2025年1月7日火曜日

土佐日記(5)高知城


 新年のごあいさつがはさまったが、土佐の旅をつづけよう。いの町紙の博物館のつぎは定番の高知城へ向かった。市電で東へ向かい、高知城前の電停でおりる。北へ向かえばすぐ高知城の堀にぶつかる。さらに北へ向かい追手門側から入城する。
 

 追手門手前北側に山内一豊公の像。一豊は、戦国末期、豊臣秀吉、徳川家康と仕え、関ヶ原の戦いの功により土佐一国を与えられた。


 追手門。福岡だと大手門。どちらも「おうてもん」と読む。高知城は江戸時代に築かれた天守が現存する現存12天守の一つ。追手門も当時のもの。


 板垣退助公像。「板垣死すとも自由は死せず」


 山之内一豊の妻像。2006年NHK大河「功名が辻」の千代のモデル。内助の功を仲間由紀恵が演じた。なぜか一豊は馬上におらず、追手門の外に出ていらっしゃる。夫婦仲はどうだったのだろう?と心配になる。近くに愛妻の碑もあるのだけれど。


 一豊の妻像前から振り返ると、紅葉と天守のとりあわせが美しい。紅葉はこの構図を意図して植えられたものだろうか。


 石垣も立派。きのうの武田信玄公の言葉「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」とは対極の世界だ。


 三の丸の奥にはこんな洒落た散歩道が。カップル多し。


 いよいよ天守。東西に唐破風(正面に見えている半円の破風)をつけた安土桃山時代の様式である。独立式望楼型4重6階。


 インバウンドの人たちとともに最上階へ。まずは北側。先ほどの三の丸が見えている。左端のほうにはあとで訪れる予定の寺田寅彦記念館が見えている。 


 つぎに西側。ずっと向こう、山の切れたあたりが井野だろうか。紙の博物館はもとより仁淀川も見えない。


 南側。県庁や市役所が見えている。山に遮られて、龍馬像はもとより桂浜や土佐湾も見えない。


 東側。正面中央にあとで訪れる予定の歴史博物館が見えている。

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