2024年11月21日木曜日

顧問会社幹部研修旅行同行記@伊豆熱海(2)

 

 大楠のあった来宮神社は、JR線の西側の高台にある。そこから熱海湾へ向けてどんどん下る。道はクネクネしているが、とにかく下っていき国道135号線をわたれば、海浜にたどりついた。熱海サンビーチである。残念ながら曇天。沖合にはかろうじて初島が見えている。

 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ  源実朝


 国道まで戻ればお宮の松。常葉の松だけに紅葉はしていない。が、尾崎紅葉の新聞小説『金色夜叉』で、貫一・お宮の別れの舞台となった。貫一・お宮は熱海の恩人である。熱海が一大温泉リゾート地となったのは、彼らのおかげである。


 あらすじ:高等中学校の学生の間貫一の許嫁であるお宮は、結婚を間近にして、富豪の富山唯嗣のところへ嫁ぐ。それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。一方、お宮も幸せに暮らせずにいた・・・(ウィキ)。

 実は読んだことはない。小説のタイトルから拝金と愛の板挟みとなった夜叉の物語だとは思っていた。しかし銅像のイメージから裏切るのは貫一のほうだと誤解していた。でも違うようだ。貫一だけに。

 名文句「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」。貫一の呪いのせいなのか、この日の夜も月はなく曇ったままなのであった。

2024年11月20日水曜日

顧問会社幹部研修旅行同行記@伊豆熱海(1)

 

 選手末は、顧問先の会社の幹部社員研修旅行に同行させてもらった。行き先は伊豆熱海である。

 熱海は3度目である。1度目は司法研修所卒業10周年のとき。当時、司法試験に合格すると、2年間の司法修習があった。研修所は湯島。旧岩崎弥太郎邸である。裁判官、検察官、弁護士がみな同じところで修習し、やがてそれぞれの畑に入っていく。10周年は、みなそれぞれの畑に慣れたころで、旧交を温め近況を語りあった。

 2度目は天城山を縦走したあと。頼朝ゆかりの修善寺に泊まり、翌日、いわゆる浄蓮の滝・旧天城トンネル・天城越を出発する。川端康成の小説や石川さゆりの歌に思いを馳せながら山を登る。天城山という山はなく連山である。万三郎岳、万二郎岳を経て伊東にくだった。

 3度目にしてはじめて市内を散策した。湯の街だけに、別府に似ている。背後に山が迫り、海までの斜面に温泉宿やホテルが密集している。

 まずは熱海駅前の平和通り名店街を視察。新鮮な魚や干物屋が並ぶなか、アワビの焼き物を食べ歩き。つづいて昼食は生しらすマグロ漬け丼を食す。そこからはグループに分かれて、それぞれ視察。

 熱海はもっと寂れているかと思いきや、なかなかに賑わっていた。しかもインバウンドではなく、日本人観光客が多いようだ。首都圏からの客だけでもなく、関西弁もよく聞かれた。二日市も温泉街として学ぶべき点があるだろう。

 一日目、もっとも行ってよかったと思ったのは、来宮神社の大楠である(写真)。樹齢2000年という。来宮(きのみや)は木の宮だそう。神社の由来も、熱海湾で網に木の根がひっかかることが3度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像だったので、近くの松の下に祀ったことがはじまりという。

 あいにく天気は悪かったが、大樹のパワーをもらって英気を回復することができた。もちろん温泉パワーもあるだろう。 

2024年11月19日火曜日

人権都市宣言のまち作り、私はこう考える(2)

 人権都市宣言のまち作りをするうえで、標語・看板や教育による啓発活動のつぎにやるべきことは何なのか?私は司法インフラの整備であると考える。具体的にいえば、手前みそながら、市民の身近に法律事務所や弁護士がいることである。

 人権や権利が重要であるといくら宣言しても、それらが侵害されたときにこれを擁護する存在がなければ、画に描いた餅である。人権や権利を実現し、実際に擁護するのは司法であり、弁護士である。

  わが事務所は1984年4月、二日市でうぶ声をあげた。地域に根ざすことを理念とした。当時は日本中の法律事務所が裁判所の周辺で門前町をなしていた時代である。裁判所のない場所での事務所開きは、とても先駆的であった。

 司法をもっと市民に利用しやすいものにしようと具体的な司法改革がはじまったのは、2001年12月、それから17年ほど後の話である。

 それから23年が経過した。司法改革の成果については毀誉褒貶がある。頭を傾げることも多いが、弁護士増員により裁判所の周辺に固まっていた法律事務所が地域に分散したことは喜ばしいことだろう。市民が司法を利用するうえで格段に便利になったと思う。

 法律事務所の地域分散による恩恵の第1は意外にも、暴力団・やくざ介入事件の減少だと考える。私が弁護士になった当時、暴力団は債権回収業や暴力金融・高利貸しとして暗躍していた。かれらは「裏の弁護士」と称して活動していたのである。

 父母が離婚する際、子を連れた母は父に対し養育費を請求することができる。いまなら弁護士に依頼したり、家庭裁判所で調停をすることがあたりまえになっている。昔はそうではなかった。養育費のようなものに関しても、債権回収について暴力団が介入していたのである。

 「表の弁護士」が増えれば、「裏の弁護士」の仕事が減り、暴力団介入事件は減少していった。もちろん暴力団介入事件が減ったのは、それだけではなく、暴対法の効果や撲滅市民運動の成果でもあるだろう。しかし実感として、地域から暴力団介入事件が減少したのは、法律事務所と弁護士が地域に分散した効果も大きいと思う。

 もちろん、暴力団介入事件の減少に限らず、不動産、賃貸借、雇用、不法行為、離婚、相続、債務整理など一般事件において、市民が弁護士に依頼し、権利を実現する機会も増えたと思う。

 さらには狭い意味での人権擁護活動、すなわち国家権力からの人権侵害救済についても、地域的な広がりをみせていると信じたいが、実際はどうだろう?

2024年11月18日月曜日

人権都市宣言のまち作り、私はこう考える(1)

 

 日曜は依頼を受けて、太宰府講座の講演だった。国会議員、県議会議員、市長・元市長、市議会議員、銀行員、不動産会社社長らによる連続講座の一環。テーマは「太宰府のまち作り、私はこう考える」について。場所は五条のいきいき情報センターである。

 これまで多数講演依頼を受けてきたが、まち作りについての依頼は初めて。不動産、賃貸借、雇用、不法行為、離婚、相続、債務整理などであれば、いつもの仕事の延長であるから容易である。しかし、まち作りとなると・・・。しかも、地元議員や地元企業のトップに混じってとなると、さらに話す内容に苦労する。

 そう思って悩んでいたとき、西鉄五条駅前を歩いていたら「人権都市宣言のまち『だざいふ』 あらゆる差別をなくし 人権文化を築いていこう 太宰府市・太宰府市教育委員会」と標語が書かれた看板を目にした。そうだ、その線で行こう。人権の話であれば、自分のフィールドだ。ということで、「人権宣言のまち作り、私はこう考える」と題して講演をおこなった。

 上記標語のような考えは、太宰府市にかぎらず一般的におこなわれているところである。しかし、やや疑問なところがある。この標語は、誰が誰に対して言っているのか。太宰府市が市民に対して言っているのだろうが、そうなると人権の意味を踏まえて言っているのか疑問が残る。

 人権とは、憲法によって保障された自由や平等という国民の権利である。イギリス本国の圧政に抵抗したアメリカの独立革命、そこから飛び火したフランス革命にはじまる。日本国憲法はそれらに連なるものである。したがって、人権は国民や市民が権力に対して要求し、権力をしばるものである。市民の皆さんは人権を守ってくださいね~とかいうのは、「ちょっとちがう」、「わかってんのかい」という気がする。

 また「あらゆる差別をなくし」という点もひっかかる。むろん平等権は人権の大きな柱である。「虎に翼」で描かれたとおりである。しかし人権イコール差別禁止というと、人権理解として狭すぎる。

 日本の教育現場における人権教育イコール同和教育というのは、やはりちょっとちがう気がする。日本における差別の歴史に照らし同和教育の重要性はいささかも否定しない。が、人権は、平等権だけでなく、自由権、参政権などもっと広がりをもったものである。同和教育を重視するあまり、これら重要な人権を教育する機会を失しないようにしていただきたい。

 人権について、このような理解を踏まえたうえで、市民が人権を守るよう啓発することは良いことだろう。その場合、市民が人権を守るという意味は、一般的にはどうなるだろう?

 憲法や人権が直接に市民や民間企業を拘束するかについて争われた事件として、三菱樹脂事件がある。採用にあたり思想差別をしたとして、憲法19条違反が問題にされた。

 私人間に憲法は適用されないという説、直接適用されるという説、間接的に適用されるという説に分かれたが、最高裁は間接的に適用されるという考えを示した。

 私人間を拘束するのは民法であるが、民法には一般条項を定めた規定が存在する。公序良俗に違反する契約は無効であるとか、不法行為をおこなった者は損害賠償義務を負うとかいう規定である。間接適用とは、それら「公序」とか、「不法」とかの中身として憲法が適用されるという考え方である。憲法に違反する契約は、公序良俗に違反するものとして無効になる。憲法に違反する行為は、不法行為として損害賠償義務を生じる。という具合である。

 このような理解に立てば、人権と民法の定める権利は、地続きになっていると考えることも可能である。自動車を運転していて人をはねて怪我をさせたとき、憲法の保障する生命・身体の安全を侵害したといえるのである。しかし、民事紛争にいちいち人権を持ち出すのは大ごとなので、ふだんはそのような議論をおこなわない。民法上の議論で事足りるのである。

2024年11月13日水曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(結)マタギ、秋田犬、反芻旅行

 


 NHKで「夏井いつきのよみ旅」という番組をやっている。「ホスト界の帝王」ローランちゃんと旅をしながら、旅先の人々の俳句と人生に触れる番組だ。先日は秋田(前編)だった。

https://www.nhk.jp/p/ts/1VG55R8PP8/episode/te/GPJK2Q37VM/

 番組のなかで、マタギが秋田固有の季語であるとか、秋田犬がマタギが猟をする際のお供だったとか、2023年は渋谷のハチ公誕生100周年だったという紹介があった。どれも旅しているときは知らなかった。

 歳時記で調べても、狩や狩人が季語だということは分かるが、マタギが秋田固有の季語だという紹介はない。レア知識だ。さすが夏木先生。 

 森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅でも、なんどか秋田犬に触れる機会があった。最初は秋田内陸鉄道の車内で、次は阿仁前田温泉の施設内で。これらは写真や車内デザインだった。

 実際に触れたのは、角館と田沢湖畔にて。角館では、店舗の店先でくつろいでいるやつにも出会ったし(上写真)、有料300円で触れあう施設もあった。田沢湖畔もおなじくである。犬好きにはたまらないであろう。

 以前にも紹介したけれども、向田邦子の随筆に「反芻旅行」がある。「前の晩にテレビで見た野球の試合なのに、朝必ずスポーツ新聞を買ってたしかめる人を『もったいないじゃないの』と、お金と時間の無駄使いだといったことがあった。その人は、私の顔をじっと見て、『君はまだ若いね』といった。『野球に限らず、反芻が一番楽しいと思うがね』。旅も恋も、そのときも楽しいが、反芻はもっと楽しいのである」。

 そのとおりである。旅はとくにそう。行ったときも楽しいには楽しいが、その時の楽しさをあらためて反芻しているときこそ至福の時である。まさに反芻旅行。いましばらくは森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅を反芻し、余韻にひたっていたい。

2024年11月12日火曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(13)姫神山(後)

 

 姫神山頂からは来た道の一本杉コースではなく、北側のこわ坂コースを下る。すぐに樹林帯に入る。なかなかに急坂で怖い。こわ坂の由来は怖坂だろうか。


 振り返れば、逆光に紅葉が美しい。


 急路から穏やかな道へ。このあたりまで下ると紅葉はまだ。美林がつづく。


 ご夫妻とすれ違う。夫婦連れも東北の山中で出会うと、なんとなく昔話でもはじまりそうだ。むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが山を登っておったそうな・・・


 ミズナラの巨木が美しい。


 こんどはご婦人ふたり。


 オオカメノキ。実が宝石のようだ。


 またまた赤い実。グミっぽいが、なんだろぅ?


 登山道の終わりにはこの実。思えば旅のはじまりの阿仁前田温泉でも見かけた。ことしはこれにはじまり、これに終わるということか。


 こわ坂コースを周回すると、一本杉登山口に戻る。振り返れば、姫神山が美しい稜線を広げていた。山頂ふきんですれ違った男性にふたたび出会い、あいさつを交わす。おつかれさま。たがいの無事と登頂を祝福しあう。


 一本杉登山口からはタクシーで好摩。そこからふたたび銀河鉄道で盛岡。そこからは東北新幹線やまびこで仙台。そして仙台空港へ。

 仙台空港を飛び立つと、阿武隈川が蛇行し、阿武隈山地をぐるりと周回して太平洋にそそいでいた。手前が竹駒神社のある岩隈で、芭蕉が仙台藩に入るまえに歩いたあたりだ。


 今回の旅も、森吉山は雨にたたられて断念したが、なかなかによき旅となった。感謝感謝。

2024年11月11日月曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(12)姫神山(中)


 山頂がみえてきた。あとすこしだ。 


 大きな岩がゴロゴロしている露岩帯をすぎると山頂だ。修験の山なので、石の祠がある。


 東をのぞむ。快晴。期待どおりの絶景が広がっている。奥羽山脈の絶景だ。東からプレートに押され、なお隆起をつづけている。手前北上盆地を北上川が流れている(北・右から南・左へ)。


 絶景の中央、ひときわ高く美しいのが日本百名山の岩手山(2038m)だ。南部富士と呼ばれる。


 その右(北)側にある台地が、やはり百名山の八幡平だ。


 岩手山の左(南)側は、きのう登った二百名山の秋田駒ヶ岳。


 さらに南に目を向けると、やはり百名山の早池峰山だ。南向きゆえやや霞んでいるが、遠野物語の舞台にふさわしいといえるだろう。

2024年11月8日金曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(11)盛岡、姫神山(前)

 

 秋田駒に登った日は、盛岡まで戻り、駅前のビジネスホテルに泊まった。盛岡はいま人気の街である。ニューヨーク・タイムズ紙により「2023年にいくべき52ヶ所」の1つに選ばれたからである。世界中の街のなかから選ばれたのだから、すごい。

 選者によればこう。
 「僕が初めて盛岡を訪れたのは、2021年の春、しかも午後の時間帯だけだった。
 が、この盛岡という街は、衝撃的だった。思いがけなく生き生きとした街で、川や山々の自然が、散策にぴったりな街中の景色に美しく溶け込んでいる。おいしいスコーンやコーヒーもある。最高の街じゃないか。」

 賛成である。地元料理屋に入れば、期待にたがわずうまい。カウンターの反対側には、やはり福岡からきたおじさんが陣取っていた。こんなに遠くなのに福岡県民密度が高い。おじさんは花巻や遠野を旅してきたという。福岡県民はおいしい景観や味に目がなく、盛岡までの距離感など屁でもないのだ。

 店をでれば、駅のすぐ東側を北上川が悠然と流れている。その名も開運橋にたたずめば、北西に岩手山が美しく暮れなずんでいる。

 やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 石川啄木

 私が訪れたのは秋だっだが、タイムズ紙の記者が訪れたのは春だったので、きっと柳あをめる季節だったろう。啄木と気分は真逆であるが。

 明日はいよいよ最終日、姫神山(1124m)をめざす。


 翌朝、盛岡駅からJRではなく、いわて銀河鉄道に乗る。盛岡-八戸間の新幹線開通に伴い第三セクターとなった。社名はもちろん宮沢賢治の童話作品から。残念ながら、日が昇ったばかりであるので、銀河鉄道の朝である。

 はじめはビル街を走っていた。しばらくして西側の展望が開けると、北西に岩手山の勇姿がみえた。大きい。きのうは終日雪雲を冠していたが、きょうは山頂までピーカンだ。

 今度は東側をのぞむと、姫神山だ。東西に日本百名山と二百名山が並びたち、まことに雄大な景観だ。車中からは確認できなかったが、東南にはこれまた百名山で、遠野物語にも登場する早池峰山がみえるはずだ。

 このような景観は東北人の語りぐせを刺激せずにはおかない。遠野の人でなくても何か語りたくなる。例にもれず、「岩手山と姫神山の夫婦別れ」という伝説がある(八幡平市 鹿角街道WEBより)。

 岩手山は男ぶりのよい神様で、姫神山と夫婦になったが姫神山はさほど美しくなかったので、岩手山は早池峰山を側室にした。このことを知った姫神山はやきもちをやく日々でした。耐えかねた岩手山は姫神山を追い出すことにし、その役をオクリセンという家来に申し渡したが、姫神山は遠くへ行こうとしなかった。オクリセンは板ばさみになって困ったが、姫神山に同情してしまい、北上川をへだてたばかりの所に座らせた。岩手山の怒りは凄まじく、命令にそむいたオクリセンを呼びつけて首を切り落とした。オクリセンの山のてっぺんが平たいのはそのためで、切られた頭は岩手山に食いつくようにとんでって鞍掛山になったそうな、どんどはれ。

 とまれ、銀河鉄道を好摩というところで下車。そこからはタクシー。運ちゃんは話し好き、山好きだ。知らなかったが、好摩というところは本州でいちばん寒いところだそう。いわれてみれば、東西を名山に囲まれた盆地である。今朝は氷点下まで冷え込み、北海道の○○(どこだったか失念)についで冷え込んだそう。

 一本杉の登山口からさっそく登り。女性登山者があっという間に追い抜いていった。昔なら負けてなるものかと追いつけ追い越していったものだが、いまそんなことをしたら脚を痛めるのがオチなのでペースをまもる。

 まもなく一本杉登山口の名の由来となった一本杉に到着。ちかくを清流が流れていて、すがすがしい。


 針葉樹は一本杉のあたりだけで、あとは落葉樹の森が広がっている。光がはいって美しい。


 地面にはドングリが一杯落ちている。豊かだ。ここらへんもこれだけ豊かであればクマもお腹がいっぱいだろう。


 ざんげ坂の急登を登りきると五合目だ。ここからは尾根筋にとりつく。木漏れ日を受けた木々が美しい。


 木漏れ日越しの朝日がまぶしい。


 七合目。樹間ごしに岩手山がみえた。快晴。きょうは絶景を期待できそうだ。

2024年11月7日木曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(10)秋田駒の紅葉

  つづら折りの林道をバスがくだっていく音がする。走って行けば追いつけないだろうか、無理か。つぎのバスまで2時間か、なにをして時間を潰そうか。などと思いつつ、そのあたりを行きつ戻りつ。

 すると、「秋田駒スキー場まで8km」という標識が目についた。駒ヶ岳八合目バス停のつぎは登山口のバス停である。スキー場はその先にある。登山口のバス停までは8km未満ということだ。

 ということは、登山口のバス停までは2時間弱の行程。つぎのバスまで待つ時間と同じだ。天啓か悪魔のささやきか。登山口のバス停まで徒歩で下山することを決めた。もちろん、今朝バスでのぼってくる際にみえた美しい紅葉を嘆賞するためだ。



 山頂ちかくは初冬の装いだったが、下るにつれ季節が逆もどりし、秋が深まっていった。くだくだと語るより、写真のほうが雄弁だ。あとは写真にゆだねよう。
















 ダケカンバ林からブナ、ミズナラ林へ。そしてその樹間にミネカエデなど。ブナの実がたくさん落ちていた。豊かだ。これだけ豊かであれば、クマもお腹がいっぱいだろう。
 
 5合目あたりから6合目あたりにかけて約1時間、紅葉の森を逍遙した。酒は飲まねど、めくるめく紅葉に酔った。


 登山口のバス停まで無事下山することができた。秋田駒を5時間で周回登山したのちの2時間の歩きは、下りとはいえちと疲れた。

 まもなく乳頭温泉から田沢湖駅へ向かうバスに乗車した。田沢湖畔で途中下車。傾いた秋の日が湖面を美しく輝かせていた。