2024年12月20日金曜日

ちくし士業交流会@土地家屋調査士が語った私的土地所有権の確立

 

 ちくし法律事務所3階会議室では、2か月に1度、士業交流会がおこなわれている。士業とは弁護士、公認会計士・税理士、司法書士、土地家屋調査士・測量士、行政書士、社会保険労務士、建築士、マンション管理士、社会福祉士など、最後に士とつく職業のことである。

 士業のほか、公証人や社会福祉協議会の職員などもお招きして、担当講師を決め、畑違いの仕事について勉強し、懇親をしている。弁護士として仕事をしていると、こうした隣接分野のことについて知っていたほうがよりよき解決を導くことができるので、大いに勉強になる。

 先日の講師は、草場健雅土地家屋調査士だった。不動産に関する事件では登記が対抗要件として重要である。不動産登記は、表題部、甲区、乙区にわかれている。甲区は所有権、乙区は担保権等が記載されている。

 表題部は、不動産登記の顔にあたる部分である。土地や家屋に関する所在、地番、用途、構造、面積等が記載されている。土地家屋調査士は、その部分の登記をするのに必要な土地や家屋に関する調査及び測量を行う専門家である。

 通例は、そのような専門家として日常や苦労を語る人が多いのであるが、草場土地家屋調査士は、不動産登記表題部の歴史について話された。

 その話のなかで、もっとも印象的だったのは、地租改正についてである。いわく。不動産登記表題部の歴史は、地租改正にはじまる。

 地租改正は、1873年(明治6年)に明治政府が行った租税制度改革である。たしかに、ここまでは日本史の授業で習った。

 しかしまだ続きがある。これにより日本にはじめて土地に対する私的所有権が確立した。つまり、地租改正は土地制度改革でもある。

 地租改正は、江戸幕府による田畑永代売買禁止令の廃止を伴っている。士農工商のうち百姓制度を維持するため農民は田畑の売買を禁止されていた。それが地租改正により自由に売買ができるようになったのである。

 それまで土地は農民個人のもの対象ではなかった。公地公民といわれるとおり公のものだった。個人が自由に売買することができるようになったのであるから、私的所有権の確立である。そうだったのか!

 じつはこれにとどまらない。江戸農民の困窮を語るばあい、よく「百姓は土地にしばりつけられてきた」などという。地租改正は、土地だけでなく、百姓にも自由を与えた。土地を自由に売買できるということは、百姓が土地から離れることも自由であることになる。つまりそれは、職業選択の自由でもある。

 日本国憲法29条は財産権を、同22条は居住、移転及び職業選択の自由を保障している。両自由は近代的な市民的自由の出発点である。それが地租改正にはじまるということは知らなかった。

 そのようなことは日本史の授業でも教えてもらわなかった。・・・かな。念のため、山川の「もういちど読む 山川日本史」を参照してみる。

 地租改正
 多くの改革をすすめるには、財政を安定させる必要があった。政府の歳入のほとんどは、人口の大部分を占める農民が米でおさめる租税であったが、その率は地域によってまちまちであったうえ、その相場は変動し、歳入は不安定であった。そこで政府は、土地制度と租税制度の改革にとりかかり、まず田畑永代売買の禁令を解き、地価を定めて地券を発行し、地主・自作農の土地所有権を認めた。そして1873(明治6)年には地租改正条例を公布し、豊作・凶作に関係なく地租を地価の3%と定め、土地所有者に現金でおさめさせることにした。

 うむむ。書いてないともいえないが・・・。政府側の視点からだけ書かれており、人民の自由獲得の歴史の重要な一里塚としての側面は書かれていないように思う。

 なお、自由な私的所有権・職業選択の自由が「飢える自由」と裏表の関係にあったことは、また別の話である。

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