九州国立博物館の特別展「中宮寺の国宝」展に行ってきました。
目玉はもちろん国宝菩薩半跏思惟像。
頭をやや傾げて右手で頬をささえて考えてあります。
美しい、アルカイックスマイル。
飛鳥に行かなくても、
飛鳥いくスマイル(く、苦しい・・)。
飛鳥いくスマイル(く、苦しい・・)。
奈良中宮寺でも拝観したことはあるのですが、九博ではすこし困惑というか照れくさいお顔をされているように見えます(半跏思惟がはずかしい)。脇侍がおられないせいでしょうか、それとも背中まで見えるせいでしょうか。
意識されているのかいないのか、展示のしかたもロダンの考える人のよう。そういう意味ではとても近代的表現です。
美しい点はともかく、人類を救済する菩薩としてはやや頼りなく感じられたのでしょうか、平安、鎌倉時代以降はこのような姿勢の像は造られなくなったようです。
気になったのは、この菩薩が弥勒菩薩なのか如意輪観音なのか
寺伝によると如意輪観音だけれども、当時は弥勒菩薩として造像されたのだとか。
弥勒菩薩であれば、釈迦入滅後56億7000万年後の未来、ゴーダマの次にブッダになることが約束されているのだとか。でも56億といわれると気が遠くなるというか、なんど輪廻転生をくりかえせばよいのか・・。
如意輪観音であれば、意のままに説法し、衆の苦をなくし、世間・出世間の利益を与えてくださるそう。そういう現世ご利益的な意味でも、弥勒→如意輪という考えになったのかもしれませんね。
如意輪観音であれば四王寺山にもおられます。
写真は13番札所の如意輪観音さま。
四王寺山の三十三石仏は、西国三十三所にならったもの
なので、13番は石山寺の観音さまと同体のはず。
石山寺といえば、瀬田の唐橋から南に入ったところにあり
紫式部が源氏物語を執筆したところとしても有名です。
などなどと思惟していたと思ったら、
あさきゆめをみていたのでした。
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