2011年11月30日水曜日
三四郎はそれからいかに門を出たか?
『門』夏目漱石著(新潮文庫)
をなぜか再読。35年ぶりぐらいか。
なぜ再読することになったのか
思い出せません。歳だ~。
再読しようと積ん読していたら
他の本に目うつりしてしまい、気づいたら時間が経過…。
その結果、なぜ再読することになったのか
わからないまま再読。
夏目漱石の前期3部作の掉尾を飾る作品
(のはず)
三浦しをんさんが『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ社)
と、うまくタイトル化しているとおり。
でも正直、『三四郎』、『それから』を読まずに
これだけを再読するとなんのことやらという感も。
過去については略奪愛を示唆するのみで
詳しい記述はありません。
現在については叔父夫婦との間の遺産問題、弟の扶養問題など
せいぜいが気がかり程度の事件が生起するだけ。
崖の上のポニョならぬ大家さんとの親交といった伏線を
ひろっていくうち、ついに略奪愛の被害者・安井との対決か!?
とおもいきや、主人公・宗助は問題の解決をもとめて
禅寺の「門」をくぐる。
しかし、そこで宗教的な解決が得られるわけでもなく
娑婆に戻ると、安井は蒙古へと帰ったあと。
かくて危機は回避され、宗助夫婦に春が訪れ
「本当に有難いわね。漸くの事春になって」(妻・御米)。
よかない!宗助もそう思ったのか
「うん、然し又じき冬になるよ」で幕。
対決を回避し、時間による解決に身をゆだねる
このような手法はわれわれの実務ではよくおこなわれます。
しかし、小説としては
どうなん?
『門』が緊張を回避し、このような微温的な解決になったことにつき
漱石の体調悪化が取りざたされています。
われわれがとる解決方法も体調に左右されることがあるので
このような指摘も一定あたっているのでしょう。
(もちろん、いや、あれはあれでいいんだ!
という漱石擁護派の方もいらっしゃいます。)
漱石が『門』を書く際にモデルとした寺は
鎌倉の円覚寺とされています。
ところが、漱石自身がその後むかったのは伊豆の修善寺
そこで大吐血し生死の間を彷徨う危篤状態に(「修善寺の大患」)。
この時、一時的な「死」を体験したことは
その後の作品に影響を与えることとなったとされます。
漱石は後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』
へと立ち向かっていきます。
病気にかぎらず、われわれもいろいろな問題に遭遇して
人生の門をくぐらざるをえません。
それは人生である以上
避けられないものです。
問題はそこからいかに出るか
出てからなにをなすか、ではないでしょうか?
2011年11月29日火曜日
舟を編む
『舟を編む』(光文社)
三浦しをんさんの新作です。
『風が強く吹いている』『まほろ駅前多田便利軒』『仏果を得ず』
『神去なあなあ日常』など。
いずれも仕事・課題に取り組む男女を描いて
楽しい作品たち。
駅伝、便利屋、文楽、林業ときて
本作は辞書づくりに取り組む男女が描かれます。
『舟』というのは言葉の海をわたる辞書の意で
『編む』というのはその編集作業のこと。
辞書づくりという仕事のあまりの地味さに
最初は手がでませんでした。しかし、
知人に勧められて、井上 真琴さんの 『図書館に訊け!』(ちくま新書)
を読んだため、心理的障壁がなくなり、手にとってみました。
そもそも辞書そのものに
思いのほか、楽しいところが。たとえば
れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、
二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、
出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、
常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、
まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。
(『新明解国語辞典』)
出典をおしえられなければ
「笑点」の大喜利とみまごう語釈でせう。
さて主人公の名はそのもののズバリ
馬締(まじめ)さん。
その名のとおり真面目で退屈なストーリーと思いきや
そこは三浦さんの筆、わくわくする展開になるのでした。
個性的な登場人物どうしが
個性をぶつけあって火花をちらします。
表面的にはどこまでも軽い同僚・西岡と
馬締との火花。
「すみません。相手にも同等かそれ以上の真剣さを求めてしまうのが
俺の悪いところです」
いや、と西岡は曖昧に首を振った。なにかに本気で心を傾けたら、
期待値が高くなるのは当然だ。
愛する相手からの反応を、
なにも期待しないひとがいないように。…
駆け出しの辞書編集者として
不安いっぱいの岸辺さん。
そこまで考えた岸辺はふと、「そうか」と思った。取っつきにくく
感じられるまじめさんも、もしかしたら、若いころは私と同じ
だったのかもしれない。
ううん、いまも同じなのかも。
人間関係がうまくいくか不安で、辞書をちゃんと編纂できるのか不安で、
だからこそ必死であがく。言葉ではなかなか伝わらない、
通じあえないことに焦れて、だけど結局は、心を映した不器用な言葉を、
勇気をもって差しだすほかない。相手が受け止めてくれるよう願って。…
岸辺さんと馬締の語釈をめぐる激論も
また見もの。
「『あい【愛】の項目なんですが」
岸辺は校正刷りを馬締に見せた。
「語釈の①が、『かけがえのないものとして、対象を大切にいつくしむ
気持ち』というのは、まだわかります。
でも、その直後に置かれた単語の例が、『愛妻、愛人、愛猫。』
というのは、どうでしょうか」
「まずいですか」
「まずいですよ!」岸辺は声を荒げた。
「だって、…」
(以下は、読んでのお楽しみ)
辞書編集部の新人だった岸辺さんも
めきめき腕をあげ成長していきます。
辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向きあうようになって、
私は少し変わった気がする。岸辺はそう思った。
言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、
だれかとつながりあるための力に自覚的になってから、
自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く
汲み取ろうとするようになった。
岸辺は『大渡海』編纂を通し、言葉という新しい武器を、
真実の意味で手に入れようとしているところだった。
そして公私ともに充実にむかう岸辺さんは
晴れやかな気持ちに。
なにかを生みだすためには、言葉がいる。…愛も、心も。
言葉によって象られ、昏い海から浮かびあがってくる。…
というわけで、
言葉を武器とする仕事をする方々におすすめです。
なお、馬締が住んでいるアパートがお約束どおりボロアパートなので
『木暮荘物語』や『風が強く吹いている』のテイストも楽しめます。
2011年11月28日月曜日
嫡出否認の訴え
赤ちゃんはかわいい。
自分の子はもちろん、他人の子も。
他人の赤ちゃんを評するときは
「お父さんにそっくり。」と言うようにしています。
産院でとりちがえでもおきないかぎり
母子関係に疑いが生ずることはありません。
でもわれわれのような仕事をしていると
父子関係に疑いが生ずることはときにあります。
なので、あまり似てなくても
「お父さんにそっくり。」と評するほうが安全です。
結婚(婚姻)の有無とは関係なく
父子関係は発生します。
結婚している男女から生まれた子が嫡出子(婚内子)
そうでない子が非嫡出子(婚外子)。
父子関係が認められると
扶養義務が発生したり、相続が発生したりと大ごとです。
結婚していないときの父子関係の発生には
認知が必要になります。
逆に、妻が婚姻中に懐胎した子は
夫の子と推定されています。
婚姻の成立の日から200日を経過した後、または婚姻終了の日から
300日以内に生まれた子は婚姻中に懐胎したものと推定されています。
この推定された嫡出子は
嫡出否認の訴えによってのみ覆すことができます。
今回ご依頼があったのは、前妻が産んだ子が自分の子となっているが
自分の子ではない!という事件。
事情を聴くと、子が生まれたのは離婚届けから300日以内だが
その1年以上前から別居していて、自分の子ではありえないとのこと。
一応、家族の問題なので
家庭裁判所に調停を申し立てました。
さいわい元妻も事情を認めたことから
急遽、審判に切りかえ、嫡出否認の訴えが認められました。
親族に関する事件は、単なる財産関係の事件と異なり
他人の人生に関与したという独特な余韻が残ります。
2011年11月25日金曜日
宝満山の紅葉
宝満山には太宰府側と筑紫野側と宇美町側に
それぞれ登山口があります。
山はだいたい都府県や市町村の境になっているので
各在所から登れることがふつうです。
たとえば、宝満山の北には三郡山がありますが
三郡とは筑紫郡、糟屋郡、嘉穂郡のことです。
九重山のばあい、北麓に九重町、南麓に久住町があったことから
どちらの表記を用いるかという大問題がおきたりしました。
現在では、火山群を指す場合に「九重山」を用い
その主峰を指す場合に「久住山」を用いるのが一般的。
山によっては村毎に別々の祠をたてて
神様を祀ってあるところもあります。
話が脱線しましたが
宝満山。
私は筑紫野市民だからというわけでもないけれど
筑紫野側から登ることが多いです。
筑紫野側は人もすくなく、階段もなく
川や滝、岩などの景観にやや分があるようです。
カモシカ新道・大谷尾根コース、猫谷川新道コース
提谷コースなどバリエーションもそれぞれ楽しい。
下りは太宰府側がふつうで
たまに宇美側にくだったりします。
太宰府側にくだるのは交通の便と
お茶屋で梅が枝餅を食べて一服するためです。
さてこの時期、宝満山も紅葉していますが
京都嵐山のように全山紅葉というわけにはいきません。
提谷コースを登り、百日絶食の碑からさらに
金の水方向へ直登すると、紅葉谷があります。
たしかに、紅葉はありますが、昔はいざしらず
いまは樹高が高すぎ、やや名前負けでしょうか。
宝満山の紅葉はやはり、谷筋を苦労しながら登っていくと
思わぬところで歓迎してくれる、という感じがいいですね。
(昨日、今日の写真は猫谷川新道コースにて
一昨日のは提谷コースにて)
2011年11月24日木曜日
モテキ
ようやく時間の都合をつけて、いまさらながら
キャナルで『モテキ』観ました。
深いですねぇ。
長澤まさみさんの胸の谷間が。
いや、そうじゃなくて
コミュニケーションの問題が。
結婚が男女の契約によるものであることは民法の定めるところですが
ステディな恋愛もやはりお互いの合意にもとづくものでしょう。
民法上、契約は申込みと承諾によって成立。なので
申込みがいつまで有効か?など細々と定めがあります。
裁判上、契約の有無、つまり申込みの有無、承諾の有無が
争いになることはザラ。
契約書が存在すればいいのですが、それがなければ
情況証拠を積み重ねて事実の有無を認定するしかありません。
恋愛のばあい、契約書などないことが一般的ですし
プライドがジャマして、情況証拠となるサイン、しぐさもあいまい。
なので、申込みをしているつもり、したつもりが
相手にまったく通じていなかったりします。
『モテキ』のばあい、女子たちの繰りだすクセ玉を主人公(森山未來)が
受けそこねて右往左往するわけですが、ま、それが見どころなわけですね。
観ていて大変おもしろいし
勉強になります。はい。
恋になやむみなさまのみならず、コミュニケーションになやむ諸氏に
いまさらながらおすすめです。
2011年11月22日火曜日
アントキノイノチ
さだまさしさんと一緒に酒を飲んで(私は飲めませんが)
あまり話があうとも思えません(失礼)。
ですが、『解夏』、『眉山』と彼が原作を書いた映画は
きらいではありませんでした。
『眉山』などは、四国剣山に登るついでに
徳島市まで足を伸ばし、眉山に登ったくらいです。
ま、たんに主演の松嶋菜々子さんが好きなだけでしょう
と突っ込まれれば、そうかもしれませんが。
眉山は名前のとおり標高290mのなだらかさ
ロープウェイもあって気軽に登れます。
ですが、山のまわりには散歩コースがあって
ここをぐるぐる歩くとほんとうにいい感じです。
『眉山』では松嶋菜々子さんの母・咲子(宮本信子さん)が
献体を希望されます。
そのつづきでしょうか
映画『アントキノイノチ』も、命のつながりがテーマに。
人は心の傷をどのようにして癒すのか?
うつ病からどのようにして快復するのか?
主人公は、死者の引越屋さん(もちろん遺族の依頼ですが)
で働きます。
私も、店子さんが行方不明になったとして
家主さんに頼まれて建物明渡しの強制執行をします。
ゴミなどが乱雑に散らかっている家がおおいのですが
きれいに片付いた家もときにあります。
そのような仕事をしながら
なにがしか考えさせられます。
主人公の同僚も心に深い傷を負っています。
彼/彼女らの人間的な交流をつうじて快復がはかられていきます。
ま、いくつか納得できないところもありましたが
お約束どおりに泣いてしまいました。
P.S.
チケット売り場で入場券を買う際、ちょっと緊張して
「アントキノイノキ1枚!」と言ってしまいました。
2011年11月21日月曜日
持ち重りする薔薇の花
人の集まりもまた人とおなじく生きもの
誕生、成長、成熟をへてやがて衰退、解体していきます。
夫婦という共同体しかり
3人以上の組織、団体もしかり。
どうやら人間の性(さが)のようで
DNAにインプットされているのかな?
一般に衰退、解体というのはマイナス・イメージですが
平家物語のように、滅びが哀れを誘い、美しいという面も。
来年また大河ドラマになるようですが
何度でも鑑賞にたえます。
平清盛といえば、われわれの世代には仲代達也ですが
松山ケンイチさんの清盛もおおいに期待しています。
新田次郎に「武田信玄」「武田勝頼」父子を描いた2つの小説
がありますが、滅びにむかう後者のほうがはるかに面白い。
というわけで、当事者にとっては悲劇ですが
文芸的な感興という観点からはギリシア時代から悲劇の伝統が。
話が脱線しましたが、『持ち重りする薔薇の花』(新潮社)
丸谷才一さんのひさびさの長編小説。
丸谷才一さんとは一面識もないものの、研修所時代の亡同級性の父上と
仲良しということで、浅からぬ?ご縁が。
話は、カルテット(四重奏団)の結成と解体を
そのスポンサーが編集者に語るという筋立て。
カルテットは、ヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロによって
ハーモニーを、ときには不協和音も奏でます。
この楽しいけどやっかいな4人の人の集まりを
持ち重りする薔薇の花束にたとえたのが表題。
「…いや、薔薇の花束を一人ならともかく四人で持つのは
面倒だぞ、厄介だぞ、持ちにくいぞ…」
例によって丸谷さんの語り口、会話の妙が上品でユーモアがあって
上質なワインを飲んでいるよう(私は下戸ですが)。
全編にちりばめられる人間と人間関係に対する洞察も
いちいちうなずかされます。
・「チェロさんの想像力の貧困、思ひやりのなさ、人間的な至らなさ
がこたへるんだね。わかる。…」
・「まあ、E・M・フォースターみたいな皮肉」
それを聞いて梶井は苦笑し、
「ばれたか。フォースターの口まねなんだ。
君はフォースター、好きなの?」
4人の人間関係がぎくしゃくするにつれ
皮肉なことに四重奏の円熟は深まります。
「はい…音楽的に深まるきっかけとなった、四人の人間関係のもつれの
せいでの心労、辛さとか痛々しさとか切なさとか我慢とか忍従とか…」
人間、その集まりというのは
ほんとうにやっかいでおもしろいしろものですねぇ。
2011年11月18日金曜日
九州最後の秘境:大崩山
宮崎県北部、延岡市から祝子(ほうり)川に沿って
源流へむかってひたすら西上。
途中で3度
野生のタヌキと遭遇しました。
うち一匹は車を見ても逃げず、路上でにらみ返してきて
「喧嘩売ってんの?」という、ふてぶてしい態度でした。
(前日の尾鈴山では、道を横切るシカと遭遇しました。
野生動物との出会いは山の自然の豊かさを実感させます。)
その他、ここでは書けない冒険も経て
ようやく登山口に到着。
大崩山荘を経て、ワク塚分岐から祝子川を徒渉
小積谷を渓流沿いに登り、最後は急登をがんばり袖ダキへ。
そこからは谷の反対側にそびえる小積ダキまで
馬蹄形にぐるりと巨大な花崗岩が連続して取り囲んでいます。
名にし負い、花崗岩の大崩れな山なわけですが
崩れたというより、むしろ神が造形したように見えます。
一ぷくの水墨画のようでもあり
西遊記の舞台のようでもあり。
でも実際にこれら巨大な岩々をめぐるときは
ディズニーランドも顔負けのアトラクション状態。
めくるめくスリルとサスペンスと緊張と興奮と…
一周おえるころには気力、体力をつかいはたしヘトヘトです。
要するに、素晴らしい山行でした。
また行きたい!
2011年11月17日木曜日
宮崎の紅葉は?
宮崎県にある2つの二百名山、尾鈴山と大崩山に登るべく
飛行機で宮崎へ飛びました。
以前ご紹介したように、英彦山で出会った大崩おじさんに
秋の大崩山のよさを喧伝されたからです。
いつものお仲間
この時期ですから、いろいろな行事が重なり4人の参加。
プロペラ機で、7:35発、8:20着、45分の空の旅
左1列、右2列の座席で、左右のバランスがとれるのかしらん?
飛行機は筑紫平野上をぐんぐん高度をあげ
筑後平野を横切って、九州山地へ。
窓から阿蘇山のカルデラが見えました。
カルデラを西南方向から写した写真です。
手前が俵山、その向こうに烏帽子岳
その麓に地獄温泉の湯煙が見えています。
その右手・奥に祖母・傾山、翌日登る予定の
大崩山も見えていました。
こうして飛行機の窓から九州山地の紅葉も
楽しむことができました。
ところが、宮崎空港に着き、レンタカー屋さんに
尾鈴山、大崩山の紅葉はどうですかね?と尋ねると
「宮崎に紅葉はありませんよ。
常緑樹ばかりですから。」と、素っ気ないお答え。
宮崎県人がぼくとつで正直者ということは
よくわかりました。
2011年11月16日水曜日
中小企業経営者フォーラム
さる7日、ヒルトン福岡シーホークで、福岡県中小企業家同友会による
中小企業経営者フォーラムがひらかれました。
テーマは、「全社一丸の企業づくり」。それが、厳しい時代を乗りきる
最強戦略であるとして、経営者と社員の誇りと課題が議論されました。
実行委員長は、「いまこそ日本!いまこそ中小企業経営者!」の
かけ声もたかく、林田達社長。いつもご指導ありがとうございます。
基調講演は、岡山同友会代表幹事、岡山旭東病院院長の土井章弘さん
による「経営者と社員のギャップを埋めるのが経営指針書」。
同友会の理念である「人間尊重の経営」に共感し、経営指針書の成文化を
通じて「地域密着オンリーワン病院」をめざしていらっしゃります。
ウイットとユーモアあふれるお話。とりわけ多数のジョークを繰り出すも
ひんぱんに滑ってしまうところに、いたく共感しました(失礼)。
第2部は、10の分科会にわかれての討論。報告者は、わが森茂博さんを
はじめ、権藤光枝さん、中原亜希子さん、王愛さん、滝本徹さんら。
いずれもとても魅力的な報告者がならんでいましたが
私はブロック長の田中洋一さんに誘われて、第3分科会へ。
久留米の株式会社東洋硬化・社長の小野賢太郎さんの報告で
久留米から見据えた地域、全国、海外…への視線が熱かったです。
理論と実践が一体となっていて
ほれぼれするような報告でした。
東日本大震災などの影響で、地域経済の冷え込みは厳しい。でも
その回復には中小企業ががんばらねばと確信できた一日でした。
2011年11月15日火曜日
熊本駅周辺地域の視察
さる自治体の審議会の学識経験者委員をおおせつかっている関係で
熊本駅周辺地域整備事業の視察に行ってきました。
熊本駅というと
私にとってもひとかたならぬお世話になったところです。
弁護士になって以来
南九州税理士会違法政治献金(牛島税理士)訴訟
水俣病第3次訴訟、ハンセン病訴訟と
手がけた大型訴訟だけでもほとんど熊本に関係しています。
薬害肝炎の関係でも、実名原告さんを排出した高名な産科があり
証人尋問やその打合せ等で訪れました。
一般事件でも、さる高名な方の脱税事件をはじめ
消費者事件などで出張した思い出があります。
熊本の裁判所は上熊本駅が近いのですが、全部の特急が停まるわけでは
ないので、熊本駅までタクシーでとばしたりしました。
熊本市内にあった故・牛島先生の事務所で打合せをしたり
おごっていただいたりしました。
ハンセン病訴訟の期日帰り、駅前の地ビール館で
弁護団のみなと、その日の戦果を自慢しあったりもしました。
特急電車のなかで、立ち飲みをしながら
その続きを語り合ったりもしました。
それが九州新幹線に乗車して
わずか半時間で熊本駅に着。
駅と周辺は大きく変貌していました。
いまだ在来線の高架工事中でさらなる変貌が予定されていました。
九州新幹線の全線開業や熊本市の政令指定都市化などを
にらんだインフラ整備ということのようです。
時代の変化にあわせて
新旧交代はやむをえないところもあるでしょう。
でも諸々の思い出と一体となった旧熊本駅の面影が
なくなってしまうのも、ちょっと寂しい気がしました。
2011年11月14日月曜日
ステキな金縛り
40歳くらいのご婦人。「××警察署の紹介で来ました。
盗撮、盗聴の被害を受けています。」
むむむ…。
春先によくある相談です。
「そうですか。ご存じのとおり
いまの裁判所は証拠裁判主義です。
あなたの言い分を裁判官にわかってもらうためには
証拠が必要です。
なにか証拠はありますか?」
と、とりあえずお返しします。
しばらくして
また来られます。
「先生、これが盗聴の証拠です!」
と、着ている洋服の襟元をひねって見せられます。
…なにも怪しいところはありません。
「それが、なにか?」
「ここに盗聴器が埋め込まれています。」
…。
とりあえず盗聴のほうは深入りせず
「では、盗撮のほうの証拠は?」
「先生、これが盗撮の証拠です!」
と、ご自宅の天井裏が写っている写真を見せられます。
…天井裏のほか何も写っていません。
「これが、なにか?」
「この梁のところに盗撮用のカメラの跡が。」
…。
話は変わって、別の事件
あるとき当番弁護士で○○警察署に出かけました。
「容疑は覚せい剤取締法違反だけど
間違いないですか?」
「先生、私は覚せい剤をうっていません!」
と全面否認。
「でも尿から覚せい剤反応が出ているようだけど
間違いないですか?」
「あーそういえば
トイレで誰かに無理矢理注射をうたれたことが…。」
たとえ三流弁護士でも
これらの言い分を真に受けることはないでしょう。
でもお引き受けしたとすれば
どうなるでしょう?
さあ、三谷幸喜ワールドのはじまりです。
なかなか楽しい映画でした。
ぼくが裁判官なら、弁護人が深津絵里というだけで
なんでも認めちゃいます(実際、この映画でもそうでしたが)。
いまの日本の裁判官は証拠裁判という金縛りのもと
かなり狭いところで真実かどうかを判断しています。
依頼者のみなさまからは
ご不満をいただくことがザラです。
ではむかしはどうだったかというと、たとえば
盟神探湯(くがたち)という裁判方法がありました。
熱湯に手を入れて、手がただれたら
その人の主張はうそであるとされる神判です。
ま、これよりはいまのほうがマシでしょう。
人間のやることですから限界があります。
裁判官がみな遠山の金さんなら、ご自身で事件現場を目撃して
証人と裁判官の二役をつとめて見事、一件落着とあいなります。
しかしながら、裁判官が超人的な能力を発揮して真実を
発見することを期待するのはちょっと無理な相談です。
もしすべての真実が発見できるとなれば、えん罪ゆえに
起こったドラマのジャンルがなくなってしまうでしょう。
『ステキな金縛り』というユーモアあふれる
素晴らしい作品も、その前提を欠くことになってしまうでしょうね。
2011年11月11日金曜日
オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ
きのうのブログについて
さっそくメールをいただきました。
私にとっても、ベン・ハーは強烈な思い出です。
もっともあの病気がハンセン病であったことを知るのは
ずっと後になってからですが。
次は『砂の器』です。
加藤嘉の顔が忘れられません。
ありがとうございます。
励みになります。
やはりハンセン病といって次に思いうかべるのは
『砂の器』でしょう。
松本清張の原作。執筆は1960年からですから前年に放映された
『ベン・ハー』の映像が、先生の頭には去来していたかも。
(以下、ネタバレあり)
ハンセン病患者を身内にもつものの
宿命と苦悩を背景として生じた殺人事件の捜査過程を描いています。
私が高1のときに映画化され
話題になりました。
ハンセン病患者の父子が差別・偏見をのがれるため
放浪する姿が印象的。
(ハンセン病の差別・偏見を助長するおそれがあるとして
元患者団体が映画化に懸念を表明した経緯があります。)
そして加藤剛の指揮したピアノ協奏曲
「宿命」を背景としてクライマックを迎えました。
テレビでもくりかえしドラマ化され、スマップの中居くんや
ついさいきんでは玉木宏さんの映像で見た方もいるでしょう。
(もっとも中居くんのでも2004年ですから、2001年5月に
解決した訴訟の説明としては援用できませんでした。)
こう書いてくると、世界の共有などとはおおげさな、ハンセン病
に関する知識の共有の有無ではないか、とのお叱りもありましょう。
ですが、私たちにとっては単なる知識の断片ではなく
これにまつわる経験や思い出の総体をなしているのです。
松本清張の原作(新潮文庫)を知ったのは
大阪から唐津まで遊びにきていた際の従兄弟の家でした。
加藤剛が主演する映画は、高校の授業を抜け出して
ダブル・デートで観に行きました。
ダブル・デートのあいかたが、映画がまちどおしくて
教科書に『砂の器』の画を描いていたときには、笑いました。
加藤嘉が演じたのが、父であるハンセン病患者ですが
その悲哀をわすれられないような表情で表現したのでしょう。
メールをくれた方は、『砂の器』体験を
その顔に集約、象徴させて想起されるわけです。
われわれが『ベン・ハー』や『砂の器』を想起する際には
こうした総体としての経験がたちまち脳裏に立ち上がるわけです。
それを欠く人々との間で、世界を共有し、コミュニケーションを
なすことは、かなりの困難を覚悟せざるをえません。
それでは、それができないか?
というと、そうでもないんですねぇ。
元患者の人権回復運動に参加した経験からいえることは
よりおおきなところで世界を共有できれば、いいんです。ほんと。
(〆のところ、ちょっと尻切れトンボですが
きょうはこれから熊本出張。失礼。)
2011年11月10日木曜日
世界の共有
自分と他人が共有する世界はおなじものでしょうか?
ふだん人と話をしていて意識することは少ないのですが
ときおり共有する世界のズレが口をあけることがあります。
とくに講演などでは、市民、学生、宗教関係者など
背景の異なる多くの方々に話をするので、この問題が意識されます。
世界が共有されていないと
コミュニケーションが成立しません。
ハンセン病の元患者らの人権回復運動に取り組んだとき
各地に呼ばれて、運動の現状と目的について訴えました。
その際、まずはハンセン病を理解してもらわないと話がはじまりません。
ハンセン病と聞いて、みなさんは何をおもい浮かべますか?
私にとって、もっとも強烈なイメージは
ウイリアム・ワイラー監督の映画『ベン・ハー』の一場面。
映画は、チャールトン・ヘストンによる
ローマ時代の戦車競争の場面で有名。
物語は、ローマ帝国支配時代。
ユダヤ人貴族ベン・ハーの運命を描きます。
重要なポイントで
何度かイエス・キリストがかかわってきます。
ベン・ハーは無実の罪を着せられて
ガレー船のこぎ手という奴隷の立場に。
でも海戦の際、司令官の命を救ったため
彼の養子にとりたてられ、地位を回復。
ユダヤへ戻って家族を探したところ
母と妹はハンセン病に感染して、患者らの谷に。
イエス・キリストのもとに2人を連れて行ったところ
奇跡がおこり、ハンセン病が癒されます。
まことに感動的な場面です。
でも、さいきんの人たちは『ベン・ハー』を知りません。
ために、このイメージを援用して説明しようとしても
すべってしまいます。
ま、1959年の映画ですから
やむをえないですかね。
そこでさて歴史にくわしい人であれば
戦国時代、関ヶ原の戦いで西軍で戦った大谷吉継。
彼もまたハンセン病だったといわれ
外貌醜状を白い布で隠す姿として描かれます。
しかしながら歴女ならいざ知らず
一般には大谷吉継の名声もそれほど知られていません。
一部歴女の反応を除き、またまた滑ってしまいます。
これまた想定の範囲内。
さてどうしましょう?
2011年11月9日水曜日
運命のすれちがい
運命の出会いというのはわかりやすい。
出会った事実と感動があるのだから。
でも運命のすれちがいというのはどうだろう?
出会いの事実も感動もないのであるから、わかりにくい。
訴訟でも、事実があったことの証明はできないことはないが
なかったことの証明は「鬼の証明」と呼ばれています。
それで、立証責任という議論があり
原則として、事実があったと主張するほうが立証責任を負います。
それはさておき、運命のすれちがいが描かれるのは
一般には小説、テレビや映画のドラマのなか。
当人どうしは気づかないからこそ、すれちがう
であれば、それ以外の第三者の視点を入れる必要があるので。
日本で一番有名なのは(というか、有名とされているのは)
『君の名は』の真知子と春樹。
東京大空襲の夜、一緒に逃げ惑った見知らぬ男女は
なんとか銀座の数寄屋橋にたどり着く。
そこで2人は、名を名乗らないまま、お互いに生きていたら半年後
それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、そのまま別れる。
その後、運命のいたずらか
お互いに数寄屋橋で相手を待つも、すれちがいがつづく。
やっと会えたとき
真知子はすでに人妻となっていた。…
というわけで、運命のすれちがいに日本中の男女が涙したとされています。
(私は残念ながら、同時代的に体験していません。)
私がいちばん好きなのは
映画『ドクトル・ジバゴ』のなかの、それ。
医師で詩人のジバゴと恋人ララ
ロシア革命の混乱のなか、彼らの運命は翻弄されます。
街中でほんのすこしのタイミングですれちがう彼らに
「ほら!後ろを振り返って!」と声をかけたくなります。
こうした運命のすれちがいも
さいきんは携帯電話の普及により様がわりした感があります。
ドラマのなか、恋人どうしがうかつに出会えないでいると
「なんでケータイしないの!」と突っ込みをいれたくなります。
むかしながらの切ない運命のすれちがいも
テクノロジーの進歩により陳腐化してしまったなぁ…。
と嘆いていたところ
いまでも運命のすれちがいが存在することをさいきん発見。
これもまた皮肉なことに
テクノロジーの進歩に負うことになります。
せんじつ、阿蘇山にのぼった旨フェイスブックに報告したところ
同じ日時ころ近辺にいたとのコメントが2件寄せられました。
うち1件は高校時代の恩師(大阪府在住)によるもので
日付のみならず阿蘇ロープウェイ駅という場所までおなじ。
時間だけ、数時間だけ、すれちがっていたわけです。
とてもお会いしたかったので、とても残念。
これはもう運命のすれちがいです。
たしかに、いまでも運命のすれちがいは健在です。
2011年11月8日火曜日
点と線
『点と線』(新潮文庫)は、ご承知のとおり
松本清張の長編推理小説。
わが福岡市香椎の海岸で
男女の情死とおもわれる死体が発見され
博多のベテラン刑事・鳥飼重太郎が
犯人のアリバイを崩していきます。
「点と線」という表現は
依頼者への説明でよく利用させてもらいます。
証拠には2種類あります。
書証と人証です。
書証は契約書や登記簿の記載事項など
人証は証人の証言や原・被告本人の供述などです。
書証は点
人証は線です。
裁判で提出された書証という点を
人証という線でうまく結べるかどうかが勝敗を決します。
すべての点がきれいな線で結ばれていれば真実とみなされ
デコボコな線でしか結ばれていなければ虚偽とみなされます。
実際はデコボコだったのかもしれません
往々にして真相はデコボコのことも多いでしょう。
でも裁判中の証言はどうしても嘘がおおくなるので
このようにして判断しなければ勝敗を決することができません。
ま、天動説と地動説どっちが真実か?
という問題に対する解答の判定と似ているかもしれません。
証人尋問、とくに反対尋問は
証人の証言の矛盾を書証によって崩すばあいがほとんどです。
みなさんも弁解のほころびをおぎなうためにまた弁解し
その矛盾点をつかれて立ち往生した経験がありませんか?
それはさておき、『点と線』で犯人が仕掛けたアリバイは
現在ではテクノロジーの進歩により完全に陳腐化しています。
われわれが読んでいて
なんでそんな簡単なアリバイが解けないの!?という感じです。
『点と線』が書かれたのは、私が生まれる前
1957~58年のことです。
時代的な制約ってやつです。
こういうことってありますよね?
2011年11月7日月曜日
さいきんのブログ
さいきん、またまた本ブログの読者だと
3人のかたにカミングアウトしてもらいました。
ひとりはある団体の事務局のかたで
いちど駅伝の練習会でご一緒しました。
ひとりはマスコミ関係者で
なんどか一緒に山に登りました。
ひとりは私の仕事を支えてくれる人で
いつもお世話になっています。
みなさん
ありがとうございます。
誰でしたか、ミクシィはカラオケボックスで歌うようなもの
ブログは駅前で歌うようなものといわれてました。
たしかに、ブログは読者層がわからないので
当初は書いていても虚空に吸い込まれる感がありました。
でもこの間、おおくの方々に「読んでるよ!」と励ましを
いただくことで、読者の方々と親密な空間を意識できるようになりました。
ブログもまた
コミュニケーションなんですねぇ。
そのせいもあり、すこし肩の力が抜けて
テーマも内容も文章もリラックスしてきました。
えっ? 手抜き?、クオリティが下がった?…
ま、そうともいえます。
法律事務所の見えない敷居を低くする
という目的で本ブログをはじめました。
その目的をどの程度達しているかは
いまのところ?です。
が、おなじみの方々とのコミュニケーション・ツールとしては
そこそこ役割をはたしているような気がしてきました。
「ブログを読んで『虫愛ずる姫ぎみ』を買いました!」などと
いわれると、「やったね!」という感じです。
みなさま方の励ましのお言葉
大募集してます(どういうブログ?うふふ)。
2011年11月4日金曜日
アボガドはむずかしい
(以下、『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』の
ネタバレあります。ご注意ください。)
世の中にはむずかしいことがたくさんある。
いちばんは、アボガドの熟れ頃をいいあてることだ。
ハワイのキラウェアという町には、これを
完璧に言い当てる太ったおばさんがいる。
この町で、村上春樹さんは映画『ミスティック・リバー』を見た。
終わりちかくで突然フィルムが炎上して、ぷっつん。
誰かが立ち上がって、「おい、いったい犯人は誰なんだよ?」
と叫んだ。すると、他の観客みんなが爆笑した。
昭和30年代の日本の映画館にもこんな親密な雰囲気があった。
以上が村上さんのエッセイのいちぶ抜粋。
たしかに、映画もつくった側からの一方通行より
観客と双方向のコミュニケーションがあったほうが断然おもしろい。
長野岩戸神楽の『柴引荒神』がなぜ盛り上がったからといって
観衆と一体となった「親密な雰囲気」の劇だったからでしょう。
村上さんはこの「親密な雰囲気」を昭和30年代に限定しているけど
少なくも福岡の映画館では、ときにこのような体験をすることがある。
映画中で、役者がダジャレをいったときに
自分だけ心のなかでクスリとするのでは、やや寂しい。
ここはやはり会場のみなさんと、「どっ。」といきたい。
笑いも共有することで、得られる快感が倍増しますから。
そういえば、ロンドンで『マンマ・ミーア』を観劇したときのこと
直前に映画を見て予習をしていきました。
それで、筋やセリフはだいたい理解できたのですが
笑いのツボはさっぱり。
ロンドン子たちはひっきりなしに『どっ。」と沸いています。
笑いを共有できず、とても寂しいおもいをしました。
世の中にあるむずかしいことのうち
ボクが考えるいちばんは、紛争をなくすこと。
世界の人びとが笑いのツボを共有できるようになれば
紛争はもっと減るのでしょうね。
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2011年11月2日水曜日
『柴引荒神』をめぐる一考察
『柴引荒神』は、おととい書いたとおり
阿蘇神社の長野・岩戸神楽の演目のひとつ。
お話は、荒神が柴(榊)を集めてきて神前に供える
という単純なもの。
ただし、5本ほど舞台に置かれた柴には、地元の子どもたちが
「土」として張りついています。
見どころは、抜かれまいと必死の抵抗をする子どもたちと
荒神さまとの柴の引き合いです。
荒神さまは、舞を踊りながら簡単に引き抜きにかかりません。
じらしにじらし…、子どもたちのバクバクが伝わってきます。
いざ抜くときは、聴衆と舞台が一体となって
かけ声をかけあいクライマックスを迎えます。
ん?このスペクタクル、この興奮、この緊張とカタルシスは
たしか、どこかでおなじみ…。
そのときは、小・中学校の運動会の綱引きかなぁ~
でも、ちょっとちがうなぁ~とおもっていました。
それが、村上さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』を
読んでいて、「あっ、そうか!」と謎がとけました。
『柴引荒神』の興奮とカタルシスは、綱引きよりも
ロシア民話の『おおきなかぶ』により近いものだと思います。
みなさん知ってますか?
ロシア民話の『おおきなかぶ』を。
作: A・トルストイ、絵: 佐藤 忠良、訳: 内田 莉莎子で
福音館書店から味わいのある絵本になっています。
子どもたちに何度もよんであげました。
大人的にはなんということはないのに、子どもに受けるんですねぇ。
子どもたちから
おおきなかぶが抜けたときの快感が伝わってきました。
村上さんが書いているように、幼稚園のお遊戯の定番です。
子どもたちの幼稚園でもやっていました。
こうして『柴引荒神』の興奮とカタルシスに関する
謎がとけました。
その結果、この謎解きに関するカタルシスもまた生じたのでした。
新幹線車中で、村上さんのエッセイを読みながら。
岩戸神楽と村上さんのエッセイという、おもわぬつながり
これがまた快感の質を高めたのでした。
さて、抜かれたあとの、おおきなかぶはどうなったでしょう?
それは村上さんのエッセイをお読みください。
さて、抜かれたあとの、荒神さんの柴(榊)はどうなったでしょう?
それは…地元の方々がもちかえり、家々に飾っているようです。
2011年11月1日火曜日
『おおきなかぶ、むずかしいアボガド」
きのうは名古屋の裁判所まで出張でした。
むやみに待たされ、腹立たしくなりました。
帰りの新幹線のなかで
村上春樹さんのエッセイ集を読みました。
『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』
(マガジンハウス)です。
「アンアン」に連載していた「村上ラヂオ」を
一年分まとめたもの。
ゆるい語り口に
怒りがクールダウンしました。
感情が波立っているかたに
お薦めです。
とりわけ「アンガー・マネジメント」という
そのものズバリのエッセイも含まれています。
あなたは怒りっぽいタイプでしょうか?…
何かでかっとしても、その場では行動に移さず、一息おいて
前後の事情を見きわめ、「これなら怒ってもよかろう」と
納得したところで腹を立てることにした。…
なるほどなるほど
そうすれば怒らなくてすむのか…
などとお手軽に採用しようとしたりすると
とんでもなく怒られたりしたりして。
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