2022年7月28日木曜日

大雪山縦走(5)


 



 ようやく白雲岳避難小屋に着いた。管理人がいる。利用料2000円と登山道整備協力金1000円を支払う。

管理人は女性だ。地元の関係者で、1週間ごとに交代するらしい。うらやましいような、そうでないような。

1週間も常駐して自然を満喫できるのは、うらやましい。しかし小屋には風呂はなく、トイレも臭い。その他不便もはんぱない。

小屋は大盛況だ。昨年は3,4パーティーだったが、ことしはぎっしり満室だ。梅雨がはやくに明けたせいだろうか。

2階の片隅を利用することにした。アクリル板でしきりをしているが、感染防止効果がどの程度あるのだろうか。

小屋前から南をのぞむと、高天原ごしに、忠別岳、化雲岳、トムラウシ山、十勝岳まですっきり見えた。ただ南から湿った空気が入り込み、その後は曇りとなった。

小屋周りは人間が攪乱したせいか、まわりとは違った高山植物が咲いている。小屋前には黄花のシオガマが、小屋裏にはアズマギクが咲いている。

暮れていく壮大な景色を嘆賞していたら、父娘で来ていた娘さんが歓声をあげた。指さすほうを見ると、テントサイトとのむこうの雪渓のうえをキタキツネが横切っていた。口には鳥をくわえているようだ(一番下の写真をクリックして拡大表示してくだされ。)。

これだけの人々がわいわい騒いでいるなか、キツネは何万年も続けてきたであろう営みをきょうも黙々とつづけている。

2022年7月27日水曜日

大雪山縦走(4)

 






 間宮岳からお鉢を反時計まわりに南へ行く。途中で振り返ると、なだらかな間宮岳に雪渓がゼブラ模様についていて美しい。

お鉢のうえは乾燥したザレ場で、大きな植物は生育していない。そうした環境でも、黄花のスミレがしたたかに生きている。ときには群落を形成している。

お鉢を北海岳まで行き、右折し、しばらく南下すると正面が白雲岳である。大小の岩がゴロゴロしている。ナキウサギのかっこうの住処だ。ときおり、キュッと鳴き声がする。

白雲岳の東側を巻くと、まもなく小高い丘のうえに白雲岳避難小屋が見えてくる。背後にはトムラウシ山の絶景が輝いている。大雪の広大さを実感するショットだ。

避難小屋の手前は白雲岳からの雪渓が雪解けした池塘になっている。そこにはエゾのリュウキンカの花畑になっている。

エゾノリュウキンカの実物を見たことがない人も、六花亭の紙袋に描かれたこの花を見たことはあるのではないでしょうか。https://jp.mercari.com/item/m40672603904

そしてそうしたおいしい雪解け水や花畑の植物をめあてにエゾシカたちがやってくる。この2頭は兄弟のようだ。さてなぜでしょう?

2022年7月26日火曜日

大雪山縦走(3)

 



 旭岳は2291メートル、大雪山の主峰、北海道の最高峰である。山頂からは360度一望できる。北東に比布岳が見える。ひとむかしまえ、○○○エレキバンとしてCMをにぎわした、あの○○○である。

きょうの登山者のうち8割くらいの人はここ山頂まで。いわゆるピストンで、姿見へ戻っていく。これに対し、縦走するばあい、ここから東に向かう。東の端は黒岳、その中間に御鉢平が大きな口を開けている。

旭岳の裏側の下りはザレていて、イワウメが群生している。花はウメに似ている。こう見えて草ではなく、木である。生育環境が厳しいため、地にへばりついている。

しばらく行くと、大きな雪渓が残っている。この季節、雪は柔らかいのでアイゼンは必要なく、つぼ足で下れる。それでもやはり恐い。すると、横を女性がスタスタと下っていった。北海道の人だろうか、雪渓歩きに慣れている。

旭岳をくだると、こんどは間宮岳の登りにとりかかる。このあたりになると、ぐんと人が減り、ほとんど人に会わない。しばらく行くとようやく間宮岳だ。眼前に雄大な景観が広がる。

間宮岳は独立峰ではなく、大きなカルデラ(お鉢)の一部である。その中央が御鉢平。むかしの噴火口跡である。NHKのにっぽん百名山では、この御鉢のなかにヒグマがいた。

カルデラ(お鉢)のいちばん向こうが黒岳。層雲峡からロープウェイとリフトを乗り継ぎ、その後しばらく登ると、その山頂だ。事務所旅行でも登ったことがある。

黒岳から左に、桂月岳、凌雲岳、北鎮岳。きょうはそちらではなく、反時計まわりに右・南へ行く。目指すは北海岳。黒岳を0時とすれば、2時の方角である。

2022年7月25日月曜日

大雪山縦走(2)




 ロープウェイを降りると姿見。そこは森林限界をこえ、針葉樹も生育できない。生育できるのは背の低いハイマツやウラジロナナカマド。さらに場所によっては気象条件が厳しく、ハイマツでさえ生育できない。そのような場所こそ、高山植物の楽園である。

日本アルプスだと標高2500メートル以上にならないと、森林限界にならない。しかし北海道のばあい、緯度が高く自然条件が厳しいので、2000メートルを超えると森林限界となる。

エゾのツガザクラ、チングルマ、イソツツジなどのお花畑が広がっている。高山植物をみるだけなら、山に登らなくても、姿見を散策するだけで嘆賞することができる。 

姿見の池から旭岳の登りにとりかかる。左手・北側は地獄谷。亜硫酸ガスがシュウシュウ吹き出している。

登るにつれ、右手・南側にトムラウシ山方面の展望が開ける。左手に忠別岳、中央右よりにトムラウシ山。遠い山、王冠の山である。大雪山の広大さを実感できる風景だ。

あとすこしで山頂だ。山頂付近に金庫の形をした金庫岩がある。ガスっているときによい目印になりそうだが、偽せ金庫岩というのもあって、ややこしい。

金庫岩から地獄谷を俯瞰する。姿見が遠く、ところどころガスがかかっている。よくぞここまで登れたものだ。ふう。

2022年7月22日金曜日

大雪山縦走(1)


  ひさびさの投稿。連休は山へ行っていたので、たまった仕事に追われていた。すみませぬ。

ことしはすでに2つの夏山に登った。ひとつは大雪山の縦走。まずはこちらから。

梅雨明け前の7月上旬に計画した。この時期、本州に梅雨前線がかかっているということは、北海道には前線がかかっていないということ。人も少なく、うまくすれば高山植物が咲き誇っている。

ところが今年は梅雨明けが早く、と思ったら梅雨の戻りとか言われたりして、どのような天気、あるいは山の様子か予想がつけづらかった。

北海道へも3か月前から飛行機を予約すると、片道1万5000円くらいで行けたりする。なので、計画は3か月前からしているので、いまさら変更はきかない。

旭川空港からバスで旭岳温泉に前乗り。旭川空港のバス停で、東京からきた6人グループと一緒になる。訊けば同じコースを予定している。大雪山の縦走路には営業小屋がなく、避難小屋だけ。ここで6人もの登山予定者と会うとなると、相当な混雑が予想される。梅雨明けが早かったせいだろうか。

旭岳温泉は、湯元・湧駒荘をネットで予約していた。湯元というだけあって、泉源が5つもある老舗。旅のつかれを溶かすことができた。料理も老舗ホテルに似合わず斬新。

翌朝、6時30分始発のロープウェイへ向かう。なんともう50人くらいが列をなしている。定員は多いはずだが、コロナのため半数に制限されている。1回目の運行には乗り遅れた。40分の臨時便で姿見へ向かう。

旭岳中腹に姿見駅はある。よく晴れている。トムラウシ山までよく見える。足ごしらえをして登り始める。一歩きで姿見の池。まだ半分くらい雪に覆われている。地獄谷からはモクモクと噴煙があがっている。亜硫酸ガスだ。さていよいよ冒険のはじまりである。

2022年7月19日火曜日

早起きする方法

 

おはようございます。久しぶりにブログ投稿します。富永です。

最近、なんやかんや忙しくしていて、投稿をサボっていたのです。


3連休も、当番弁護士の当番日などがあり、なんやかんや出勤していたのです。

なかなか家事(家事事件ではなくて)をする時間がなくて、やむなく出勤時に日用品を買って事務所に行きました。


ところが、なんやかんや仕事をしていたら、すっかり持って帰るのを忘れて、事務所の机の上に放置して帰ってしまったのです。


ま、まずい。通常は法律事務所に置いていないものが不自然に置きっぱなし。

連休明けに事務所に出勤する他の弁護士や事務局に先に発見されたときの言い訳を考える必要があります。


まず、歯ブラシ。これは「昼に使います。」で、まあいけるでしょう。

次に、トイレクイックル。なかなか難敵ですが、「事務所の備品、買い足しときました。」で乗り切りましょう。事務所に寄付することになりますが・・・。


よし、なんとかなりそう。あ、そういえば、


バスマジックリン。


・・・これは「お、お中元です。」でいけるか。いや、無理。


言い訳の想定に行き詰まったので、早起きして朝1番に回収したのでした。


富永

2022年7月13日水曜日

『妻が口をきいてくれません』


  前回の事務所会議の際、ワークショップを行った。「事実をどう見るか。」というテーマで迫田班が報告を行い、それについてチームにわかれてディスカッションを行った。

本年度新機軸の一つ。事務所会議を活性化し、事務所内の風通しをよくしたいが、どうしてもマンネリ化しがち。そこでやってみることにしたのが、この方法。

タネ本は野原広子さんによる『妻が口をきいてくれません』(集英社刊)。手塚治虫文化賞・短編賞を受賞している。

まずは夫の側から。ある日、妻が口をきいてくれなくなり、あれこれ模索するも打開せず。場面切り替わり、妻の側から。口をきかなくなるまでの長い導線の紹介。

裁判をやっていると、一つの事実が二つにも三つにも化ける。事実を偽っていることもあるけれども、同じ事実が観方によって違うということも多い。夫婦でも、実はまったく違う世界を生きているということはある。

チーム分けでは、年配者グループに入れられた。若い人たちとわれわれではそれぞれ「常識」が違うので、議論がかみあうよう配慮したとのこと。

その結果、女性4人に男性1人という多勢に無勢じょうたい。なにを言っても、あーそうですよね、だからですよと言われているような気がする。

夫婦間での話題のあと、事務所内での弁護士と事務局のコミュニケーションの話題に進展するかと思いきや、突然の終了。迫田弁護士いわく、そこは「余韻と省略」(MY弁護士の言葉)なのだそう。なるほど。

2022年7月12日火曜日

パニックの話


 きのうのつづき。『E.M.フォスター短篇集』の2つ目の作品「パニックの話」。これも異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いたもの。舞台はアマルフィ海岸にある美しい町と山中。当時のイタリア、アマルフィはとてもエキゾチック。

 むかし(2009年)織田裕二主演で『アマルフィ 女神の報酬』という映画があった。イタリアを長靴にたとえれば、アマルフィはくるぶしの前あたりにある。カプリ島にある青の洞窟とともに当時の観光名所だった。

子どもとイタリア旅行に行った際、アマルフィや青の洞窟へ行かないことについて意見が分かれた。ローマからアマルフィやカプリ島を訪れるとなると1週間ぐらいの日程のうち2日間もとられてしまう。日本で言えば、京都観光をしないで天の橋立観光をするようなものだ。そう言ったが、なかなか聞いてもらえなかった。これもまた異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事だった。

日本では古来神道に舶来の仏教をうまくブレンドしてきた(導入期と明治の廃仏毀釈期を除く。)。欧米のことはよく分からないけれども、古い信仰のうえに、キリスト教が上から制圧したため、ときどき古い神々が怒って噴出している印象がある。

この作品で怒って噴出する神はパーン。ギリシア神話に登場する神で、牧神である。ドビュッシーに「牧神の午後への前奏曲」という作品があるけれども、あれである。

ドビュッシーのおだやかな曲想とは異なり、本作のパーンは恐怖のイメージである。日本でいえば、人間に悪さをする地霊神などの感じ。

パニックという言葉の語源はパーンにあるらしい。古代ギリシア人は、家畜の群れが突然騒ぎだし集団で逃げ出すのは、牧神パーンの影響によると考えた。知らなかった。

本作は欧米の現代的価値観のなかでダメだしをくらっていたユースタス少年が、突如パーンに捕らわれ、・・・する話。不思議な読後感。

2022年7月11日月曜日

E.M.フォスター短篇集


  とある事情で手元に本がなかったので、空港の本屋を冷やかした。いちおう紀伊国屋書店。例によってカレントなラインナップだったが、一冊だけ例外を主張していた。『E.M.フォスター短篇集』(井上義夫編訳・ちくま文庫)である。

ウィキによると、フォスターは1879~1970年のイギリスの小説家。主な作品は『ハワーズ・エンド』、『インドへの道』、短編『The Road From Colonus』など。異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品が多い。本の帯にもだいたいそのようなことが書いてあった。

『インドへの道』(1984年)はデビット・リーンの監督映画で観たことがある。なにをかくそう彼の大ファンである。好きな映画ランキングをおこなえば、『ドクトル・ジバゴ』、『アラビアのロレンス』が上位を独占すること間違いない。

そういわれてみれば、デビット・リーンのこれら作品も「異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品」だ。彼が『インドへの道』を映画化したのは肯ける。しかし当時はあまり感心しなかった。40年の時を経て、いまなら違う鑑賞ができるかもしれない。

いま短篇集の冒頭2作品を読み終えたところ。『コロヌスからの道』、『パニックの話』。やはりどちらも「異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品」。

『コロヌスからの道』はイギリス人父娘がギリシア旅行へ行った際の出来事と後日譚を描いたもの。コロヌスと聞いてピンと来る人はすごい。ソフォクレス作『コロヌスのオィディプス』でいう、あのコロヌスだ。

『おくのほそ道』を読んでいると、『平家物語』、『源氏物語』や王朝和歌の知識が当然の前提となっている。欧米文学の場合、ギリシア・ローマの古典がそれにあたる。『コロヌスからの道』も、『コロヌスのオィディプス』が当然の下敷きになっている。

主人公のルーカス氏はオィディプスであるし、娘のエセルはアンティゴネである。運命に翻弄されたオィディプスは予言に従って復習の神エウメニデスの聖林に導かれ、そこを自らの墓所として望んだ。そしてこれを阻もうとする息子たちの画策にもかかわらず、オィディプスはコロヌスの地中深く飲み込まれていく(以上、ほぼウィキより)。

フォスターは、読者がそのような予想をすることを当然の前提としつつ、これを上手に裏切り、読者をアッと言わせる仕掛けになっている。うまいなぁ。

ジョイスの神話的手法とおなじだ。小さな偶然・日常的事件を大きな神話的世界に再編成していく。

いまネットフリックスで「Manifesto」を観ている。ネットフリックスのオリジナル作品はなべてそうだが、未知との遭遇・そのコンフリクトを描き、謎を追求・種明かしをしていくプロットが多い。その先駆者はフォスターといってもいいかもしれない。

2022年7月5日火曜日

宝満山頂での歓談

 

 先週末は、怪鳥会によるアルプス練習登山の第2回。宝満~若杉縦走に代えて、宝満~前砥石往復8時間コースにした。

平地では30度超えの真夏日がつづき、屋内でも熱中症になる人が続出していた。そのような過酷な暑さのなか、8時間も山歩きすれば熱中症になる危険性もます。

そこで朝6時、竈門神社の登山口に集合し、4人での練習となった。普通ならペットボトル1本で足りるところ、ポカリスエットはじめ4本のペットボトルを用意した。

登山口にある池では、アカショウビンが鳴いていた。特徴のある声だから、間違いないと思う。

午前中はときおりさわやかな風が吹き、たすかった。宝満山頂はよい天気で、筑後平野方面はすばらしい眺望と景色だった。有明海付近はうすくもやがかかっているものの、そのうえには雲仙が鮮やかに見えていた。

この日、三郡山のあたりで、佐賀から来たという70歳前後のご婦人とご挨拶した。三郡から先へは行ったことがないというも、装備と足取りはしっかりしていた。

宝満山頂でふたたびお会いし、しばらく歓談。案の定、7月には黒部五郎、9月には槍ヶ岳に登られる予定だそう。いずれもソロ。お連れ合いも山をやっていたそうだが、お亡くなりになったのだとか。

いまどき小屋の収容人数が半減されているため、ハイシーズンは予約がとりにくい。ひとり電話をかけまくって、ようやく鏡平、黒部五郎の各小屋の予約ができたらしい。われわれも昨年おなじ山に登ろうとして予約ができなかった体験を話す。

70歳になり、ひとり練習し、ひとりで黒部五郎をめざす。かっこいい。話しぶりもおだやか。ながいあいだ山を歩いてきた経験の裏打ちを感じる。

われわれもああありたいと感銘を覚えた。

2022年7月4日月曜日

ウィ・シャル・オーバーカム


  あることを知ると、それまでバラバラだった知識がそのことのまわりに凝集してくることがある。

先日、葉加瀬太郎のコンサートに森山良子がゲストできていた。その際、清水ミチコもゲストだった。清水のあとが森山の出番だった。清水は森山にうまくつなげるため、森山のかって歌った「禁じられた恋」の歌まねをした。

「禁じられた恋」は1969年のヒットソング。10歳、小学校3年のときだ。曲は知っていたが、森山良子の歌とは知らなかった。いまどきのヒットソングである「さとうきび畑」や「涙そうそう」とはかなりちがう。

きのう、世界の果てまでイッテQだったろうか、イモトが狂言まわししながらAIが信州の星空のしたで「アルデバラン」を歌っていた。NHKの朝ドラで毎日聴いていたはずだが、森山直太朗の作詞・作曲というのはきのう初めて知った。

いまNHKの朝ドラアンコールは「芋たこなんきん」をやっている。2007年の番組で田辺聖子の自伝的ドラマ。きょうは徳永家の長女が成長し、フォークをきき集会などにもでかけていくようになる場面。部屋では「禁じられた恋」が流れていた。

集会で歌われていたのは「ウィ・シャル・オーバー・カム」。ぼくらはすこし遅れてきた世代だから、リアルタイムでの記憶はない。ウィキで検索すると、邦題「勝利を我等に」。米国ではジョーン・バエズ、日本では上条恒彦らが歌い、反戦・平和運動、歌声喫茶などでひろく歌われていたらしい。

この曲の存在を知ったのは弁護士になってから。なりたてのころ、弁護士会では自由な接見交通権の確立に取り組んでいた。知恵をお借りしに九大刑事訴訟法の横山晃一郎先生の研究室を訪ねた。その際、横山先生から聞いたのが、この曲。

その後ほどなくして先生はご病気で亡くなった。葬儀はプロテスタント教会で。仏教による葬儀と異なり、すべて平明な言葉で心の痛みが表現されて、感銘を受けた。

2022年7月1日金曜日

オダマキの心


 5年前のいまごろは事務所旅行で礼文島に行っていたようだ。島にそれほどの高山はないのだけれども、緯度が高いために高山植物が咲き乱れていた。

垂直分布ならぬ、水平分布。高山植物は、針葉樹でさえ生育できない寒さ厳しい環境で生きている。

これはオダマキ。オダマキの花言葉は興味深い。色ごとにちがう。
紫だと、勝利への決意、捨てられた恋人。
赤だと、素直、心配して震えている。
白だと、あの方が気がかり。
それぞれいわれがあるのだろうが、紫とその他の色ではかなり趣が異なる。

ところで、このオダマキの色はどう判定すればよいのだろうか。紫だといわれればそのような気もする。しかし赤でもあるようだし、白でもあるようだ。

このような花を贈りものにもらったら、迷ってしまう。あっ、礼文島の国立公園内の花は採ってはダメ。撮ってよいだけなので、ご注意を。