2011年2月4日金曜日

 今さらジロー(4)



 「取り替え子(チェンジリング)」は、ヨーロッパの伝承として
 たくさんあり、わが子が妖精の子と取り替えられてしまう話です。

 できの悪い子をもった親の気持ちとして
 どこかで妖精と取り替えられてしまったと考えたい気持ちも分かります。

 わが家でも、子どもが聞き分けがなくなるといつも
 「あなたは高崎山に連れて行ってから急に聞き分けがなくなった。」
 (猿と取り違えた)とジョークを交えて叱っていました。

 この主題はわれわれの心の深いところを刺激するのか
 チェンジリング伝承を踏まえて新しい作品もつくられています。

 C・イーストウッド監督の映画「チェンジリング」
 主演のA・ジョリーが取り替えられたわが子に関する真相を追求していくと
 できが悪いのは、わが子ではなくロサンゼルス警察という怖い話でした。

 義兄・伊丹十三の自死をきっかけに
 大江健三郎さんが書いた小説も「取り替え子」。
 
 大江さんに比定される主人公・古義人は絵本を見ながら
 伊丹十三に比定される吾良を思い出して、改めて悲しみに襲われます。

 絵本はモーリス・センダックの「まどのそとのそのまたむこう」
 (Outside Over There)。

   すると窓からゴブリンたちがやってきて
   氷の人形と交換に、妹をさらったのです。

   驚いたアイダは、妹を取り戻すため
   窓のそとのそのまたむこうへ出発しました。

 兄弟の争いは神代のカインとアベル、海彦と山彦からのものでしょうが
 弟らがチェンジリングを主張する争いはやはり最近のものでしょう。

 兄は50代半ばで、亡き両親も実子だと信じていたというのですから
 いまさら弟らから兄弟ではないといわれたほうもビックリしますよね。

 自分じしんに照らしても、いまさら両親と血縁関係がないことがわかれば
 アイデンティティが根底から否定されてしまいます。

 血縁主義の原則といっても、例外はあります。
 両親が生きていれば、養子縁組をするということもあり得たはずです。

 これらの事情から、本件について東京高裁は
 弟らの請求は権利の濫用であるとして、これを退けました。

 私は判旨を読むかぎり、その結論でいいように思います。
 みなさまはいかが?

 親子鑑定についての最近の事件としては
 3件ほど思い浮かびます。
 
 1件目は、養育費の請求事案 

 不倫関係にあった女性の子(婚外子)につき養育費を請求したところ
 「父」が自分の子ではない(他の男の子かもしれない)と争ったために
 親子鑑定が必要になりました。

 2件目は、相続権に関する事案

 「父」が亡くなったのち、婚外子として相続権を主張するために
 親子鑑定をしようとしたところ、「父」のDNAに関する鑑定資料が
 残っていなかったために断念したケース。

 3件目は、やはり相続に関する事案

 ずっと親子として生活をしてきたのに、両親の死後に
 戸籍上、親子でなかったことが判明したという事件

 民法を単純に適用すると「両親」の兄弟姉妹
 が法定相続人となり、依頼人には相続権がありません(889条)。

 「両親」の兄弟姉妹のかたがたと話しをしたところ、みなさん
 相続持分の譲渡に快く応じていただき円満に解決することができました。

 これまでの親戚づきあいがちゃんとしていたのでしょう。

 DNA鑑定も法律も限界があります。
 紛争を起こすのも解決するのも、最後は人です。

  「もう死んでしまった者らのことは忘れよう
   生きている者らのことすらも。
   あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ」

           (ウォーレ・ショインカ「死と王の先導者」から)
 

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