2024年10月31日木曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(6)女目岳

 

 さて男岳をくだろう。右手(東側)にムーミン谷が見えている。





 日がのぼり気温があがりだして霧氷がとけ始めている。そろそろ見納めだ。そう思うとなおいっそう美しい。


 阿弥陀池の畔まで戻る。振り返ると、男岳がみえた。ここからだと、低く感じる。



 つぎは女目岳(1637m)の登りだ。石積みや木道で整備されている。


 登頂!


 北側には百名山のひとつ、岩手山がみえるはず。・・・だが、残念ながらみえるのは裾野だけ。山頂部は雲がかかっている。この日、初冠雪をしたからだ。


 振り返ると、ここまで歩いてきたルートがみえた。右から男岳、女岳、阿弥陀池だ。

2024年10月30日水曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(5)男岳

 

 秋田駒は南北に2つカルデラがあるほか、女目岳、男岳、女岳、横岳、焼森、湯森山、笹森山など多数のピークで構成されている。

 いま女目岳の裾を西側から巻いて南側へやってきたところだ。正面・南に男岳(1623m)が姿をあらわした。


 さらに進むと阿弥陀池に着いた。池の向こうに避難小屋が見えている。池面に朝日が反射してキラキラしている。女神でもあらわれそうだ。


 池の手前(西端)から男岳に登る。後ろから女性登山者が追いついてきた。


 下から見るとそれほど高さがないと思われたが、ひと登りしてあとこれだけある。ふう。


 北側には女目岳。手前の木道はたったいま歩いてきたところだ(左側から右側へ)。


 男岳はさっき見えていたところからさらに南側へ稜線が延びていた。稜線の向こうがピークのようだ。先行する登山者がみえる。大阪から来たという男性だった。


 男岳登頂!信仰の山の歴史をかんじさせるたたずまいだ。


 西側には雄大な絶景がひろがっていた。田沢湖も美しい。大阪から来た男性が絶景の感動にひたっている。

2024年10月28日月曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(4)霧氷


 秋田駒は植生が豊かで、花の百名山に選らばれている。しかし初冬を思わせるこの季節、花はない。が、霜と氷の花々が咲いていた。

 









2024年10月25日金曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(3)秋田駒八合目

 

 角館からは普通電車で田沢湖駅まで。民泊のような安宿に泊まる。客は、他に夫婦、女性2人旅をあわせて5人だけである。もちろん素泊まり。夕食は駅前食堂で。

 翌早朝(3日目)5時20分に起きだして支度し、駅前6時発の秋田駒ヶ岳8合目行きバスに乗る。駅前からは2人だったが、途中、十和田湖畔や温泉街に宿がいくつもあり、次第に乗客は増えていった。

 右手車窓からは朝日に照り輝く秋田駒の山頂部が見えている。白くなっている。雪だろうか。昨日の強雨は低気圧と前線の通過によるもので、寒冷前線の通過により、山頂部は氷点下まで冷え込んでいるようだ。

 登山口のバス停からはつづら折れの狭い道をバスはクネクネと登っていく。途中、ゲートがあり番人がいて、一般車は通行止めになっている。山頂部積雪していればここまでと言われていたが、どうやら積雪はなく登れるようだ。ゲート番が「けさはさびーどー」と言ったので、社内爆笑した。

 クネクネ登るうち、車窓の風景は秋から晩秋、晩秋から初冬へと移り変わっていった。5~6合目ではすばらしい紅葉がひろがり、酔ったような気分になった。その写真はのちほど紹介しよう。山頂近くは、上記の写真のとおり。木々は葉を落とし、もはや初冬のたたずまい。 


 8合目のバス停に着いた。後方に秋田駒の最高峰(秋田県の最高峰でもある。)である男女岳(おなめだけ。1637m)が見えている。寄生火山の赤茶けた山肌に白いものが被っている。

 秋田駒は2つのカルデラが北東-南西に並び、女目岳のほか、男岳、女岳などからなり、複雑な地形をなしている。雰囲気はくじゅう連峰と似ている。


 まずは女目岳からのびる斜面にとりつく。火山であるためか、道はまっすぐのびていかず、この山体を西側(右側)から巻いていく。直登すれば急登であろうが、巻いていくのでそれほどきびしくはない。
 

 ナナカマドが葉を落とし、赤い実をつけている。ナナカマドはかまどで7回焼いても焼き切れないという丈夫な木である。
 

 北をふりかえると乳頭山が姿をあらわした。岩手県側からは烏帽子岳と呼ばれる。秋田県側からみると乳頭に、岩手県側からみると烏帽子にみえるというのが名の由来。しかし秋田県側からみても烏帽子にみえるがどうだろう?

 その西側(左手)にはかの有名な乳頭温泉郷がある。15年ほど前、迫田弁護士夫妻、石井弁護士と4人で乳頭温泉に泊まり、岩手山に登った。薬害肝炎の会議が仙台であったので、終わったあとスーツを裏返したものである。
 

 北から西北に目をうつすと、きのう登り損ねた森吉山がみえた。たおやかな稜線を広げている。あそこにはクマの2匹や3匹うろついているだろう。もちろん、秋田駒にもクマはいる。が、森吉山がそう思わせるのは、やはりマタギの山だからだろう。


 下から白くみえていたのは霧氷だった。霧氷の写真もあとで紹介しよう。登山道は女目岳の西側山麓をどんどん巻いていく(山を登らないで迂回することを「巻く」という。)。


 しばらく行くと、南西に田沢湖がみえた。日本で最も深い湖である。

 湖の奥の方向に角館がある。一昨日はそこから右手のほうへ向かい、先ほどの森吉山の向こう側にある阿仁前田温泉へ行ったことになる。昨日はその逆の行程である。

2024年10月24日木曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(2)角館

 

 2日目は雨予報だった。とくに午前中は5ー10ミリ/時間の強雨が予報されていた。この雨量だと、山はもちろん外を出歩くのもむずかしい。森吉山登頂をあらためて断念。またの機会を期す。 

 こうなることは出発の前日、前々日にはわかっていた。ちかごろは早割(早期に買うので割引きとなっている航空券)の旅なので、予定日の天候が悪くても行くしかない。

 午前中強雨ということなので、宿でチェックアウトの時間までねばって出発。阿仁前田温泉駅からは1両の普通電車。

 阿仁合(あにあい)駅で観光電車でおしゃれな急行縄文号3両に乗り換えた。おしゃれと縄文号という名がミスマッチな気がしたが、それはいいだろう。

 なぜ縄文号なのか。沿線に伊勢堂岱遺跡があるからだ。遺跡は世界遺産。4つの環状列石が有名。イギリスのストーンヘンジは有名だが、これは知らない人が多かろう。

 世界遺産に登録されたのち、注目を集めている。あらためて縄文の美にも光があてられている。おしゃれとミスマッチでない日も遠くない。

 阿仁合からは台湾ツアーのみなさんも、地元のみなさんも乗り込んできた。にぎやかだ。台湾語だと思ってボヤっと聞いていると、途中から東北弁だと気づいたりした。またボヤっとしていると台湾語に戻ったりする。



 角館駅に着いた。角館は藩政時代の地割と武家屋敷が多数残されていて「みちのくの小京都」と呼ばれている。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。枝垂れ桜のころが有名である。


 戦国時代、戸沢氏が支配していた。関ヶ原の後、佐竹氏が秋田に入部し、久保田藩領に。翌年、佐竹義宣の実弟・蘆名義勝が所領として入部。

 当初は狭隘で水害や火災にしばしば見舞われた。そのため道路幅員を広げ、下水、火除地をつくるなどしたのが現在の美しい街並みとなった。


 カシワの古木。街中なのに深山でみるような古木がたくさん。





 家臣団の武家屋敷が並んでいた。もっぱら観光にきた人たちは、屋敷を一巡しては、足早に強雨のなかを出ていく。

 こちらは急ぐ旅でもない。強雨を避けるため、座敷でじっとし、強雨がうつ庭をながめ、時間がたつのをじっと待つ。普段とはひと味ちがう旅になった。