2024年1月30日火曜日

奈良大宮ロータリークラブ45周年(4)

(東大寺南大門、組物) 

(金剛力士・仁王像)

(大仏殿)
(八角燈籠)
(盧舎那仏)
(虚空蔵菩薩)
(広目天)
(如意輪観音)
(びんずる尊者)
(三月堂・法華堂)
(二月堂)
(二月堂から奈良市街を望む)
(大仏殿の鴟尾と生駒山)

 太宰府ロータリークラブからの参加者は9人。うち2人は仕事のためトンボ帰り。うち2人はタクシーをチャーターして女人高野・室生寺と唐招提寺をめぐるというしぶい選択。

残されたのはわれわれ5人。そのうち奈良ははじめてという人が1名、奈良には何度も来ているがまいどゴルフばかりで一度も東大寺を参拝したことがないという人が2名であった。なので、定番中の定番ではあるが、東大寺→春日大社→興福寺をご案内することにした。

まずは東大寺。南大門前をスタート。平安時代末・源平の争乱のさなか、平重衡により奈良・東大寺は焼き打ちされた。そして、勧進上人重源(ちょうげん)のなみならならぬ努力で復興した。

謡曲「安宅」や歌舞伎「勧進帳」で、弁慶は白紙の勧進帳を読み上げる。あれはこの東大寺復興のためのものである。当時、重源の指令を受けて多数の仏教者や行者が全国各地で勧進をおこなっていたなかでのことである。

南大門(国宝)。その木組み、組物がリズミカル。いつみてもほれぼれする。大仏様。中国宋から重源が輸入した最新デザインだった。南画からイメージされる柔らかな宋文化との違いに驚かされる。

勇壮な金剛力士・仁王像(国宝)。運慶・快慶作。武士の台頭による力強さを言われことが多い。が、いまの日本の状況に照らしても、被災後の「復興」による力強さを忘れてはならないだろう。

大仏殿(国宝)。こちらは戦国時代、松永久秀にも焼き打ちされた。ために江戸時代の作である。幅は創建時の3分の2らしい。どれだけ巨大だったのか。

八角燈籠(国宝)。大仏殿前にある。火袋の扉四面には雲のなかを駆ける獅子、その間の四面には楽器を奏でる天人がレリーフされている。天平時代のもの。ピアノ奏者の反田恭平がここでコンサートをやっていたが、天平人たちにも天上の音楽が聞こえていたことだろう。

盧舎那仏・大仏(国宝)。知恵と慈悲の光明をあまねく照らし出す仏。華厳経は釈迦が時間と空間を超えて仏となった瞬間を説く。偉大で、広大で、正しい仏の世界は菩薩の実践の華により飾られなければならない。重源による実践はその教えを体現したものである。

脇侍は如意輪観音菩薩と虚空蔵菩薩。観音は33の姿に変じて衆生を救済する。その一、如意輪観音は、意のまま(如意)に説法し、衆生の苦を抜き利益を与える。虚空蔵菩薩は、大空(虚空)のように無限の福徳・知恵をそなえ、衆生にあたえて諸願を成就させる。

そうした仏の世界の四方を武神の四天王がお守りする。南を増長天、西を広目天、北を多聞天(毘沙門天)、東を持国天が守備している。

大仏殿の外には、びんずる尊者が。釈迦の筆頭弟子。先日、善光寺でもお目にかかった。向こうは撮影禁止だったが、こちらは堂内の諸仏を含め撮影可だった。

大仏殿を出て坂を登り、三月堂・法華堂(国宝)へ。東大寺は大仏殿に目を奪われがちだが、どれか一つといえば、法華堂(あるいは、戒壇院)こそ見るべきところである。

法華堂は東大寺最古の建物。外観の優美さ。左半分が奈良時代の創建当時のもの、右半分があとから付けくわえられた礼堂。あとから付けくわえたにもかかわらず、見事な調和をなしている。

堂内もすばらしい。不空羂索観音(国宝)を中心に、梵天・帝釈天(国宝)、金剛力士像2体(国宝)、四天王立像(国宝)が絢爛豪華に並んでいる。残念ながら写真撮影は禁止。執金剛神像は秘仏なので、拝することができない。

その後はお水取りで有名な二月堂(国宝)へ。傾斜地に、お水取りをするための建物になっている。そのため、建物からの奈良市内の絶景がすばらしい。お約束の、大仏殿の鴟尾と生駒山も望むことができた。

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