2021年4月30日金曜日

記念すべき・・・


2010年にスタートした当事務所のブログですが、どうやら1000投稿を超えたようです。

そろそろ1000投稿だなあ、1000投稿目には何を書こうかなあ、と密かに思っていましたが、いつの間にか通過していました。なんかくやしい。


よし、今から追加で1000投稿して記念すべき2000投稿目を寄稿することにします。


よーし、頑張るぞー。


富永

須賀川(1) 宇宙との交流

 

異世界みちのくに入り、芭蕉一行は須賀川の駅(宿場)に到着しました。300年後に私も芭蕉の足跡を慕い、東北本線・須賀川駅(ステーション)に到着しました。

街中に入るや、宇宙怪獣エレキングがあらわれました。キャー逃げろー。そこへウルトラセブンがあらわれ、怪獣を退治してくれました。パチパチ。

みちのくが異世界、異宇宙といっても、これは行き過ぎでしょう。ほんとうのことでしょうか。そういぶかりながら科学特捜隊がふきんを捜査していると、いくつかの事実が判明しました。

なんと須賀川は、ウルトラ一族が住んでいる「M78星雲 光の国」と姉妹都市なのだそうです。なぜそうなのか。どうも須賀川は円谷英二氏のふるさとらしい。

さらに須賀川には「すかがわ市M78光の町」という異次元の町が存在し、住民登録でき、住民票も発行されるらしい。あなたもぜひ登録してください。須賀川駅は宇宙ステーションでもあったのです。

芭蕉の風雅を求めてきた旅人にはびっくりな世界、芭蕉が求めた宇宙とは別の宇宙ですが、これもまた不易流行でしょう。

2021年4月28日水曜日

みちのく入り、異世界の初め

(阿武隈川支流・釈迦堂川) 


ともかくも、とかくして白河の関を越え行く。ついにあこがれの未知の国、みちのくへ。いままでとは異なる宇宙と世界が広がっています。

阿武隈川。大きな熊に遇うからあふくま川なのだとか。那須岳の北・旭岳に発して白河に下り、福島県中通りを北上して宮城の海に流れ行きます。東北の大河はなぜみな北上するのでしょう。北へのあこがれをかきたてます。芭蕉一行もこの流れに沿って北行します。

左に会津根高し。会津根は会津磐梯山、1816メートル。美しい姿が登りにこいよと呼びかけてきます。右に岩城・相馬・三春の庄。振り返れば、関東の常陸(茨城)・下野(栃木)の地をさかひて山が連なっています。

飛鳥が影を映すと古書に記されている影沼といふ所を行きました。けれども残念ながら、今日は空曇り、物影は映りませんでした。みちのくの初めから、不易(阿武隈川、会津根などの自然・宇宙)と流行(影沼)に出会う芭蕉なのでありました。さらにどのような異世界・宇宙との出会いが待っているのでしょうか・・。

2021年4月27日火曜日

白河の関、卯の花のかざし


 

なんとか間にあいました。この記事を4月中に書きたかったのです。なぜか?本文を読んでくだされ。

関東と東北の境を守るのは白河の関です。かって東北地方は、あこがれの地であるとともに、生きて帰られるかどうかわからぬ土地でした。白河の関は、そのような地から来るものを阻むとともに、そこへ入っていくゲートでした。

白河の関を越えるには、決死の覚悟が必要でした。芭蕉は、おくのほそ道の冒頭で、春立てる霞の空に、白河の関越えんといちおうの覚悟は示しています。それでも関東を歩いているうちは、あれこれ迷いがあったようです。ですが、いよいよ白河の関に着いたとき、腹は固まりました。いわく。

心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。

関所は物理的・地理的境界であるだけでなく、精神的・霊的な境界でもありました。境界というのは中央の王権のおよびにくい土地であり、霊的なものや魔物が出てきやすい場所だからです。

そのような場所で、芭蕉は「諸国一見の僧」(能のワキ)となり、先輩歌人たちの霊を次々と召喚します。

先ず召喚したのは平兼盛。10世紀の歌人で三十六歌仙の一人、赤染衛門の父です。彼がこの関で詠んだ歌は

 たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと

この関は奥羽三関の一つにして、風騒の人が心をとどめました。次に召喚したのは能因法師。11世紀に活躍したやはり三十六歌仙の一人、旅の歌人で西行の先輩。彼が詠んだ歌は

 都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関

第三に召喚したのは源頼政。12世紀保元・平治の乱で活躍した武将。能に『頼政』という曲があります。彼が詠んだ歌は

 都にはまだ青葉にて見しかども 紅葉散り敷く白河の関

芭蕉たちが訪れたのは、青葉の梢があはれな時期でした。が、先輩歌人たちとその歌を次々と召喚することにより、芭蕉たちの耳には秋風が吹く音がし、眼前には紅葉散り敷く情景が広がりました。

第四、第五に召喚したのは竹田大夫国行、藤原清輔。藤原清輔は12世紀の歌人・歌学者。彼の歌論書『袋草子』に、竹田大夫国行がこの関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通ったという話がありました。

これを踏まえた曽良の句は

 卯の花をかざしに関の晴れ着かな

竹田大夫国行の故事にちなみ、この関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通りたいものだ。残念ながら、そのような立派な衣装のもちあわせがないので、そこいらに咲いている卯の花を頭に刺し、これを飾りにして関を越えよう。卯の花は卯月(旧暦4月)に咲くから卯の花。

2021年4月26日月曜日

遊行柳(4)


同行がトミーであるせいか、謙虚に学べと口うるさく繰り返してしまい、最後には老馬にまで学べとまで言ってしまいました。これがほんとうの老馬心、もとい老婆心でしょうか。

さて芭蕉が学ぼうとする諸先輩のうち最上の先輩は西行です。かれは武士出身で法師となり歌人であったばかりか、なにより旅人だったからです。おくのほそ道の有名な冒頭にも、西行を筆頭とする古人へのリスペクトはあきらかです。

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり・・。

その西行もしばし立ち寄ったという遊行柳。昔の人の申し置きしは、鳥羽の院の北面、佐藤兵衛憲清出家し、西行と聞こえし歌人、この国に下りたまひしが、頃は水無月半ばなるに、この川岸の木の下に、しばし立ち寄りたまひつつ、一首を詠じたまひしなり(能『遊行柳』)。

 道の辺に清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ

これを受けて、おくのほそ道の遊行柳の段。

清水流るるの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。この所の郡主戸部某の「この柳見せばや」など、をりをりにのたまひ聞こえたまふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳の陰にこそ立ち寄りはべりつれ。

そして、一句を詠じたまひしなり

 田一枚植ゑて立ち去る柳かな

西行の立ちどまりつれをひきつぎ、立ち去って物語を完成させる芭蕉なのでした。

さあ、これでみちのくへの旅の準備は万全です。鏡のまえで装備の点検をする必要もありません。いざ出陣、もといいざ出発。

2021年4月24日土曜日

剣道再開の準備は万全?

 

コロナ禍で、ZOOM会議とか、teamsとか、電話会議とか、増えましたよね。


在宅勤務が増えた、という方も多いのではないでしょうか。

オンラインだと、画面をオンにしても顔しか映らないから、上半身正装、下はパジャマ、なんて話もたまに聞きます笑


二日市にある当事務所としては、六本松の裁判所までわざわざ出かけることが少なくなったのはありがたいことです。

なんにしても、楽で便利、ということは間違いないと思います。


反面、移動が少ないのもあって、運動不足だな、と思います。

そうだ、剣道をしよう!と、これまで何度も思い立っては、結局行かず、ということを繰り返してきました。

「ちくし法律事務所」の日常: セキュリティは万全です? (chikushi-lo.jp)

かれこれ1年以上、やっていないです。


言い訳をすると、コロナ禍だと、道場や稽古会がそもそもやっていなかったり・・・ということもあります。

剣道ほど「ヤー」とか、「キエ―」とか、「メーン」とか、奇声を発して飛沫をとばす競技はありませんからね。


やるなら、感染症対策はしっかりと。

と、いうことで、面マスクを購入しました。

それが、こちら。


写真だと見えにくいですが、まず、面金の部分に、透明のアクリル板みたいなマウスガードが付いています。その下に、メッシュの黒いマスクを装着しています。


マスクに関しては、「通気性がよい」などと書いてあって、「え、だめじゃない?笑」とツッコミを入れていたのですが、装着して納得。

二重の感染防止策をとった上で、これでマスクの通気性が悪かったら、ハイシンデマス状態になります。

気を付けないと、感染症は防止できても、熱中症になりそうです。


何はともあれ、剣道再開の準備は万全!と、言いたいところですが、

ZOOM会議が多い影響でしょうか。まだ、こんな状態です。



富永

2021年4月23日金曜日

遊行柳(3) 老馬にも学ぶ

春秋戦国時代、百家争鳴といわれるほど思想家がたくさん輩出しました。困難な時代こそ、すぐれた人物が輩出するものなのでしょう。なかでも、いちばん有名なのは孔子ですね。孔子が道徳によって国を治める徳治主義を説いたのに対し、法による統治を説いたのが韓非です。われわれ法律家の大先輩です。

彼が書いた『韓非子』のなかに、こんな話がでてきます。

管仲は斉の総理大臣で、名宰相と言われました。敵国をやっつけて国へ帰ろうとしたら、雪で道が分からなくなり迷ってしまいました。そのとき、管仲はひとつ老馬に知恵を借りてみようと言い、老馬を放しました。その後について行ったところ、なんと道をみつけることができました。

このエピソードに基づく四字熟語が老馬乃智(ろうばのち)です。管仲ほどの賢人知恵者であっても、ときには老馬を先生として学ぶことを憚ってはならないという話です。

ここでも芭蕉はなにも語っていませんが、那須野の段の冒頭にはこのエピソードが下敷きとして踏まえられていると思います。そして、われわれに謙虚に学べと呼びかけているのではないでしょうか。甘美なる教えです。