きのうのつづきです。山頂から北西に
宇美町・志免町方面、博多湾を臨んでいます。
博多湾の中央に浮かんでいるのが志賀島
その右側に延びているのが海の中道。
志賀島の左奥に浮かんでいるのが玄海島
左手前が能古島。
その奥は糸島方面が
見えています。
左下の屋根は竈門神社の上宮
屋根から中央部にかけての緑の固まりが四王寺山(大野城)です。
四王寺山の向こう側が春日市、福岡市
拡大すると、志賀島と能古島の下あたりに空港が見えています。
その左側にはさらに、福岡タワー、ドーム、シーホークなども
見えています。わかりますか?
歴史で習ったとおり、大野城・水城が築かれたのは
白村江の戦い(663)に日本が敗れてから。
太宰府側の防衛線として水城が築かれたというけれども
粕屋・宇美側の防衛線はどうなってたんだろうと思います。
平安時代、最澄が渡唐する(804)まえにも
宝満山にこもって修行をしたといいます。
彼らもおなじ風景をみたのでしょうか。
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