2012年2月21日火曜日

災害の記憶



 (雲仙・普賢岳)

 雲仙普賢岳の大火砕流が発生したのは
 1991(平成3)年6月3日。

 私が弁護士5年目。
 20年余も前のことになってしまいました。

 取材に当たっていた報道関係者16名、そのタクシー運転手4名
 火山学者ら4名,警戒に当たっていた消防団員12名、警察官2名

 ほか6名の合わせて死者行方不明者43名
 と9名の負傷者を出す大惨事となりました。

 雲仙普賢岳の火山活動という天災が背景にありますが
 避難勧告区域中で無理な取材をつづけた人災でもありました。

 火山活動は、1989(平成元)年11月からの
 橘湾群発地震に始まり

 1990(平成2年)11月に噴火してから
 噴煙活動が観測されました。

 いったんはおさまるかに思えたものの
 1991(平成3)年2月に再噴火。

 降り積もった火山灰などによる土石流が発生するようになり
 6月3日の大火砕流となりました。

 そもそも雲仙では1792(寛政4)年に,島原大変肥後迷惑と呼ばれる
 死者、行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害が。

 こうした経過からして,6月3日の大災害は,予見可能であったし
 回避可能だったと思われるのですが,人間のさがでしょうか。

 さて3・11がちかづいてきていますが,災害の記憶は
 しっかりと刻まれ,未来への教訓となっているでしょうか?

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