2024年4月26日金曜日

怪鳥会の春遠征(3)武奈ヶ岳(2)

 

 武奈ヶ岳をくだる。まずは登ってきた御殿山方面が見えている。


 すぐの分岐を南へ。コヤマノ岳、比叡山方面が見えている。
 登りは武奈ヶ岳の背後(西)から登ってきた。帰りは琵琶湖方面(東)へくだる。


 いまの季節、コブシが咲いている。写真ではまったく伝わらないが、街路樹のように登山道沿いに林立していた。ぜいたく。



 武奈ヶ岳というだけあって、ブナ林がひろがる。なかにはこんな樹も。妖怪なのか怪獣なのか。樹に姿を変えられたというかんじ。


 ここかしこで琵琶湖がみえる。残念ながら霞んでいる。だが、きょう宿泊する予定の近江舞子の内湖は見えている。



 イワウチワ。葉がウチワのようであるから。かれん。花言葉は春の使者。


 オオカメノキ。葉がカメの甲羅のようだから。別名ムシカリ。葉が虫の大好物だから。


 クロモジ。和菓子に添えられている楊子でおなじみ。


 コブシもそうだったが、クロモジも群生がすごい。花に酔いそうだ。 


 とか思っていたら、アセビ。馬酔木と書く。馬がこれを食べると酔うから。人が花に酔うなら、馬も花に酔うのか。


 八雲ヶ原の池ではアカハライモリがたくさん。恋の季節。カップルや2匹で彼女を奪い合っている連中もいた。この子はひとり孤独をかこっている。


 シャクナゲ。色が濃い。そういえば登山口の明王院でも咲いていた。ようやくおなじ標高までくだってきたということだ。


 さらにくだるとミツバツツジ。名前どおり葉が三つ。


 登山口ふきんまでくだると、ヤマザクラ。ことしのサクラの見納めだろうか。やはり春山はいい。

2024年4月24日水曜日

怪鳥会の春遠征(2)武奈ヶ岳

 







 武奈ヶ岳。標高1214.4、滋賀県大津市にある二百名山。冬期に2度登ったことがあるけれども、春期ははじめて。

坊村の明王院を出発して、山頂をめざす。前山として御殿山があり、御殿山コースと呼ばれる。明王院で登山の無事と平和を祈願する。そして御殿山尾根の急登にとりつく。

もう終わりかもう終わりかと思いながら急登がつづく。急登のあいだ、針葉樹の植林がつづき、森もくらい。

稜線部にいたると、落葉樹に植生が変化した。中高木はいまだ葉をおとしたままだ。しかし林床ではイワカガミやスミレ、ショウジョウバカマなど可愛い花々がむかえてくれた。やはり春山はいい。ようやく山頂がみえてきた。

2024年4月23日火曜日

怪鳥会の春遠征(1)

 

 怪鳥会の春遠征。まずは伊吹山に登ろうと金曜の夜に出発し、彦根に宿泊。ホテルの窓から国宝をのぞむことができた。ぜいたく。


 ところが、伊吹山は斜面崩壊のため登れないことが判明。

 https://www.city.maibara.lg.jp/mtibuki/index.html

 痛恨のリサーチ不足。やむなく行き先変更。選択肢は1 ドライブウェイで伊吹山、2 翌日予定していた武奈ヶ岳の前倒し、3 霊仙山、4 京都一周トレイル(稲荷山~蹴上)。翌日の天気予報が悪かったことから2とすることとした。

 写真は彦根駅前。徳川四天王のひとり、井伊直政像。昨年はNHK大河「どうする家康」で板垣李光人が演じたため、女性陣が騒がしい。


 武奈ヶ岳に登るには、琵琶湖を時計回りに半周廻って西岸へ行き、比良をめざさなければならない。まずは山科へ新快速で。途中、キティちゃんをラッピングした特急はるかが追い抜いていった。はるかは、関空のアクセス列車。野洲、草津と関空を結んでいる。明後日は岸和田に行く予定だったので、旅心は嫌が応にもたかまる。


 山科から湖西線で比良へ。比良で降りた。タクシーは待機していない。タクシー会社に電話。しかし、来られないという。この時間帯、高齢者の施設・病院への送迎で忙しいのだろう。
 やむなく堅田に引き返す。待機していたタクシーで坊村・明王院へ。標高が高くなるため途中、川沿いに遅咲きのサクラが満開であった。明王院にはシャクナゲが咲いていた。いよいよだ。

2024年4月19日金曜日

青螺山~黒髪山縦走

 

 薬害肝炎原告団総会@長崎のあとは、八尋大兄とふたりで青螺山~黒髪山を縦走した。
 西九州新幹線で武雄まで、そこから在来線で有田まで。有田からはタクシーで龍門ダムの登山口まで。
 写真左が青螺山(せいらさん)618m、右が黒髪山(くろかみやま)516m。低山であるが、ともに美しい名である。黒髪山は新日本百名山。


 名の美しさに騙されてはいけない。きれいな花にはトゲがある、美しい女には・・・。青螺山には断崖・絶壁がある。


 だけでなく花もある。ミツバツヅジが咲いていた。セイラの花、セーラーフラワー。こうなったら月夜に登ってみたいものだ。セーラー・・・。


 ふりかえると、登山口のあった竜門峡・龍門ダム。龍門というのは登龍門というばあいのあれだ。登竜門とは難関突破のこと。まさに難関の山を突破した。




 黒髪山に登ると、有田ダムがみえた。向こうは有田市街だ。 


 黒髪山も山頂部はけわしい。鎖場の連続だ。有田焼は李参平が磁器の原料となる原石を有田で発見したことが発祥。こうした難しい地形は、そうした原石の存在と関係しているのかもしれない。


 難関突破が得意な八尋大兄も苦労している。


 黒髪山は古くからの霊山。
 山頂ちかくに西光密寺がある。寺伝によると、弘法大師空海が入唐求法の途上、遣唐使船が平戸係留の間に、無事の渡航を祈念して登頂、帰朝の際にもお礼参りの登頂をして、不動明王を安置したのがはじまりという。われわれも登山の無事と平和を祈念して下山した。

2024年4月18日木曜日

ちくし法律事務所の春研修@嬉野温泉

 

 本年度も、ちくし法律事務所の春研修をおこなった。もう38年やっている。前年度の業績や課題を確認し、次年度の課題や担当を確認する。

法律事務所をめぐる環境は年々変化している。38年前と比べると激変している。

そうしたなか、弁護士の使命としての人権擁護・社会正義の実現をはかり、地域に根ざしつつ、持続的な発展をとげなければならない。言うは易く行うは難し。そのため、年に一度は2日間をかけて議論を尽くす。

ことしも耳の痛い議論が多かった。しかし、耳の痛い議論ができることはよいことだ。耳の痛い課題は解決できていないが、少なくとも耳の痛い意見をいえる環境は整っているということだ(そうかな?)。

耳の痛い議論ばかりやっていると疲れるので、合宿はリラックスできる場所でおこなう。ことしは嬉野温泉だ。12年ぶり。美味しい食事をして、美人の湯にも入る。つるつるする。癒やされた。

翌朝、温泉街を散歩した。写真は豊玉姫(トヨタマヒメ)神社。姫は神武天皇の祖母。日本百名山である祖母山は、豊玉姫が降臨したとして、そう呼ばれる。

宝満山に降臨した玉依姫(タマヨリヒメ)とは姉妹の関係である。いつも妹さんの山にはお世話になっています・・・。礼拝。

豊玉姫は、海神わたつみの娘。竜宮に住む。浦島太郎を接待したのは彼女だろうか。

豊玉姫はじつは「八尋の大ワニ」である。一尋(ヒロ)は1.8メートルだから八尋は14.4メートル。ワニというよりクジラのサイズ感である。因幡の白兎にでてくるワニはサメだというから、サメかもしれない。

合宿のあとは、西九州新幹線に乗り、長崎へ向かった。薬害肝炎九州原告団総会に出席するためである。総会では八尋の大アニ※が待ち構えていた・・・。

※八尋光秀弁護士、大兄貴分

2024年4月17日水曜日

南東北の雪山(4)会津若松



 南東北雪山の旅4日目も、山の天気予報は悪かった。やむなく磐梯山・猪苗代湖の西に位置する会津若松を訪ねることにした。
 駅から市内循環バスで東へ向かい、飯盛山を登る。言わずと知れた白虎隊士の墓がある。


 墓からすこし南に自刃の地がある。この坂をくだった左側である。美談として語られがちであるが、装備も貧弱なまま年少者たちを戦わせ、自刃にまで追いやったのは、情勢のなせるところも大きかったとはいえ、リーダーたちの失策であろう。 


 自刃の地から南西に、鶴ヶ城が望める。中央やや下の緑の帯あたり。よくみると天守閣がみえている。隊士たちは城に向かって自刃したという。


 会津さざえ堂。仏堂である。らせん構造や外観がサザエに似ている。墓の北側階段を下る途中にある。


 飯盛山から歩いて城に向かう。途中、御薬園がある。池泉回遊式庭園。


 まもなく鶴ヶ城。「八重の桜」で新島八重が籠城・奮戦したところ。松平容保が京都守護職にならなかったら・・・たら・れば日本史である。


 城のまえでは、赤べこが歓迎してくれている。会津若松地方の郷土玩具である。ゆらりゆらりと頭を揺らして笑っている。このような柔軟さがあれば・・・。

2024年4月16日火曜日

南東北の雪山(3)磐梯山

 





 つぎにめざしたのは雪の磐梯山。山形から新幹線で郡山へいき宿泊。天気はまたもやいまいち。朝から曇り空で、午後から崩れるとの予報。

 翌朝、JR盤越西線で西へむかう。猪苗代駅でおり、裏磐梯スキー場へ。途中、桧原湖を通過。ことしは暖冬の影響で氷っていない。いつもならワカサギ釣りの人々が楽しんでいるのに。

スキー場からはゲレンデ横を登る。もうすこし遅い時間であればリフトが利用できる。きょうは午後から崩れる予報なので、早立ちのため利用できない。

ゲレンデを2つほど登ると樹林帯に入る。しばらくいくと、爆裂火口のなかに入る。裏磐梯は磐梯山が噴火して吹っ飛んだあとだ。朝早いため、先行者はいない。昨夜の新雪を踏んでいく。

雪におおわれているはずの銅沼。鉱山成分を含むため、水が銅色。ことしはやはり暖冬の影響で湖面が露出している。踏み抜くのではないかとヒヤヒヤしながら進む。

磐梯山はいまもなお生きている。爆裂火口の斜面からは噴気を吹き出していた。

爆裂火口からまっすぐ頂上をめざすことはできない。左手(西側)に尾根があるので、そこを登る。

その奥には櫛形山、手前にはイエローフォールがある。冬場だけにみられる。硫黄の成分だろうか、黄色い氷瀑。これもことしはあまり成長していない。

尾根に取り付いて、急坂を登る。しばらくして爆裂火口の上部に達した。しばらく休憩していると、ガスが濃くなってきた。天気予報どおりだ。これ以上いくと道を見失う可能性もあるし、ガスガスでは景色も楽しめず写真も撮れないので撤退することにした。残念。

2024年4月15日月曜日

南東北の雪山(2)鶴岡

 







 南東北の雪山、2日目は月山に登る予定だった。山形から高速バスに乗り、月山湖を目指した。日本海側に近づくにつれ雪が降りしきり、きょうは無理かなと思った。

しかもリサーチ不足で、道路が冬期閉鎖中だったため断念。月山スキー場のオープンが4月12日だったので、それ以降でないと入山できなかった。

しかたがないので、鶴岡観光に切り替えた。鶴岡は芭蕉が出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)を縦走したのち、下山した場所である。

出羽三山だけでなく、朝日連峰を東から西へ以東岳・大鳥池まで縦走すると、やはり下山するのはここである。

高速バスの到着は鶴岡駅横。市内は歩いて回れる距離感である。駅前の道を南下すると、山王日枝神社に着く。

芭蕉の句碑がある。

 珍らしや山をいで羽の初茄子び

おくのほそ道の旅で、出羽三山をおりた芭蕉は鶴岡藩士長山重行の世話になった。そして珍しいかたちの茄子をご馳走になった。そのお礼の句である。山をいで羽は、出羽山を出た(下りた)ということ。

鶴岡は米どころ・庄内平野の南の拠点。北の拠点は酒田である。芭蕉は鶴岡から酒田へは舟で向かった。大泉橋のたもとに、乗船した場所が名所として残されている(長山重行宅跡も近く)。

スズメたちが1本の木に集まって、かしましくしていた。寒い冬にたえ、庄内米のおこぼれにあずかれる秋をまっているのだろう。

大泉橋からは西に向かう。まもなく鶴ヶ岡城跡だ。城跡といっても城壁がすこしで、建物は残っていない。庄内神社があるのみ。

鶴岡といえば、藤沢周平の出身地。小説中にでてくる海坂藩は、鶴岡がモデルである。記念館がある。藤沢の小説家人生と信念がよく分かった。

あとはお堀を一周してバスセンターへ戻った。ときおり雪が舞う不安定な天気だった。冬の季節風の影響だ。これが山々に雪を降らせ、おいしい水となり、おいしい米、ひいてはおいしい酒となるのだ。