北陸路~越後路を旅した。小松までは空旅である。日ごろのおこないのせいだろうか、空は小雨模様。
福岡~小松の人的・物的交流の大きさ(小ささ?)を反映して、飛行機はプロペラ機である。
座席はプロペラの真横である。自分のすぐ横で大きなプロペラがブンブンうなっているのは、あまり気持ちのよいものではない。が、空旅が大好きなので、窓から乗りださんばかりにして景色を堪能した。
いつものとおり、離陸してまずは南へ向かい、筑後川・久留米上空で大きく東に旋回。この日は雲に覆われて、筑後平野も筑後川も見えなかった。
中央に白く輝くのは別府湾。雲のあいまから、かろうじて見ることができた。
雲間から見える中国山地は、どこもおなじに見えて、どこを飛んでいるか判然としなかった。
ただひとつ言えるのは、谷間に雲がたまりやすい地形だということである。雲に浮かび「天空の城」と呼ばれて人気の竹田城や備中松山城はこうした地形のたまものであろう。
中国山地を抜けて若狭湾上空。陽光を反射して平らかな海面と、もこもことした雲のコントラストが美しい。
手前の島は雄島だろうか。そうすると、向こうの半島の突端は東尋坊、塔は東尋坊タワーであろう。松本清張『ゼロの焦点』の舞台。広末涼子主演の映画が脳裏をよぎる。さいきんの事件のことも。
ここがどこかわかる人は少ないだろう。大聖寺川の河口。2つの名所がある。
右手の水面は北潟湖であるが、その中央に橋がかかっている。その向こうに吉崎御坊跡がある。吉崎御坊は、蓮如が本願寺系浄土真宗の布教拠点として建立したところ。
橋のこっち側は芦原ゴルフクラブであるが、その一画には汐越しの松がある。
芭蕉も『おくのほそ道』の旅で、ここを尋ねている。おくのほそ道というぐらいだから、奥州だけの旅と誤解している向きも多い。
しかし、山形からは越後路を通って北陸路に至り、そこから岐阜県大垣までの旅が描かれている。正確にいえば『おくとほくろくの旅』なのである。汐越しの松の段を引用しよう。
越前の境、吉崎の入江を舟に棹して、汐越しの松を尋ぬ。
よもすがら嵐に波を運ばせて
月を垂れたる汐越の松 西行
この一首にて数景尽きたり。もし一辨を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。
北潟湖の奥(右奥)には芦原温泉がある。左手、大聖寺川の上流にはむろん大聖寺の町がある。芭蕉はここも訪ねている。
大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊まる。なほ加賀の地なり。
曽良も前の夜この寺に泊まりて、
よもすがら秋風聞くや裏の山
と残す。一夜の隔て、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮に臥せば、・・・。
大聖寺川をさらにさかのぼれば、山中温泉である。芭蕉はここも訪ねている。
温泉に浴す。その効有馬に次ぐといふ。
山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ・・・
中央は柴山潟。その右手は片山津温泉街である。司法研修所25周年で泊まった。なつかしい。
翌日はみなとの別れもそこそこに室堂へ移動し、初めて劔岳に登ったのである。
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