2024年1月25日木曜日

奈良大宮ロータリークラブ45周年(1)

 




 23日(火)、24日(水)は奈良大宮ロータリークラブ45周年式典へのご招待を受けたので、奈良出張。

太宰府ロータリークラブと奈良大宮ロータリークラブは姉妹クラブ。奈良に都があったころ、太宰府は西の都と呼ばれていたぐらいだから、姉妹クラブとなるのは自然。

SNSで検索すると、40周年、35周年、30周年にもおじゃましている。その他、大峰山登山に3回、白山登山に1回ご招待を受けているので、少なくとも8回はおじゃましている計算になる。

天気は24日大雪予報と風雲急を告げていた。だが、この日は晴れていて、ご招待を受けていることもあり、まずは奈良までやってきた。

開式は16時30分からだったので、それまで1時間ほど奈良公園を散策した。JR奈良駅ちかくのホテルから三条通を東へ。

10分ほどで猿沢の池に着いた。興福寺の五重塔が池鏡に映っている。小学校の教科書時代からおなじみ・定番の美しい風景だ。

写真左手には采女神社がある。天皇の寵愛が薄れたことを嘆いて猿沢の池に身を投げた采女(うねめ)の霊を慰めるために創建されたという。お能の演目になっている。

北側の坂を登り、興福寺境内へ。興福寺は、鎌足、不比等のゆかりで、藤原氏の氏寺。奈良は、源平合戦のおり平重衡に、戦国時代に松永久秀らに焼かれ、明治時代に廃仏毀釈で打撃を受けている。それにもかかわらず、現在の堂塔伽藍・仏像らを維持できているのは奇跡。

興福寺は法相宗の大本山。法相とは存在のあり方。法相宗は、唯識の大乗仏教。文字どおり、一切の存在現象は心がうみだしたもの=識にすぎないという立場。

興福寺の法相宗は、入唐留学した玄坊が伝えた。玄坊は聖武天皇の信頼も厚く出世したが、長屋王が力を失うとともに大宰府(古代政庁などをいうときは大宰府、現代の天満宮、自治体名は太宰府)観世音寺に左遷された。観世音寺の西にはわびしい墓がある。

まずは南円堂。藤原北家の冬嗣(道長の6代前)が亡父内麻呂追善のために建てた。何度も火災にあい、なんと四代目の建物。興福寺の、藤原氏の、民衆の信仰パワーのなせるわざである。

不空羂索観音が本尊(東大寺法華堂と同じ)。鎮壇には弘法大師が関わったとか。西国三十三所の9番札所。

次は五重塔、東金堂、中金堂・・・と行きたいところだが、五重塔、東金堂は改修中。中金堂は時間の関係で行けず、写真だけ。

北へ向かい、北円堂。国宝。法隆寺夢殿と同じ八角円堂。藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇が長屋王に命じて創建させた。

ここで時間切れ。三重塔(国宝)、三条通を経由して集合場所に戻る。

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