2021年11月14日日曜日

裁判官「ちょっと待って下さい。」

 

以前、高齢者の方の交通事故で、刑事裁判になり、国選弁護人に選任されました。

刑事裁判といっても、逮捕・勾留されているわけではなく、自宅で生活しておられて、裁判の日に呼び出しを受ける、というものです。「在宅起訴」といいます。


国選弁護人に選任されて、被告人の方にお電話すると、足が不自由で、裁判所には介助者の方が付き添って来られるとのこと。

事前に裁判所に連絡し、その旨をお伝えしました。


刑事裁判では、起訴された事実に争いのない事案では、通常1回目の期日でひととおりの証拠調べと被告人質問などを行い、2回目の期日で判決となることが多いように思います。


もっとも、今回は、足が不自由で、出頭するのも大変なため、できれば即日判決をもらいたいと裁判所に伝えていました。


迎えた第1回期日。車いすで介助者の方とともに、被告人の方が裁判所に来られました。

車いすで法廷に入りますから、傍聴席の側から、検察官や弁護人席のあるバーの内側に入るのも一苦労です。

なんとか、車いすから、弁護人席の隣に座っていただきました。


通常、被告人質問などは、その都度、法廷の真ん中の証言台に移動して行います。

もっとも、今回は、裁判官も、被告人の方が「よっこいしょ!」と言って弁護人席の隣に座られる様子を見ておられますから、「その場でいいですよ。」と言ってくださり、弁護人席の隣に座ったまま、被告人質問などをすべて行いました。


判決も、即日で出してくれ、裁判官、裁判所の配慮をとても感じました。

判決を受けてすべて終わり、帰るのがこれまた一苦労。

なんとか車いすに移動し、介助者の方が後ろ向きのまま、車いすを引いて、法廷から出ようとします。

ですが、後ろ向きのため、このままでは法廷の扉を開けられない。

すると、裁判官が、

「介助者の方、ちょっと待って下さい。」

と声をかけられました。


ま、まさか、壇上の裁判官席から降りてきて扉を開けてくれるのか、なんてイケメンな裁判官なんだ、と思っていると、


「ちょっと待って下さい。今、弁護人が扉を開けますから。」とのこと。


まあ、そうですよね。はい、ただいま。

最後に私の過剰な期待は裏切られましたが、裁判官の配慮により、つづがなく刑事裁判を終えたのでした。


富永

2021年11月13日土曜日

交剣知愛

 

剣道には、「交剣知愛」という言葉があります。

剣道を通じて互いを知り、広く付き合い、成長しましょうみたいな意味です。


小さい頃からずっと剣道をしてきた私も、中学、高校の頃は、地元で、自分の道場だけでなく、色々な道場や稽古会に、自転車で防具をかついで乗り込んでいったものです。

どこに行っても、来る者拒まずという感じで、稽古させてくれます。

当たり前のように思っていましたが、よく考えると、野球やサッカーなど他のスポーツで、他チームの練習にとびこみ参加するなんてことは、まずありません。


そういう意味では、剣道の「交剣知愛」文化は、なかなかよいものです。


ちなみに、私は現在、剣道五段です。

剣道は、級を除けば、初段から八段まであります。

六段以降は、錬士、教士、範士という称号もあります。

ですので、範士八段が最高位、ということになります。


弁護士になってからは、剣道を再開すると言いながら、コロナだなんだと、ずっと「やるやる詐欺」をしてきました。

準備だけは万全だったのですが・・・。

ちくし法律事務所ブログ: 剣道再開の準備は万全? (chikushi-lo.jp)


ということで、この前、初めて、筑紫地域のとある稽古会に参加してきました。

アポなし突撃だったのですが、稽古に入れてもらえました。


まあ体が動かないのなんのって苦笑。せめて月1回くらいは、これから続けていこうかなと思いました。


そう思っていると、稽古会に来ておられた先生から、

「あなた五段?週2回は稽古せんと六段は受からんよ。いついつにもどこどこで稽古会があるからそちらにもぜひ。」とのこと。


先生、交剣知愛が過ぎますよ~。(たぶん)業界初の範士八段弁護士めざして頑張ります・・・。


富永



2021年11月12日金曜日

九重山黒岳原生林の紅葉狩り(2)

 


 男池から風穴まで片道2時間、往復4時間のコースタイムである。しかし途中、紅葉をめでたり、写真をとったり、休憩や食事をとったりで、1.5倍の6時間くらいの時間をみておきたい。

その週の水曜日、刑事事件の法廷帰りに裁判所のまえで左足首を捻挫してしまっていた。翌日は痛みで革靴がはけず、草履で通勤しなければならなかった。それから4日後のことであり、最後まで歩けるかどうか不安があったが、ツアーガイドでもあるし、無理して参加した。

男池を出発すると、あとはもうずっと原生林がつづく。原生林の極相はブナやミズナラとなるので、基本的な色調は黄色や茶色である。いわゆる黄葉。

赤いのはコミネカエデである。京都嵐山のように植林されたわけではないから、全山真っ赤になることはない。ところどころに赤い点景がある。それが貴重で、慕わしい。

中間地点は、ソババッケである。左に黒岳、右手は手前が平治岳、奥が大船山という、登山道の交差点である。右に登れば大戸越があり、そこからさらに右に登れば平治岳、まっすぐ下れば坊がツル、左に登れば北大船山である。ソババッケをまっすぐすすめば、目的地である風穴がある。黒岳へは風穴から左手の急坂を1時間登らなければならない。

ソババッケはむかしソバ畑だったらしい。それがナマっての名前の由来である。昔の人は、このような山奥にまで畑をつくり、貧しさとたたかっていたのだ。感慨ぶかい。去年の土石流で荒れてしまったものの、いまでも紅葉の絶景ポイントである。

紅葉を愛でるのに、やはり太陽の光はかかせない。くもりでも紅葉狩りはできるだろう。が、日の光をあびて輝く紅葉は格別だ。葉がキラキラ輝くと、心もキラキラする。

太陽の光があるということは、青空もあるということだ。曇天のグレーとでは紅葉がひきたたない。晴天と紅葉のコントラストが美しい。雲の白、空の青、紅葉の赤、黄葉の黄、4色の配合がまことに絶妙で、美しい。

感動で血流がよくなったせいか、左足首の痛みも遠慮して襲ってこなかった。

2021年11月11日木曜日

九重山黒岳原生林の紅葉狩り(1)

 


 ことしも福岡県中小企業家同友会・筑紫支部のメンバーで、九重山黒岳の原生林へ紅葉狩りにでかけた。毎年この時期におこなわれる恒例行事である。

3週間ほどまえ、MRさんから計画をたのまれ、日程調整していたら、この日になった。前年は1週間早かったので、紅葉には遅いかなと思いつつ呼びかけた。参加は75歳のMKさんを最高齢とする11人である。自分も75歳まで元気に山歩きをしたいものだ。

11月7日(日)午前6時、わが事務所に集合、3台の車に分乗して出発。山は朝夕が美しい。早起きは必須だ。途中日の出を愛でながら、8時半ころには男池園地の駐車場についた。

九重山は、久住山を本峰、中岳を最高峰とする連峰である。九重と表記するのはそのためだ。黒岳はその北東に位置する。

長者原からは、由布院方面へむかい、飯田高原の交差点を右折して、細い道をくねくれと30分ほど入ったところに登山口がある。

やや肌寒い。ドウダンツツジが真っ赤に紅葉している。清掃協力金100円を支払い、園地に入る。

黒岳の頂上をめざさず、麓の原生林をめぐる散策である。散策といっても高低差があり、岩ゴロゴロの登山道ということで、ガッツリ散策と呼ぶ。目的地は風穴である。風穴は大きな岩が積み重なり、空洞を形成しているところである。

九重の山々はほとんど人の手が入り、岩場か草原になっている。しかし、黒岳は珍しく人の手が入らず、原生林のままとなっている。樹齢数百年と思われる古木の森である。

そのせいで、九重の山々はだいたい赤茶けているのに、黒岳だけは遠目に黒く見える。そのため黒岳と呼ばれる。

原生林のシンボル的存在が入口ちかくにあるケヤキの巨木だ。5人ぐらいで手をつながないと幹回りを囲えない。タコのような怪異な姿でもあり、美しくもある。神社にあれば、ご神木まちがいない。

老ケヤキは岩を抱いている(写真右手)。その他の木々も岩を掴んでいるものが少なくない。樹と岩が仲良しな森である。

黒岳は若い山で風化が進んでおらず、岩がゴロゴロ積み重なってできている。将棋の駒を積み重ねて山にしたようなイメージ。雨が降っても水はけがよく、すぐに染み入ってしまい、谷川となって流れない。沢は枯れている。

その代わり、雨水は伏流し、男池に湧出している。地中からでてくるとは思えない透明な水がつぎつぎと湧いてくる。男女共同参画社会に逆行する男池の名前の由来だろう。1日2万トンという。

硬度が低く、さっぱりした味で、名水百選に選ばれている。この湧水を味わうだけでも感動ものだ。心も洗われる。

当たり前じゃないか!

 ちくし法律事務所ブログ: 100万回死んだねこ (chikushi-lo.jp)


U先生の「100万回死んだねこ」のブログを見ていたら、しょうもないことを思いつきました。

思いついたら、言いたい。漱石先生と読者のみなさま、先に謝っておきます、すみません。


わが肺は2個である。


富永

2021年11月10日水曜日

し~ず・うみ法律講座「災害時の法律問題」

 


し~ず・うみ(福岡県糟屋郡宇美町平和1丁目14番1号)で、「災害時の法律問題」と題して法律講座をさせていただきました。


午後7時からと遅い時間での開催にもかかわらず、熱心に受講していただきました。

ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。


さて、今回の講座でもっとも分かりにくくて好評だった、下の絵は何のイラストでしょう?

ヒントは、「被災して債務が返せない。さあ何が心配?」




富永


『日はまた昇る』


  ヘミングウェイの『日はまた昇る』(高見浩訳・新潮文庫)2回目を読み終えた。反芻読書の実践である。以前は1回読めば、ほぼ理解できると思っていた。しかし最近は1回読んだくらいでは、ほとんど理解できないと思うようになった。

むろん、できる人もいるだろう。法曹を養成する司法研修所には優秀な人が集まっていた。東大や京大をでて司法試験に受かったのだから、あたりまえにも思える。しかし、そのなかにもやはりレベルに歴然たる差がある。

研修所での教育は、一般的・抽象的な法規範を個別・具体的な事実関係にあてはめる訓練を中心としていた。過去に起きた実際の事件の記録からプライバシー情報を抜き取った記録(白表紙と呼ばれた。)が配付される。それを読んで、事案を分析、事実上・法律上の問題を抽出し、自説を述べて小論文を完成させる。それを半日でやらされた。

われわれというか、自分は、白表紙を1回読んで薄ぼんやりと事案を把握、2回読んでようやく問題点がぼんやりと分かるというかんじだった。しかし、Kくんは違った。さーっと1回読んだら、問題点を的確に分析・指摘できたのである。

KくんはT大を現役で合格していた。学生時代は先生がたの論文を読んでいたそうである(そしてヨーロッパをバッグパックで歩いたそうである。)。そのせいか、われわれが知っている受験知識は乏しかった。

が、白表紙を読みこなす分析能力は格段に優れていた。裁判官になり、いきなり内閣官房に入れられた。その後もエリートコースを歩んだ。

話が脱線してしまった。Kくんならともかく、われわれ凡人は1度読んだくらいでは、小説は読み解けないと思う。自分の能力というか、その限界をそのように正確に把握できるようになったことが、この間の進歩といえるかもしれない。

(以下、ネタバレ)

 『日はまた昇る』は、6人の男女の愛憎劇である。女性1人に男性5人のアンバランス。女性はブレット、いわゆるファムファタル。運命の女性であり、男たちを破滅させる存在である。

男性側はブレットを中心にして、「ぼく」(ブレットの元恋人)、ぼくの友だち(ぼくの釣友だちのアメリカ人、ブレットを気にいっている)、ブレットの婚約者(破産手続中のイギリス人)、ブレットと最近交渉をもった彼氏(元ボクサーでユダヤ人)、新進気鋭の若き闘牛士(物語終盤、ブレットの彼氏となる)である。

「ぼく」らは、第一次大戦後心に深い傷を負って、パリで自堕落な生活を送っていたところ、スペイン旅行へ行き、釣や闘牛を通して、そこから回復していく(日はまた昇る)。

闘牛というお祭りの盛り上がりを背景に、物語も盛り上がっていく。闘牛は、日本の祭りと同じで、本来は神事のようだ。そのお祀りの周りに、お祭り(フィエスタ)が発生し、その目玉が闘牛という構造になっている。

岸和田出身のわれらに照らして言えば、だんじり祭りのようなものだ。その際に、一人の女子をめぐって、複数の男子が恋をして告り、誰が勝者となったのかという、どこかで聞いたようなプロットである。そうなると、われわれとヘミングウェイの違いは、このような素材にあるのではなく、構想力、筆力にあるということである。そうなのか。

闘牛は、一言で言えば、強い雄牛を闘牛士が殺すドラマである。その雄牛の興奮をなだめるため、本番まで去勢牛があてがわれる。

また闘牛士にも2つのタイプがある。牛の角のすれすれまで体をさらして、生と死のギリギリの線で魅せるタイプと、派手な装飾でそれっぽく見せるタイプである。新進気鋭の闘牛士は前者である。

そして、ヘミングウェイの作家としてのあり方や文体も前者である。派手な装飾で読者をあざむくあり方と決別し、そういう作家たちを非難してもいるのだろう。

フィエスタは、闘牛に出場する雄牛を中心としてグルグルと展開する。そういう意味でのこの小説の中心は、「ぼく」ではなくブレットのようだ。

まわりの男性陣は、あるいは、去勢牛のようにふるまい、あるいは、欺瞞的な闘牛士のようにふるまい、あるいは、正統派闘牛士として振る舞う。

1回目はストーリーを追うことに手一杯。2回目を読んで、このような楽しい読みをすることができた。本はまた読める。