2023年8月21日月曜日

『ユリシーズ』と『エデンの東』と『風と共に去りぬ』と『街道をゆく「愛蘭度(アイルランド)紀行」』と(2)

 
 

 『ユリシーズ』第7章「アイオロス」につぎのくだりがある。

 風とともに去った。マラマストに、諸王のいたタラに、大群衆がつどう。入口のある耳が何マイルもつづく。民衆指導者が吠え、言葉が四方の天風に乗って散った。民衆はその声のなかに身を寄せた。・・

いままでこれを読んで不思議に思っていた。「風とともに去った」「タラ」という2つのキーワードがどうしても『風と共に去りぬ』を想起させる。「タラ」というのは、『風と共に去りぬ』ではスカーレットの実家の屋敷のことだ。でも時代も場所も違う。偶然の一致だろうか?

「風とともに去った」には訳注が付されている。世紀末の詩人アーネスト・ダウスン(1867-1900)の詩「私はやさしいキュナラの言うままであったときの私ではない」より。

「タラ」の訳注はこう。タラはダブリンの北西33キロ余りの地点にある丘。古代アイルランド王の城址がある。1843年、「民衆指導者」ダニエル・オコネルはこれらの土地のほか各地で連合法撤廃の大集会を開き、イギリス政府に圧力をかけたが、同年10月投獄されて運動は挫折した。

これら訳注を読んでも、『風と共に去りぬ』との関連は謎だ。謎は謎のまま、調べもせずに放置していた。ところ、先日NHK BSで司馬遼太郎の『街道をゆく「愛蘭度(アイルランド)紀行」』を行くをやっていた。これを見て得心がいった。

オリバー・クロムウエルをご存じだろうか。われわれ憲法を学んだものにとって、かれは人権闘争の歴史のうえで英雄の一人である。かれはピューリタン革命を指導したからである。

ピューリタン革命とは、「世界史の窓」によればこう。「1642年から49年に至る、イギリスのステュアート朝絶対王政に対して、議会の中心勢力であったジェントリが国王の専制政治を倒し、宗教的自由を求めて立ち上がった。彼らはピューリタンが多かったので、ピューリタン革命(清教徒革命)という。この革命によって国王チャールズ1世は処刑され、共和制が実現した。」

世界史や憲政史ではここまでしか学ばないけれども、クロムウエルにはさらに黒歴史があったようだ。上記勢いにまかせてアイルランドに遠征し、カトリックの信者とみれば誰彼かまわず虐殺し、アイルランドを植民地にしたという。

以来、アイルランドでは繰り返し独立闘争が繰り広げられた。しかしアイルランド人は100戦100敗の民であるという。先の「民衆指導者」ダニエル・オコネルによる運動の挫折もその一つだ。しかしアイルランド人は主観的には負けていない。主観的には100戦100勝らしい。つまり、不屈の精神をもつ。

その際、不屈の精神の拠り所となったのがタラの丘である。古代アイルランド王が依拠した土地で、日本でいえば飛鳥とか天の香具山みたいなところだ。

『風と共に去りぬ』の著者マーガレット・ミッチェルも、その主人公スカーレット・オハラもアイルランド移民だ。

スカーレットは南北戦争にも負け、アシュレーとの恋愛、レット・バトラーとの子育て・恋愛にもことごとく負ける。しかし屈しない。その背景にはアイルランド魂とその象徴としてのタラの丘があるのだ。

ミッチェルの『風と共に去りぬ』も、前記アーネスト・ダウスンの恋愛詩シナラからの引用という(詩の題名の違いは不明)。

といったことがよく分かった。司馬遼太郎という思わぬ援軍である。ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』の理解も深まった。

おまけ。米大統領ジョン・F・ケネディやロナルド・レーガンもアイルランド系。映画監督ジョン・フォードも。さらにビートルズもアイルランド系らしい。なるほど。

0 件のコメント:

コメントを投稿