2012年2月1日水曜日

竈門岩 by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 宝満山にけっこう登っている人でも
 けっこう知らないのではないでしょうか?

 九合目の立標のちょい先を
 左に入ります。

 道標もわかりにくく
 道もはっきりしないため、見過ごしがち。

 足場の悪い道をすこし登るとあります。
 竈戸岩。

 写真のとおり「仙竈」と書かれており
 これもやはり博多聖福寺の仙涯さんによるもの。

 3つの巨岩が
 むかしのカマドの形をしています。

 さいきんは火力のつよいガスコンロが主流ですが
 すこしまえは薪をつかっていました。

 薪で煮炊きをしようとすれば、石をこのような形に組み
 その上に鍋をかける必要があります。

 八百万(やおよろず)の神に、かまどの神さまがいて
 火を使う場所に祀られます。

 火の神であるとともに
 農業や家畜、家族を守るともされます。

 竈→家庭料理→家族団らんとイメージはつながります。
 かまどの神さまが健在であれば孤食などとは無縁でしょうが。

 宝満山は別名、竈門山といわれますが
 この岩が名前の由来とも。

 もっとも福岡藩の儒者・貝原益軒は
 竈門山の由来について他説を主張(『筑前国風土記』)。

  「山上にいつも雲霧がかかり
  竈で煮炊きしているように見えるので」

 この説もあなどれず
 『拾遺和歌集』にこんな歌が。

   春はもえ 秋はこかるる かまと山
   
         かすみも霧も けふりとそ見る

                       元輔

 詞書によると、元輔が筑紫へ下り
 竈門山の麓に宿泊したおりのこと。

 道ばたの木に「春はもえ…」と書き付けてあったのを見て
 下の句をつけたとか。

 元輔は清少納言の父・清原元輔だそう。
 肥後守として赴任した際のことでしょうか。

 竈門神社から左手の坂をくだると
 九州登山情報センターがあります。
 
 そこからとちょっと車道をのぼると
 宝満山登山口。鳥居が建っています。

 ふつうはすぐに登りはじめるのですが
 もう5メートルほど車道をのぼります。

 すると右手に歌碑があり
 元輔の歌が書かれています。
 
 竈門岩に戻ってお隣には
 亀の頭を乗せたような巨岩「亀岩」が。

 子孫繁栄と長寿を祈りましょう。
 左手からぐるっとまわって登ることもできます。

 また竈門岩から少しくだったところに
 「益影の井」があります。

 手前の説明板に
 こういう解説が。

  宝満山中には、五所秘水といって、霊水が湧き出る泉があり
  その中で一番神聖な泉が益影の井です。

  筑前国族風土記に「人がこの水に影を写すと、老顔も<益々>
  若く少壮の如く写るので益影の井と名付けられた」と

  また「応神天皇が粕屋郡宇美町で御誕生の折に
  この水をわかして産湯にされた」など

  その外、雨乞いの祈祷水など
  昔より信仰と伝説に富んだ霊験あらたな若返りの泉であります。

 この水をわかした場所が
 竈門岩だとか。ほんとうでしょうか?

 ま、そういうこともあってか、竈門神社には玉依姫のほか
 神功皇后と応神天皇も祀られています。

 神功皇后が宇美町で応神天皇を産み(ウミ)
 志免町でおしめ(シメ)を換えたのだとか。

 縁むすび、安産、子育て、調理、家内安全、若返り
 婚活だけでなく婚後の幸せまで一式そろっています。

               ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

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