2022年11月24日木曜日

淡路島へ



  ワールドカップ、日本がドイツに勝った。ベッケンバウアーが活躍していた時代を知る世代としては、隔世の感がある。だれかどこかの王様に頼んで、きょう一日休みにならないだろうか。

・・・さて、休みになりそうもないので、旅をつづけよう。徳島のつぎは淡路島にむかった。淡路上陸は初である。

淡路は阿波へ行く道の意味だ。都から徳島へ行くほうが正順だろう。こんかいは逆順である。淡路島は日本列島で最初にできた島である。と日本神話にある。

 ・・そこで地上に戻って、前と同じように天の柱の回りを廻った。
 そしてまずイザナキが(筆者注、前回とは逆の順で)、
 「ああ、なんていい女なんだ」と言い、それに続いてイザナミが、
 「ああ、なんてすてきな男」と言った。
 こう言い終えてから性交を行った。それによって生まれたのが、
 淡道之穂之狭別島(アハヂ・ノ・ホノサ・ワケのシマ)、次が
 伊予之二名島(イヨ・ノ・フタナのシマ)。・・(『古事記』池澤夏樹訳・河出書房)。

淡路の次に生まれた二つ目の島は四国である。身は一つだが顔が四つあった。それぞれ名前があって、それが愛媛、讃岐、粟(阿波)、土佐である。

ちなみにその次が隠岐で、その次が筑紫島(ツクシのシマ)である。この島にも四つの顔があり、それが筑紫、豊、肥、熊曾である。いうまでもなく、わがちくし法律事務所の名はこの古事に由来する。

さてクイズ。淡路島は何県でしょう?江戸時代には阿波の蜂須賀家が淡路を領していた。が、お家騒動があり、廃藩置県では徳島県ではなく兵庫県に編入されてしまった。

単なる歴史的事実のようだが、そうではない。テレ朝で「路線バスの旅」という番組をやっているがご存じだろうか。あれをみていればわかるが、路線バスは都道府県ごとに路線が設定されている。

徳島県から兵庫県へむかう路線バスはない。路線バスの旅だから高速バスを利用することもできない。しかたなく県境を歩きなど他の方法で突破することになる(番組では)。

わが旅のよいところは高速バスが利用できることである。高速バスを利用して、徳島から兵庫県の本州側(明石海峡大橋の北側)にある舞子をめざした。途中、鳴門海峡にかかる鳴門大橋を渡る。

鳴門はいわずとしれた渦潮の名所である。「門」は水門、つまり海峡の意味だから、音が鳴り響くほど渦潮がはげしい海峡という意味だ。

 夜中ばかりに船を出だして、阿波の水門を渡る。夜中なれば、西東も見へず。
 男女、からく神仏を祈りて、この水門を渡りぬ。・・・

紀貫之が女と称して書いた『土佐日記』の一節。土佐国主(知事)の仕事を終え、京へ帰る道中。鳴門を通過しなければならない。平安時代は難所だった。

難所なのに、なぜ夜中に船を出したのだろうか。危ないではないか。思うに、鳴門の渦潮は潮の干満によって引き起こされる。満潮と干潮だから1日2回である。満潮の際には太平洋側から瀬戸内海側に潮が流れ込み、鳴門海峡を潮が南から北へ流れる。それが渦を引き起こす。干潮のときは逆である。おそらく貫之が帰朝したときは、夜中であれば渦潮が発生しない時期だったのだろう。

潮の干満は太陽や月の引力により引き起こされる。であれば、太陽や月がわれらの上空にくれば満ち、地球の反対側にまわれば干きそうなものだが、そうではないらしい(以下、文系のぼくには理解不能。なお、本ブログにおける理系の知識は全般的に不正確である。それを言えば文系知識もそうであるが。ともかく最後は自分で確認してくだされ。)。

大島真寿美の直木賞受賞作に『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(文春文庫)がある。人形浄瑠璃作者の近松半二の生涯を描いたもの。渦には激しい波乱のイメージがある。

かかる難所であるが、いまは鳴門大橋でひとまたぎである。この日、高速バスが鳴門大橋を通過したのは午前11時ころ。10時10分ころをピークとする南流の残影があったはずだが、残念ながら、バスの車窓からは見えなかった。

しばらくはバス旅。淡路島デカい。地図をみて抱いていたイメージとは大違いだ。どこまでも畑が広がっている。食材の宝庫だけある。いうまでもなくタマネギが有名である(写真1)。ワールドシェフ王料理大会なども開催されているようだ。

明石海峡を渡り、舞子の高速バス停で降りる。明石海峡大橋上部の連絡橋を反対側にある高速バス停へ行く。そして路線バスに乗り換えて、ふたたび淡路島に戻る(逆行)。

舞子の連絡橋から明石海峡とその向こうの淡路島をのぞむ(写真2)。海峡が逆光を反射して美しい。

 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌

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