2022年3月23日水曜日

エピファニー

 

 ジェイムズ・ジョイスの文学の特徴をあらわす言葉にエピファニーがある。元来はキリストの顕現を意味する。ジョイスは彼らしくそれを平凡な日常のなかに見いだした。

平凡な出来事のなかにその事柄や人物の本質が姿を現す瞬間がある。それを象徴的に描写しようとしたのである。その事柄や人物の魂が突如として意識されその本質を露呈する瞬間でもある。

本ブログの開始は2010年6月17日木曜日にさかのぼる。おしい。6月16日であれば、ブルームズデイだったのに。

『ユリシーズ』はダブリンにおける1904年6月16日木曜日の1日のことが描かれている。6月16日は、主人公ブルームの名をとってブルームズデイと呼ばれている。最後の審判の日がドゥームズデイなので、そのパロディである。

ドゥームズデイには世界中から『ユリシーズ』ファンがダブリンに集結し、多彩な催しがおこなわれる。ぜひとも一度訪れてみたい。やはり小説中でブルームが遍歴したとおりの行路をたどるが夢である。

それはともかく、わが事務所のブログをはじめたのは若くして急逝した落合弁護士である。ブログの過去ログを検索すれば(右側の西暦のうち2010年をクリックする。すると、月が標示されるから6月をクリックすればよい。)、いまでも彼の語り口にあうことができる。

彼がブログをはじめてことしで丸12年になる。ずっと続けることができたわけではない。中断も何度かある。断続的に書き継いできた。ブログを続けることは結構むずかしい。1年くらい書くと、なんだか書く気が消失したりする。

しばらくするとまた書く気が湧き上がってきて、ふたたび書き始める。最近は、森くんやトミーがはじめたのに励まされて書いてきた。

ここのところ、少しブログを書く意欲が失われつつあった。他人のせいにしちゃいけないけれど、プーチンのせいだ。いまの世界であのような残虐なことが行われているのに、のんきにブログなど書いていてよいものかという感じがぬぐえない。

でもブログというのは不思議なものだ。書く気が失われてくると、きまって望外に誉めてくれる人があらわれる。きのうも、相談を希望されたかたがとてもほめてくれたらしい。

単なる偶然と考えることもできる。しかしまた神の使者(ほめてくれた人が)と考えることもできる。またまた落合くんのお遣いと考えることもできる。

古代ギリシア人はすべてのことに神々の意志や配慮を感じていた。オデュッセウスが故郷に戻れぬのも戻れるのもすべて神々の思し召しによるものだ。

現代社会ですべての出来事が神の遺志にもとづいて起きていると考えることはむずかしい。しかしたまに起きるうれしい出来事について、天国で落合くんがほほえんでいるよねと考えることはできそうだ。

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