2024年1月18日木曜日

川中島古戦場

 



 『更科紀行』関連の旅はきのうまでに書いたとおり。途中、川中島古戦場、上田城、四阿山(撤退)も訪れたので、それらについても報告しておこう。

 まず、川中島。姥捨駅から見えていた。千曲川と犀川とに挟まれた三角地帯。島ではないのであるが、両側を大河に挟まれているので島とみたてられているのだろう。

一枚目の写真は、千曲川(松代大橋から)。五木ひろしの歌がある。

 ♪一人たどれば草笛の
 音色哀しき千曲川・・

向こうが北側・日本海で、北にむかって流れている。左岸が川中島。古戦場は左端に木立がみえているあたり。

川中島の中央やや南部に川中島古戦場がある。長野駅からバスで20分。

二枚目の写真は、川中島古戦場内・八幡社にある一騎打ちの銅像。右手・馬上で太刀をふるっているのが上杉謙信、左手・床几に座ったまま軍配で応戦しているのが武田信玄。両雄が直接対峙し、一騎打ちした有名な場面である。

海音寺潮五郎の歴史小説『天と地と』で有名。NHK大河ドラマにもなった(1969年)。上杉謙信役は石坂浩二だった。当時小学生だったが、石坂の謙信には血湧き肉踊った。

上杉側の旗には「毘」と書いてある。毘沙門天の毘である。毘沙門天は戦の神様。四天王のうち多聞天とおなじ、北方を守っている。敵方はこの旗を見るだけで震え上がったという。銅像のある八幡社も武運の神である。

対する武田側の旗はいわゆる「風林火山」。孫子から。

 其疾如風 其の疾きこと風の如く
 其徐如林 其の徐(しず)かなること林の如く
 侵掠如火 侵掠すること火の如く
 不動如山 動かざること山の如し

上杉謙信は越州(新潟県)、武田信玄は甲斐(山梨県)の大名である。信州(長野県)はその中間地帯にあり有力大名がいなかったことから、両雄の草刈場となっていたのだろう。

川中島は三角地帯の2辺を大河で1辺を山で囲まれていたので、雌雄を決する決戦場として最適だったのだろう。川中島の戦いは主なものだけで5回、12年におよんだという。地元民としては大迷惑だったにちがいない。

両雄がこのような地域戦を繰り返している間に、信長が上京して天下に覇をとなえることになった。両雄とも武としてはすぐれていたかもしれないが、信長の政治感覚に敗れたのである。

意外なことに、境内には芭蕉の句碑もあった。

 十六夜もまだ更科の郡かな

令和の世になってもまだ、人は争いを繰り返し、醜態をさらしている。真如の月があまねく照らす日はいつなのか。

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