭蕉をたたえ、ねぎらうためお弟子さんたちが集まってきます。この場面は、江戸を出発する際、お弟子さんたちが集まり、長旅を心配し見送る様子と対称をなしています。句もそうです。

 行く春や鳥啼き魚の目は涙

かたや行く春の句、かたや行く秋の句。

芭蕉はお弟子さんたちに囲まれてワイワイするのが大好きだったようですが、それにとどまることを自分に許さない。さらなる旅に出かけます。お弟子さんたちとの再度の別れ。別れの最終エピソードです。

行き先は伊勢。思えば、市振あたりからあちこちに伊勢が顔をだしていました。市振の遊女たちが目指していたのは伊勢でした。曽良も先に伊勢をめざしました。源平北国の戦のあとで還亡の話になったのも、朝廷が伊勢神宮に行幸することに決めたからでした。

その平家物語によれば、伊勢神宮とはこういうところです。

 大神宮は、高間原より天くだらせ給ひしを、崇神天皇の御宇廿五年三月に、大和国笠縫の里より、伊勢国度会の郡、五十鈴の河上、したつ石根に大宮柱ふとしきたて祝そめたてまつってよりこのかた、日本六十余州、三千七百五十余社の大小の神祇・冥道のなかには無双也。

伊勢神宮は、白木でできているため、20年ごとに社殿を造り替えて神座を遷します。おくのほそ道の旅を終えた芭蕉が伊勢神宮の式年遷宮に旅立つのは心憎いばかりの構成です。

芭蕉が元禄2年におくのほそ道の旅を行ったのは、この年が西行没後500年にあたっていたからです。ですが、なんと、この年9月10日(内宮)、9月13日(外宮)に神宮の式年遷宮が予定されてもいました。そのため6日にはバタバタと出発することになったわけです。

去来は「故翁奥羽の行脚より都へ越えたまひける、当門のはい諧すでに一変す。」と述べています(『俳諧問答』)。蕉風がおくのほそ道の旅をへて革新されたというのです。式年遷宮は、あたらしい句風を打ち立てる蕉風のあり方を象徴しているでしょう。

蛤は伊勢の名物。「その手は桑名の焼き蛤」という言葉があるので、桑名が蛤を名物としていることは確実。桑名は伊勢湾の北部に位置し同じ海に面しているので、伊勢でも蛤を名物としていても不思議はないでしょう。蛤の句は、伊勢に対する挨拶句でもあるわけです。

写真は2014年2月京都にいた三女と二泊三日で奈良・伊勢を旅したときのものです。娘は海鮮がだいすきなので海鮮セットを注文しました。でもホタテやアワビの写真はありましたがハマグリの写真は見つかりませんでした。ハマグリは春の季語だからでしょうか。

ま、でもここでは、たとえハマグリでも、蓋と身に別れればOKです。「ふたみに別れいく」というのは、ハマグリが蓋と身に別れるというのと二見が浦を見にいくのシャレになっていればよいからです。

芭蕉の句であるからには決してダジャレではありません。季語が2つありますが、芭蕉の句であるからにはよいのだと思います。

この句は西行の歌を踏まえてもいます。

 今ぞ知る二見の浦の蛤を 貝合とておほふなりけり 西行

ひとときも停滞することを自分に許さず、常に変転のなかに自己革新をめざした芭蕉の姿勢にならい、今後とも新しいことに挑戦し、自己革新を続けていきたいと思います、はい。

長い間この旅におつきあいいただき、激励いただいたみなさま、ありがとうございました。