2024年1月10日水曜日

海保・日航機衝突事故との遭遇(1日目)

 





 室の八島参詣を終え、野州大塚駅から東武線の普通、急行電車を乗り継いで東京をめざした。浅草と日光の間を往復する特急は全席指定で完売されており、乗車することができなかったからである。

羽田の飛行機の予約は19時15分であり、急ぐ旅でもなかった。途中、春日部と草加にも立ち寄ることにした。いずれも『おくのほそ道』ゆかりの地だから。

『おくのほそ道』本文にはこうある。

 ことし、元禄二年にや、奥羽長途の行脚ただかりそめに思ひ立ちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへども、耳に触れていまだ目に見ぬ境、もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり。(角川ソフィア文庫)

しかし『曽良随行日記』にはこうある。

 廿七日夜 カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余。

つまり、実際には春日部に泊まったにもかかわらず、芭蕉はそのまま書くことを嫌い、草加宿に泊まったと創作したのである。なぜかは分からない。読んだかぎりでは誰もうまい説明をしていない。

この謎に挑戦すべく春日部と草加の両街を訪ねてみることにした。しかし、・・・。この謎を解くヒントは、少なくとも現代の春日部にはない。と言ってよかろう。クレヨンしんちゃんがいるばかりである。気疲れしたので(登山ザックが重いこともある。)、草加で下車することはパスした。

かくて2時間ほど早く空港に着いた。福岡空港には21時ころの到着になりそうなので、少し早い夕食を食べることにした。

食堂街を歩いていて、窓からオレンジ色の光が漏れていることに気づいた。6階展望デッキに行くと、ちょうど日が没するところだった。美しい。夕陽の右手には富士山が浮かび上がっていた。(日没は16時40分)

夕食をして搭乗ゲートでくつろいでいた。18時ころ、後ろの男性が「滑走路で火事だそう、きょうは帰れんかも・・」と電話しているのが聞こえた(後で分かったとおり、この時・第4滑走路では日航機から奇跡の脱出劇が行われていた。)。

しばらくしてゲートの備え付けのテレビで、海保機と日航機との衝突事故のニュースが流れていた。この時点で空港・日航側からはなんのアナウンスも説明もない。

列車事故等では乗客を安心させるため、くどいほど状況について説明がなされるが、この事故については何の説明もなかった。このあともそうである。パニックを避けるためかもしれないが、いまの時代、テレビや携帯でアクセスできるので状況説明は必要であろう。

やがてニュース映像では、機体が火に包まれた。これから搭乗しようとしている人々にとっては、控えめにいっても気持ちの映像ではない。

事務所メンバーだけのライングループがある。そこへ状況を投稿した。すると、同じ事務所の井上弁護士もやはり、いまからANA便に乗る予定だと回答があった。こちらの投稿を見て、はじめて事故の発生を知ったようだ。説明がないのはANA側も同じらしい。C滑走路であるから、むこう(第2ターミナル)からは機体炎上の様子も直接見ることができたようだ。

ANA便は早々に欠航となった。日航のほうはそれより30分は決断が遅れ、結局は欠航になった。それはそうだろう。事故原因が判明しないかぎり、他の飛行機を飛ばすわけにはいかないのだから。

新幹線は名古屋まで行くにしても20時ころが最終である。もう間に合わない。①まずはきょうの宿を確保しなければならない。援助者の手を借りて、浅草寺にあるホテルを押さえることができた。泉岳寺(赤穂浪士の墓があることで有名)であれば京急で直通である。より近場のホテルはANA便の人たちが押さえてしまったあとである。

つぎに必要なのは、②預けた手荷物の回収と③航空券予約の振替である。まずは手荷物回収場所へ向かった。上からの指示が来ていないのでしばらく待つよう言われる。しばらく待たされて、手荷物は2階カウンターで返却することになったと連絡がある(こちら側の担当者の一部は「信じられない。」などとブツブツ言っている。手荷物を返す場所は預けたカウンターより、ここのほうが適切ではないかとの意見である。このことの真偽は、このあとの現実が語っている。たくさんの便、たくさんの重い荷物を返却するのであるから、預けたカウンターに作業を集中させるのは無理がある。上のほうがこの方法を選択する際に現場の意見を聴取しなかったことは明らか。)。

到着ロビーを出て、2階カウンターへ向かう。2階はすでに長蛇の列である。第1ターミナル内を2重に折れて1往復半の行列ができている。しかたなく、最後尾に並ぶ。前には岡山から来たという夫婦。どうやら息子さんが箱根駅伝を走り、その応援にきた帰りのようだ。しきりに駅伝のニュースをチェックしている。待ち時間を有効に使える人はいい。

しばらく並んでその列が手荷物回収の列ではなく、航空券予約の振替のために並んでいる列であるが判明した。長蛇の列であるので、先頭がどこにつながっているのか分からない。なんの説明もないし、個別の係員に訊いても分からない。一人旅であるので手分けして前方まで確認に行くこともできない。

手渡されたチラシで、列に並ばなくても、ネットで明日の便の予約をすることができることが分かった。あわてて画面を操作する。60過ぎの人間にはつらい作業だ。ため息がでそうになった。まわりを見回すと、より高齢のかたがた、子連れのご夫婦がみなぐったりした表情をしている。

何度かの試行錯誤のすえ、あすの9時10分発の便を予約することができた(それより早い便は、チケットの振替作業などをしていて間に合わないと思われた。)。チケットの振替は明日の作業だ(新たに航空券を買うとなると5万円以上要する。振替であれば、すでに支払済みの航空券を流用することができる。5万円はえらい違いなので、振替作業を行わざるを得ない。)。

明日の便が確保できただけでも奇跡と思えた。正月なので明日は満席で明後日以降しか帰れないかなと思っていたからだ。明日はまで正月3日なので、帰省帰りの人びとの事前予約が少なかったのだろう。

かくてチケット振替の列にムダに並んだすえ、脱出することができた。岡山から来ていた夫婦にチケットで明日の予約をしていた夫婦にネットでできますよと教えるが、疲れた顔で見返すばかりである。なにかできない理由があるのだろう。宿泊も浅草寺の某ホテルをおさえることができた旨教えるも、今夜は空港泊まりだなどとボヤいておられる。

ここに至ってようやくアナウンスが流れはじめる。手荷物回収のためカウンターは○番までなどと指示している。同カウンターへ向かう。

カウンター内は30歳前後の女性地上係員が数名で対応している。現在対応しているのは311便、○○便、○○便、○○便の4便のようだ。ぼくが乗る予定だったのは333便。いまのところ対応していない。

ふしぎと誰も声を荒げたりしていない。ときどき思うように行かなかった乗客が地上係員に食ってかかるカスタマーハラスメントの場面に出くわすことがある。きょうはそういうことがない。機体が炎上するという前代未聞の映像を見たせいだろうか。

きけば311便の人たちは機内で1時間ほども待たされ、欠航が決まったようだ。搭乗ゲートでくつろいでいたわれわれより優先されるのは当然であろう。

地上係員さんたちの奮闘には頭がさがった。たくさんの重いスーツケースをあっちへ運び、こっちへ運びしている。腰痛という労災が多発することが懸念された。普段は華やかな職場だが、きょうは地獄だ。

なかなか荷物ははけていかない。あたりまえだ。多くの人々はチケット振替の大行列に並んでいるのだから。前の便の荷物がはけていかないせいか、われわれの荷物もなかなか出てこない。

1時間ほど待って、ようやく荷物を回収することができた。京急電車の乗り口へ急いだ。途中、空港泊を決めたとおぼしき人々が列にも並ばず、階段に腰掛け、ただ時間が経過するのを待っていた。

かくて、もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう泉岳寺といふ宿にたどり着きにけり。

・・・ここでこの日はようやく終わったと言いたいが、もう一波乱。なんと、先に予約した9時10分の便の欠航となったのだ。ここでも援助者の手を借りてなんとか、10時10分の便を再予約することができた。これも奇跡と思えた。(帰福のための奮闘は翌日へつづく。)

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