翌日、宇奈月温泉駅から富山地方鉄道に乗り、新黒部駅まで。車両は黄と緑のツートンカラー、「かぼちゃ電車」と呼ばれている。
新黒部からは歩いて黒部宇奈月温泉駅へ。そこから北陸新幹線に乗り、糸魚川へ。途中、黒部川を渡る。この上流の山あいが宇奈月温泉だ。
芭蕉がここを通ったころはいまのように河川整備がなされていない。扇状地に多数の川が分流していて、旅人は難渋したようだ。『おくのほそ道』越中路にいわく。
黒部四十八が瀬とかや、数知らぬ川を渡りて・・・
反対側は日本海。北から冷たい寒気が入り込み、日本海気候に特有などんよりとした雲が垂れ込めている。
糸魚川駅アルプス口(南口)の2F窓からの眺望。駅のコンセプトは「日本海と北アルプスに抱かれた、雄大な自然を感じさせる駅」。頚城山塊と北アルプス北部が雄大に広がっている。
南東側に頚城山塊。右側に雨飾山、左手に焼山や火打山。雪をかぶっている。
南西側に北アルプス北部。奥の雪山は小蓮華山あたりが見えていると思う。
山々が呼んでいたが、我慢した。
糸魚川からは、その名も日本海ひすいライン(えちごトキめき鉄道)という三セク鉄道で、隣のえちご押上ひすい海岸駅をめざす。
駅からすこし歩くとヒスイ海岸に着く。看板に描かれている女性は、古事記に登場する越の国の奴奈川姫(ぬなかわひめ)。
ヒスイ(硬・軟あるが)は玉石混淆というときの玉のことである。勾玉(まがたま)の原料になった。故宮博物館で有名な翠玉白菜もヒスイである。飛ぶ宝石と呼ばれるカワセミは翡翠と書く。
糸魚川のヒスイは5億2000万年前に生成した。5億2000万年前となると、日本列島が大陸の端にあったころだ。太平洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むなかで生成されたという。蛇紋岩の浮力を利用して地表ちかくまで浮上し、北アルプスの風化・浸食にともない露頭した。
露頭した場所は、糸魚川市内を流れる姫川の上流である。ヒスイ峡という。ヒスイ海岸で拾うことができるヒスイはヒスイ峡に発し、姫川が運んだものである。その意味で、ヒスイは奴奈川姫(川)がもたらしたという伝承は正しい。
糸魚川のヒスイ文化は数奇な運命をたどった。まさにヒスイロマンである。
その発祥は7000年前縄文時代にさかのぼる。世界最古である。ところが奈良時代以降、この文化は衰退し、その記憶は失われた。その後、ヒスイはどこか遠く異国からもたらされたものと長く信じられた。
1935年(昭和10年)、1200年の時を隔てて、糸魚川でヒスイが再発見された。科学的分析の結果、縄文時代以降に日本で利用されたヒスイはすべて糸魚川産であることが明らかになった。2016年、日本鉱物学会はヒスイを「国石」として選定した。
なお、海岸で拾うより、姫川やヒスイ峡で収集するほうが効率的であるが、それは禁止されているらしい。
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