さいきんの読書といえば芭蕉、プルースト、ジョイスをローテーションで耽読しているのだが、久しぶりに一般書『日本の高山植物 どうやって生きているの?』(工藤岳著・光文社新書)を読んだ。
ジュンク堂でパラパラと立ち読みしていたら、ヒサゴ沼の美しい写真がでてきた。それで思わず購入した。ヒサゴ沼は北海道大雪山からトムラウシ山までの縦走路の途中にある指定キャンプ地である。
日本百名山のなかで、どこが一番よかったですか?よく訊かれる質問だけれども、さいきんでは大雪山~トムラウシ山の縦走が一番と答えるようにしている。2泊3日の縦走が天候の影響もありそれなりに困難で挑戦的であるし、高山植物が豊かでヒグマがあちこちで徘徊しているから。
ヒサゴ沼は静寂のなか、ナキウサギの鳴き声がどこからともなくキュッ、キュッと聞こえてくる。筆者の工藤岳氏は北海道大学地球環境科学研究院の准教授。彼のフィールドワークの拠点がヒサゴ沼なのだ。
もう30年以上も大雪山にかよい、高山植物の生態を研究しているのだそう。多雪、強風、極寒、乾燥など厳しい冬が長く、2ヶ月ほどの短い夏。このような過酷な環境で、高山植物たちはどうやって生きているのか?どうやって命をつないでいるのか?あざやかな回答の数々。
ばくぜんと理解していたことどうしが、うまくつながる感じがすごい。植物は植物だけで生きているわけではない。われわれがばくぜんと理解しているように、蝶だけが受粉の手助けをしているわけでもない。
実際にはハエやハチが受粉の手助けをしている。ハチはマルハナバチだ(マルハナバチはプルーストの『失われた時を求めて』の「ソドムとゴモラ」冒頭にでてくる。いつもの読書ともつながる。)。高山植物はかれら昆虫と緊密な生態系を維持しながら生存している。
高山植物は短い夏の間に命をつないでいかなければならない。そのため自家受粉しているのかと思いきや他家受粉しているらしい。そのほうが激変する環境に強い種となるからだ。そうなると、昆虫たちなしではうまく受粉できない。風だけがたよりではあまりにも心許ない。
筆者の30年の研究生活のなかで、やはり分子生物学の進歩の成果がはなばなしい。(いまから考えれば)むかしは形態が似ているとかザックリした研究だった。しかしいまはちがう。DNAレベルで類縁関係がわかるのだ。
それによれば、北海道の高山植物たちと中部山岳(日本アルプス)地帯におけるそれらとでは出自が違う。高山植物は氷河期の生き残り。かれら彼女らは北方からやってきたとはいわれていた。シベリアなどに同種の植物がいるからだ。
しかし、北海道の高山植物はベーリング海・千島列島に沿って、中部山岳地帯のものはシベリア・サハリン経由で来たらしい。前者は「エゾ」なんとかという名前で、後者とはすこし違う種であることは意識されていた。しかし、それほど出身地が離れているとは知らなかった。
こうして厳しい環境のなか生存戦略を進化させてきた高山植物たちだが、いま危機にさらされている。地球温暖化の影響だ。短い夏が早くやってき、花が咲いているときにはハチたちがまだ活動しておらず、逆の事態にもなる。ハチたちが絶滅すれば、花も生きてはいけない。なんとかしなくては。
人生やり直すことができるなら、北大に入り、このようなフィールドワークをするのもいいと思える一冊だ。(隣の芝生は青い、ならぬ、隣のフィールドは広い)
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