土曜日は大濠能楽堂で観能。日本全国能楽きゃらばん 観世流 特別講演。
演目は、能「土蜘蛛」(つちぐも)、狂言「粟田口」ほか。
能はもともと将軍や高級官僚が聴衆だったので、むずかしい。高尚である。庶民を聴衆として発達した歌舞伎や文楽とはちがう。
現代でも理解者・支援者がすくないのが実情。そのため相撲にあやかり、全国きゃらばんを行い、理解者・支援者の輪をひろげようとされているのだろう。
観世流というのは主役であるシテ方の流派の一つ。シテ方だけでも五流が伝わる。芸能として難しく、理解者・支援者がすくないのに、五流も伝わるというのは関係者の並々ならぬ努力のたまものだろう。
土蜘蛛は、みなさんもハイライトだけはテレビでみたこともあるだろう。土蜘蛛が手から蜘蛛の糸をクリスマスのクラッカーのように繰り出す、あれである。
冒頭、源頼光が脇息にもたれて伏せっている。頼光は平安時代の武将で、摂津源氏の3代目(ライコウとも読む。)。大江山の鬼退治で知られる。
大江山は京から遠く、魑魅魍魎が跋扈する世界である。百人一首、小式部内侍の和歌でご存じだろう。
大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立
みなさんは「からつくんち」に行かれたことがあるだろうか。唐津で11月初旬におこなわれる。14台の曳山をひいて街中を練り歩く。
その11番目が「酒呑童子と源頼光の兜」である。頼光が酒呑童子という鬼の首を切ったところ、首は宙を飛び、頼光の兜にかぶりついたという。類をみない意匠。曳山が近づいてくるとド迫力。
武名たかき頼光であるが、本作では土蜘蛛の毒気にあてられたのか、病に伏せり、土蜘蛛の化身の襲撃を受ける。
土蜘蛛を退治するのは頼光自身ではなく、その家来である独武者(ひとりむしゃ)である。独武者と呼ばれるが、一人ではない。ややこしい。昔は一人だったのかもしれない。
しかも能の主役(シテ)は独武者ではない。土蜘蛛である。ここが能のミソ。異界の者が主役なのである。
現代人のわれわれは、等身大の主人公に感情移入することにより物語の世界に入っていく。現代であればラスボスが主役なのである。ここも能にとりつきにくい理由の一つだろう。
平安時代の土蜘蛛は、大江山の酒呑童子とおなじく、実際は山賊の類いかもしれない。土蜘蛛のアジトは大江山ではなく葛城山である。
しかし土蜘蛛という言葉じたいは古く、古事記にでてくる。そこではヤマト王権が全国を支配する際、恭順しなかった各地の土豪がそのように呼ばれている。
かく言うと他人事のようだが、われらが九州でいえばクマソタケルがそうである。筑紫君磐井などもそうだろう。時の政府の言うことを聞かない連中を土蜘蛛と呼ぶのであれば、国賠裁判を提起する弁護士だってその類いかもしれない。あはは。
ともあれ、最後は紙吹雪ならぬ糸吹雪で大団円。吹雪はきらいだが、紙ならば楽しめる。
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