2024年1月19日金曜日

四阿山撤退、上田城

 







 元旦は信州上田から四阿山(あずまやさん)をめざした。標高2354mの日本百名山。信州と上州の境にまたがる。夏に登ったことはあるが、雪山ははじめて。

駅前から菅平高原行きバスがでている。長い列ができた。臨時バスもでて2台で出発。菅平高原にはスキー場があるので、乗客はほぼスノーボーダーだ。

2台目に乗ったところ、ほかはみな東南アジア系の外国人。ちかくに外国人労働者を雇用している工場でもあるのだろう。それにしても、日本人の若者は家でゲームでもしているのだろうか。近ごろの若者は・・・(以下、古代エジプトからあるという嘆き)。

約1時間。車窓は次第に雪景色に変わっていった。ダボスバス停で降車。バス停から登山口まで1時間の歩き。

他に登山者はおらずトレースもない。午後から天候が回復するとの予報だったが、横殴りの雪がふぶいている。正月から遭難してはシャレにならないので、途中で撤退。

それでも時おり雪と風がやみ、美しい雪景色をみることができた。雪の女王があらわれそうな絶景だった。

バス停まで戻って近くの店に入ると、おいしいおせちと雑煮をだしてくれた。そうか、きょうは元旦か。あけましておめでとうございます。

ふたたびバスで上田駅に戻る。徒歩10分ほどで上田城跡。上田城はもとは真田氏の城。さいきんのNHK大河「どうする家康」のほか、「真田丸」(堺雅人主演)など記憶にあたらしい。

池波正太郎の『真田太平記』(新潮文庫)は大長編。全10巻。長すぎて挫折した経験をもつ。子どものころは真田十勇士や猿飛佐助の漫画やドラマに血湧き肉踊った。

上田城は一般の城とちがい、2度の実戦経験がある。とくに関ヶ原の戦いの際、徳川秀忠の大軍を数千の兵で足止めしたとして名高い。

東虎口楼門から入って本丸跡を経、西楼横の急坂をくだり尼ヶ淵におりる。尼ヶ淵はもと千曲川が流れていたという。

写真でみるとおり高い崖になっており、自然の要害である。これに真田の権棒術数が加わり、徳川勢はほんろうされた。

しかし歴史は真田に味方せず、西軍に加勢した幸村(信繁)は紀州九度山に配流された。そして大阪冬の陣における真田丸(大阪城の出城)での活躍へとつながっていく。

※このあと佐久平のホテルで能登地震で震度5弱の揺れに見舞われることになった。

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