2012年1月30日月曜日
タマヨリヒメの宝満山 by.山歩きの好きな福岡の弁護士
(馬蹄石)
巨岩・奇岩があちこちに屹立し、大地のパワーから
神の依り代であった霊山・宝満山。
その婚活パワーをさらに高めたのが
タマヨリヒメ(玉依姫)。
ここにはもと地主の神さま「大田明神」さんがおられたようですが
よりハイヤーなパワーに場所を譲られたもよう。
天武天皇の時代、法相宗の心蓮上人という人がいて
宝満山中で修行していました。この人が宝満山の開山。
白鳳2(651)年2月10日辰の刻
山や谷が鳴り震動しました。
心蓮証人が写真の場所までくると
天の華が飛んで芳香がします。
すると貴婦人があらわれ「わたくしは玉依姫。
民をまもり、国を安らかにするために、ながらくここにいます。」
そういうや、たちまち金剛神に変身して
手に錫杖、10神をしたがえ、9頭の龍馬にのって飛び行きました。
そのとき龍馬の蹄の跡が残りました。
それがこの写真の馬蹄石。山頂のほんの手前にあります。
かくてこの石の上には馬の蹄のような窪みがあるとされます
が、すこしわかりにくい。
また石には「玉姫降神すれば則ち山谷鳴て震動す。
心連座に登れば則ち天華飛んで繽紛たり 仙崖」と書いてあります。
仙崖さんは博多・聖福寺の住職。聖福寺は栄西がひらいた禅寺ですから
神仏習合時代のこととはいえ、宗派を超えてまことにおおらか。
心蓮上人はこの事件を報告
天皇の宣下によって山頂に社殿を建立しました。
こうして宝満山と竈戸神社には
玉依姫がおわします。
玉=霊・魂ですから
玉依姫は霊・魂が依る姫。
宝満山=御笠山は自然物である山が神の依り代でしたが
人である巫女さんが依り代になったわけです。
アニミズムの時代から
シャーマニズムの時代へ。
古来、女性は太陽である!
豊穣や多産のシンボルと考えられてきました。
そういうパワーが神の姿としてイメージされたのが
玉依姫なのだとか。なるほど。
玉依姫としてよく知られているのが
山幸彦・海幸彦の話に登場する海神の娘。
この神話からは
子孫繁栄のパワーを強く感じることができます。
このようなベースからさらに
霊・魂=心。すなわち「心が寄り添う神さま」に。
こうして
縁むすびのパワーを発揮されるわけです。
ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳
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