高知城南側の坂を下っていたら、後ろのご婦人から声をかけられた。「いまから、ひろめ市場ですか?」「いいえ。昨夕行ったのですが、人が多くて。」「それは残念。」・・・
訊けばお城でのお仕事を終え、帰宅途中だそう。お城について、あれは石樋ですよ、あれは矢狭間ですよ、あれは忍びが入り込まないようにする設備ですよなどと詳しく教えてくださる。
高知人はみな人懐っこく親切だ。仕事を終え、疲れて帰るところだから、別に観光客に親切にしたりもてなしたりする必要はない。しかし仕事を離れても、自分の職場である高知城、その他高知の観光施設をあれこれご案内せずにはいられないようだ。ほっこりする。
つづいて向かったのは高知城歴史博物館。高知県の歴史を近世、近代を中心に展示している。
土佐藩主山内家伝来の家宝がベースになっているので、甲冑などの武具のほか、意外なことに国宝「古今和歌集巻第二十 高野切」も所蔵している。高野切は、平安時代のもので、ひらがなで書かれている。墨の濃淡や文字の配置が美しい。
兎耳形兜(うさぎみみなりのかぶと)。自己顕示欲の強い戦国期のおじさんたちの美意識は独特である。このような形のヘルメットをかぶって槍穂高に登れといわれてもご免こうむりたいが、当時はきっと憧れと賞賛のマトだったのだろう。
歴史館のあとは、城をはさんで反対(北西)側にある寺田寅彦記念館へ。寅彦は物理学者、随筆家、俳人。
高知県出身で、4歳から19歳までこの家ですごした。大半は空襲で焼けたが勉強部屋は焼け残ったのだとか。
熊本五高時代、夏目漱石と出会い、終生師と仰いだ。きのうだったか、NHK10min.現代文で夏目漱石の寅彦への手紙が紹介されていた。
ちなみに高知ではいま、やなせたかしの幟が多数はためいている。2025年前期のNHK朝ドラ『あんぱん』のモデルだから。やなせたかしも高知育ちである。牧野博士の『らんまん』につづく観光需要を見込んでいるのだろう。
それでいえば『あんぱん』のヒロイン・朝田のぶ役は福岡出身の今田美桜である。だが福岡ではここまでの盛り上がりは見られないようだ。橋本環奈の『おむすび』につづいてのことだから、必要性がとぼしいのだろうか。なんともぜいたくなことだ。
寅彦が俳人だったゆかりだろう、この日も句会がもよおされていた。ちかくにこのような場所があり句会に参加できるとは、なんともうらやましいことだ。
スタッフのかたから「なにゆえに福岡から?」と尋ねられた。「知人にファンがいるもので。」と回答したが、釈然としないようだった。「変わった人なんです。」とさらに言うと、ようやく合点いったという顔をされた。寅彦の名を知る人が減っているのだろう。
帰りの高知空港までのバスははりまや橋発だったので、くだんの名所にもご挨拶。ご存知、日本三大がっかり名所の一つ(ちなみにあと2つは、先日訪れた札幌時計台と長崎のオランダ坂である。)。
さらにがっかりなことに工事中だった。世界三大がっかり名所の一つマーライオンにならってスケールアップするわけではないようだ。
紀貫之は土佐日記の結び、荒廃した都の家で過去をしのんでいる。自分は工事中のはりまや橋でこの旅の思い出を振り返ろう。
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