(馬蹄石)
巨岩・奇岩があちこちに屹立し、大地のパワーから
神の依り代であった霊山・宝満山。
その婚活パワーをさらに高めたのが
タマヨリヒメ(玉依姫)。
ここにはもと地主の神さま「大田明神」さんがおられたようですが
よりハイヤーなパワーに場所を譲られたもよう。
天武天皇の時代、法相宗の心蓮上人という人がいて
宝満山中で修行していました。この人が宝満山の開山。
白鳳2(651)年2月10日辰の刻
山や谷が鳴り震動しました。
心蓮証人が写真の場所までくると
天の華が飛んで芳香がします。
すると貴婦人があらわれ「わたくしは玉依姫。
民をまもり、国を安らかにするために、ながらくここにいます。」
そういうや、たちまち金剛神に変身して
手に錫杖、10神をしたがえ、9頭の龍馬にのって飛び行きました。
そのとき龍馬の蹄の跡が残りました。
それがこの写真の馬蹄石。山頂のほんの手前にあります。
かくてこの石の上には馬の蹄のような窪みがあるとされます
が、すこしわかりにくい。
また石には「玉姫降神すれば則ち山谷鳴て震動す。
心連座に登れば則ち天華飛んで繽紛たり 仙崖」と書いてあります。
仙崖さんは博多・聖福寺の住職。聖福寺は栄西がひらいた禅寺ですから
神仏習合時代のこととはいえ、宗派を超えてまことにおおらか。
心蓮上人はこの事件を報告
天皇の宣下によって山頂に社殿を建立しました。
こうして宝満山と竈戸神社には
玉依姫がおわします。
玉=霊・魂ですから
玉依姫は霊・魂が依る姫。
宝満山=御笠山は自然物である山が神の依り代でしたが
人である巫女さんが依り代になったわけです。
アニミズムの時代から
シャーマニズムの時代へ。
古来、女性は太陽である!
豊穣や多産のシンボルと考えられてきました。
そういうパワーが神の姿としてイメージされたのが
玉依姫なのだとか。なるほど。
玉依姫としてよく知られているのが
山幸彦・海幸彦の話に登場する海神の娘。
この神話からは
子孫繁栄のパワーを強く感じることができます。
このようなベースからさらに
霊・魂=心。すなわち「心が寄り添う神さま」に。
こうして
縁むすびのパワーを発揮されるわけです。
ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳
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