四王寺山で紅葉をみることができる第2スポットは、高橋紹運公墓のあたりである。
太宰府天満宮参道前の交差点を100メートルほど宇美側へ進む。左手にある連歌屋の橋をわたり林道をクネクネとあがっていくと、八合目あたり右側に岩屋城跡の看板がある。
紹運公の墓の手間には紅葉の古木がすくなからずある。紹運公を御霊をお慰めするために植えられたのだろう。毎年、美しい紅葉をみせてくれる。
看板左の石段を1分ほど登ると、岩屋城跡である。岩屋城は高橋紹運の城である。圧倒的な兵力差のある島津勢の猛攻に玉砕した。豊臣秀吉の援軍は間にあわなかった。
いまや城の建物や石垣はなにも残っていない。まさに兵どもが夢のあと。あるのは広場と石碑、ベンチ、案内板だけ。だが景色はいい。太宰府市内だけでなく、筑後平野・耳納連山と筑紫平野・背振山系が一望できる。
JR鹿児島本線や国道3号線に寸断されてしまったが、水城の位置・構造もよくわかる。大野城と一体をなして、唐・新羅を迎え撃とうとした意気込みをいまもうかがうことができる。
紹運公の墓は、先ほどの看板から石段を登らず、林道を10メートルほどのぼり、左側におりていく。
林道から100メートルほどおりると、紹運公の墓にたどり着く。死後400年以上経ったいまも、きれいになされている。
紹運公は、筑後柳河藩の初代藩主だった立花宗茂の実父である。立花家は紆余曲折を経ながらも明治維新まで柳河藩の藩主だった。そうしたこともあり、現代に至るまで墓の管理がきちんとなされているのだろう。
ことしは遅くまで暑い日が続いた。太宰府は全国でも有数の暑いところになってしまった。そのせいか、紅葉というより黄葉である。それでも風情があってうつくしい。
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