大楠のあった来宮神社は、JR線の西側の高台にある。そこから熱海湾へ向けてどんどん下る。道はクネクネしているが、とにかく下っていき国道135号線をわたれば、海浜にたどりついた。熱海サンビーチである。残念ながら曇天。沖合にはかろうじて初島が見えている。
国道まで戻ればお宮の松。常葉の松だけに紅葉はしていない。が、尾崎紅葉の新聞小説『金色夜叉』で、貫一・お宮の別れの舞台となった。貫一・お宮は熱海の恩人である。熱海が一大温泉リゾート地となったのは、彼らのおかげである。
熱海は3度目である。1度目は司法研修所卒業10周年のとき。当時、司法試験に合格すると、2年間の司法修習があった。研修所は湯島。旧岩崎弥太郎邸である。裁判官、検察官、弁護士がみな同じところで修習し、やがてそれぞれの畑に入っていく。10周年は、みなそれぞれの畑に慣れたころで、旧交を温め近況を語りあった。
2度目は天城山を縦走したあと。頼朝ゆかりの修善寺に泊まり、翌日、いわゆる浄蓮の滝・旧天城トンネル・天城越を出発する。川端康成の小説や石川さゆりの歌に思いを馳せながら山を登る。天城山という山はなく連山である。万三郎岳、万二郎岳を経て伊東にくだった。
3度目にしてはじめて市内を散策した。湯の街だけに、別府に似ている。背後に山が迫り、海までの斜面に温泉宿やホテルが密集している。
まずは熱海駅前の平和通り名店街を視察。新鮮な魚や干物屋が並ぶなか、アワビの焼き物を食べ歩き。つづいて昼食は生しらすマグロ漬け丼を食す。そこからはグループに分かれて、それぞれ視察。
熱海はもっと寂れているかと思いきや、なかなかに賑わっていた。しかもインバウンドではなく、日本人観光客が多いようだ。首都圏からの客だけでもなく、関西弁もよく聞かれた。二日市も温泉街として学ぶべき点があるだろう。
一日目、もっとも行ってよかったと思ったのは、来宮神社の大楠である(写真)。樹齢2000年という。来宮(きのみや)は木の宮だそう。神社の由来も、熱海湾で網に木の根がひっかかることが3度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像だったので、近くの松の下に祀ったことがはじまりという。
あいにく天気は悪かったが、大樹のパワーをもらって英気を回復することができた。もちろん温泉パワーもあるだろう。
人権都市宣言のまち作りをするうえで、標語・看板や教育による啓発活動のつぎにやるべきことは何なのか?私は司法インフラの整備であると考える。具体的にいえば、手前みそながら、市民の身近に法律事務所や弁護士がいることである。
人権や権利が重要であるといくら宣言しても、それらが侵害されたときにこれを擁護する存在がなければ、画に描いた餅である。人権や権利を実現し、実際に擁護するのは司法であり、弁護士である。
わが事務所は1984年4月、二日市でうぶ声をあげた。地域に根ざすことを理念とした。当時は日本中の法律事務所が裁判所の周辺で門前町をなしていた時代である。裁判所のない場所での事務所開きは、とても先駆的であった。
司法をもっと市民に利用しやすいものにしようと具体的な司法改革がはじまったのは、2001年12月、それから17年ほど後の話である。
それから23年が経過した。司法改革の成果については毀誉褒貶がある。頭を傾げることも多いが、弁護士増員により裁判所の周辺に固まっていた法律事務所が地域に分散したことは喜ばしいことだろう。市民が司法を利用するうえで格段に便利になったと思う。
法律事務所の地域分散による恩恵の第1は意外にも、暴力団・やくざ介入事件の減少だと考える。私が弁護士になった当時、暴力団は債権回収業や暴力金融・高利貸しとして暗躍していた。かれらは「裏の弁護士」と称して活動していたのである。
父母が離婚する際、子を連れた母は父に対し養育費を請求することができる。いまなら弁護士に依頼したり、家庭裁判所で調停をすることがあたりまえになっている。昔はそうではなかった。養育費のようなものに関しても、債権回収について暴力団が介入していたのである。
「表の弁護士」が増えれば、「裏の弁護士」の仕事が減り、暴力団介入事件は減少していった。もちろん暴力団介入事件が減ったのは、それだけではなく、暴対法の効果や撲滅市民運動の成果でもあるだろう。しかし実感として、地域から暴力団介入事件が減少したのは、法律事務所と弁護士が地域に分散した効果も大きいと思う。
もちろん、暴力団介入事件の減少に限らず、不動産、賃貸借、雇用、不法行為、離婚、相続、債務整理など一般事件において、市民が弁護士に依頼し、権利を実現する機会も増えたと思う。
さらには狭い意味での人権擁護活動、すなわち国家権力からの人権侵害救済についても、地域的な広がりをみせていると信じたいが、実際はどうだろう?
これまで多数講演依頼を受けてきたが、まち作りについての依頼は初めて。不動産、賃貸借、雇用、不法行為、離婚、相続、債務整理などであれば、いつもの仕事の延長であるから容易である。しかし、まち作りとなると・・・。しかも、地元議員や地元企業のトップに混じってとなると、さらに話す内容に苦労する。
そう思って悩んでいたとき、西鉄五条駅前を歩いていたら「人権都市宣言のまち『だざいふ』 あらゆる差別をなくし 人権文化を築いていこう 太宰府市・太宰府市教育委員会」と標語が書かれた看板を目にした。そうだ、その線で行こう。人権の話であれば、自分のフィールドだ。ということで、「人権宣言のまち作り、私はこう考える」と題して講演をおこなった。
上記標語のような考えは、太宰府市にかぎらず一般的におこなわれているところである。しかし、やや疑問なところがある。この標語は、誰が誰に対して言っているのか。太宰府市が市民に対して言っているのだろうが、そうなると人権の意味を踏まえて言っているのか疑問が残る。
人権とは、憲法によって保障された自由や平等という国民の権利である。イギリス本国の圧政に抵抗したアメリカの独立革命、そこから飛び火したフランス革命にはじまる。日本国憲法はそれらに連なるものである。したがって、人権は国民や市民が権力に対して要求し、権力をしばるものである。市民の皆さんは人権を守ってくださいね~とかいうのは、「ちょっとちがう」、「わかってんのかい」という気がする。
また「あらゆる差別をなくし」という点もひっかかる。むろん平等権は人権の大きな柱である。「虎に翼」で描かれたとおりである。しかし人権イコール差別禁止というと、人権理解として狭すぎる。
日本の教育現場における人権教育イコール同和教育というのは、やはりちょっとちがう気がする。日本における差別の歴史に照らし同和教育の重要性はいささかも否定しない。が、人権は、平等権だけでなく、自由権、参政権などもっと広がりをもったものである。同和教育を重視するあまり、これら重要な人権を教育する機会を失しないようにしていただきたい。
人権について、このような理解を踏まえたうえで、市民が人権を守るよう啓発することは良いことだろう。その場合、市民が人権を守るという意味は、一般的にはどうなるだろう?
憲法や人権が直接に市民や民間企業を拘束するかについて争われた事件として、三菱樹脂事件がある。採用にあたり思想差別をしたとして、憲法19条違反が問題にされた。
私人間に憲法は適用されないという説、直接適用されるという説、間接的に適用されるという説に分かれたが、最高裁は間接的に適用されるという考えを示した。
私人間を拘束するのは民法であるが、民法には一般条項を定めた規定が存在する。公序良俗に違反する契約は無効であるとか、不法行為をおこなった者は損害賠償義務を負うとかいう規定である。間接適用とは、それら「公序」とか、「不法」とかの中身として憲法が適用されるという考え方である。憲法に違反する契約は、公序良俗に違反するものとして無効になる。憲法に違反する行為は、不法行為として損害賠償義務を生じる。という具合である。
このような理解に立てば、人権と民法の定める権利は、地続きになっていると考えることも可能である。自動車を運転していて人をはねて怪我をさせたとき、憲法の保障する生命・身体の安全を侵害したといえるのである。しかし、民事紛争にいちいち人権を持ち出すのは大ごとなので、ふだんはそのような議論をおこなわない。民法上の議論で事足りるのである。
NHKで「夏井いつきのよみ旅」という番組をやっている。「ホスト界の帝王」ローランちゃんと旅をしながら、旅先の人々の俳句と人生に触れる番組だ。先日は秋田(前編)だった。
番組のなかで、マタギが秋田固有の季語であるとか、秋田犬がマタギが猟をする際のお供だったとか、2023年は渋谷のハチ公誕生100周年だったという紹介があった。どれも旅しているときは知らなかった。
歳時記で調べても、狩や狩人が季語だということは分かるが、マタギが秋田固有の季語だという紹介はない。レア知識だ。さすが夏木先生。
森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅でも、なんどか秋田犬に触れる機会があった。最初は秋田内陸鉄道の車内で、次は阿仁前田温泉の施設内で。これらは写真や車内デザインだった。
実際に触れたのは、角館と田沢湖畔にて。角館では、店舗の店先でくつろいでいるやつにも出会ったし(上写真)、有料300円で触れあう施設もあった。田沢湖畔もおなじくである。犬好きにはたまらないであろう。
以前にも紹介したけれども、向田邦子の随筆に「反芻旅行」がある。「前の晩にテレビで見た野球の試合なのに、朝必ずスポーツ新聞を買ってたしかめる人を『もったいないじゃないの』と、お金と時間の無駄使いだといったことがあった。その人は、私の顔をじっと見て、『君はまだ若いね』といった。『野球に限らず、反芻が一番楽しいと思うがね』。旅も恋も、そのときも楽しいが、反芻はもっと楽しいのである」。
そのとおりである。旅はとくにそう。行ったときも楽しいには楽しいが、その時の楽しさをあらためて反芻しているときこそ至福の時である。まさに反芻旅行。いましばらくは森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅を反芻し、余韻にひたっていたい。
まもなく一本杉登山口の名の由来となった一本杉に到着。ちかくを清流が流れていて、すがすがしい。
つづら折りの林道をバスがくだっていく音がする。走って行けば追いつけないだろうか、無理か。つぎのバスまで2時間か、なにをして時間を潰そうか。などと思いつつ、そのあたりを行きつ戻りつ。
すると、「秋田駒スキー場まで8km」という標識が目についた。駒ヶ岳八合目バス停のつぎは登山口のバス停である。スキー場はその先にある。登山口のバス停までは8km未満ということだ。
ということは、登山口のバス停までは2時間弱の行程。つぎのバスまで待つ時間と同じだ。天啓か悪魔のささやきか。登山口のバス停まで徒歩で下山することを決めた。もちろん、今朝バスでのぼってくる際にみえた美しい紅葉を嘆賞するためだ。
山頂ちかくは初冬の装いだったが、下るにつれ季節が逆もどりし、秋が深まっていった。くだくだと語るより、写真のほうが雄弁だ。あとは写真にゆだねよう。