2010年9月29日水曜日

 最後の恋のはじめ方



 ウイル・スミスの「最後の恋のはじめ方」のDVDを子どもが借りてきたのでいっしょに観ました。

 ウイル・スミスは恋に不なれな男性にくどき方やデートのやり方を指南するコンサルタント。彼がゴシップ記者のサラ・ミラスに恋をしてしまうことから、最後の恋がはじまるというストーリー。
 サラ・ミラス(エヴァ・メンデス)がセクシーで可愛い。

 ウイル・スミスが顧客にアドバイスするなか、コミュニケーションはボディ・ランゲージが6割、声の調子が3割云々といったくだりがあります。
 「メラビアンの法則」と呼ばれているものです(これも共育委員会でおしえてもらいました)。
 これによると言語情報のはたす役割は7%にすぎません。

 メラビアンの法則は裁判官の間であまり知られていないか、実務上顧慮されていないように思います。
 その結果、実際には7%の働きしかしていない言語情報が過度に重視されることになります。

 民事訴訟法は口頭主義(審理を口頭によっておこなう原則)、直接主義(事実認定のための証拠の取調べ等を裁判官自身がおこなう原則)を採用しています。
 しかし裁判官の交代や上訴などのばあい、その例外となります。
 あとから関与する裁判官は証言調書に残された言語情報のみに依存することになります。
 法廷における証人の驚愕、動揺や困惑した表情などは証言調書に残らないからです(むろん、そうした情報についても調書に残す努力はするものの限界があるところです)。

 かつて依頼人が手形を騙しとられた事件がありました。
 詐欺による手形債務は取り消すことができます(民法96条)。
 「約束は守ろう」という原則の例外のひとつ。
 でも、こういう詐欺師vs被害者型の事件はどれもそうですが、契約書などの重要な証拠は詐欺師側がにぎっていて、騙された側にはそのような証拠は残りません。
 こちらは情況証拠のつみかさねにより、相手の詐欺と嘘をあばいていくことになります。
 クライマックスは相手方の証人尋問です。
 反対尋問で相手方を追いつめ、多くの矛盾点で立ち往生させました。
 その結果、その証言を直接法廷で見聞した裁判官が判断した一審では快勝しました。

 ハリウッドの映画でしたら、これでめでたしめでたし。
 ですが本件は控訴され、調書を読んだだけの高裁裁判官により逆転敗訴させられました(新たな主張・証拠は提出されていません)。

 にがい記憶です。
 とはいえ、慎重・公正な判断を目的とする三審制を否定するわけにはいかないし。
 ウイル・スミスに依頼して指南してもらうしかないでしょうね。
 (ついでに私も指南してもらいたい。)

 
 ※当事務所は明日30日(木)から2日(土)まで研修のためお休みをいただき、当ブログも更新できません。ご了承くださいませ。

                                              やま

2010年9月28日火曜日

 武富士、更正法申請



 武富士が会社更正法を申請。
 感慨ひとしおです。

 私が弁護士になったのは1986(昭和61)年。
 その3年前に貸金業規制法制定・出資法改正がなされ、過剰貸付および誇大広告の禁止、上限金利の段階的な引下げ、取立行為の規制などが実施されていたものの、なおサラ金による意識的な過剰貸付、暴力的な取立、高金利が横行していました。

 法律事務所に債務整理の相談にみえられる方も、サラ金業者に追い込みをかけられて自殺か夜逃げ寸前という状態でした。
 その年の夏に四国旅行へ行ったとき、松山の空港でサラ金の看板が林立しているのを見て、抱えていた事件の依頼人の顔がつぎつぎに浮かび、せっかくの旅行気分がふっとんだことを鮮明に記憶しています。
 しばらくは暴力的な取立に対する喧嘩ごしの交渉がつづきました。
 
 ある時期サラ金大手が相次いで上場し、ある会社の担当者などわざわざ電話してきて「これまで色々とご迷惑をおかけしてきましたが、うちも上場することになったので、これからは紳士的にやらせてもらいます。」などと言っていました。

 このころから、大手による暴力的な請求はたしかになくなりました。しかし、過剰融資や高利の問題がなくなったわけではありません。
 犯罪にはあたらないけれども、利息制限法には違反(グレーゾーン金利)した貸付はそのままでした。

 サラ金大手各社が派手なテレビCMを常時放映し、高株価がつづくといった状況がつづきました。それまで駅前に店舗を構えていたテナントがつぎつぎと廃業に追い込まれるなか、サラ金の店舗ばかりが看板を連ねていました。
 利息制限法に違反した「高利貸し」という業態(コンプライアンス無視のビジネスモデル)がこれほど栄えた時代はやはり異常というほかありません。

 転機となったのは、06(平成18)年の最高裁判決。
 グレーゾーン金利は無効と断じました。
 
 最高裁が依拠したのはもちろん利息制限法。
 その1条はつぎのとおり定めています。

 金銭を目的とする消費貸借における利息の契約は、その利息が次の各号に掲げる場合に応じ当該各号に定める利率により計算した金額を超えるときは、その超過部分について、無効とする。
 1 元本の額が10万円未満の場合 年2割
 2 元本の額が10万円以上100万円未満の場合 年1割8分
 3 元本の額が100万円以上の場合 年1割5分

 このわずか1条の条文が武富士を更正法申請に追い込んだわけです。
 ゴリアテをたおしたダビデのように。 

                                              やま 

2010年9月27日月曜日

 人生の選択



 朝日新聞で「あなたの安心」という連載をやっていて、いまのテーマは「50代になったら」。

 再雇用を目指すなら?という局面にしぼったアドバイスとして書かれているものの、年代を問わず、人生のあらゆる局面、あらゆる選択に通用するように思えます。
 紹介してみます。


 50代になったら、「自分みつめる作業が必要」。
 「どんな選択をするにしても、50代のうちに『自分』を徹底的に把握する作業を」。

 ①キャリアを書き出し整理
 キャリアの「棚卸し」は入念に。
 入社以来の職務経歴を、当時の「やりがい」も添えて書き出す。
 次に、この先のキャリアで「したいこと、できること、やらなければいけないこと」の順番で思いを書く。
 親の面倒やローン返済など「やらなければ」を先に考えると、選択肢が狭まる。まずは制約を取り払い、自分の本音をつかんでみる。

 ②譲れない価値観をつかむ
 今度は、大切にしたい「価値観」を書き出し、順位をつける。名誉、お金、家族…。
 「仕事内容が最も大事」と言って転職活動を始めたものの、面談で週末出勤が多いと聞かされ、いまの自分は「ゆとり」を求めていることに気づいた、という人も多いという。
 価値観は自分の判断基準のよりどころだ。

 ③自分を動かす動機を知る。
 最後に、「なぜいま、この会社で、この仕事をしているのか」と自分に問いかけ、答えを言葉に出してみる。
 「仕事への誇り」が正解ではない。「人間関係に満足」でも「給料のため」でも何でもよく、言葉に出せるかどうかが大事。言語化されたものが内に潜む意識で、自分を動かす「動機」という。


 いかが?
 離婚相談にみえた妻、あるいは夫。少年鑑別所における少年。それぞれの人生の岐路に立つ依頼人に、われわれは選択肢を示しアドバイスをしなければなりません。
 やはり同じような観点から、それぞれの人生の選択をお手伝いしているように思います。

 他方で、V.フランクルのいうところの人生の呼びかけに応えるという観点に立つ選択もあります。
 「自分は人生や世界から何を期待されているか、自分が世界にたいして何をなし得るかという観点に立つ」
 「この観点に立ったときにはじめて、人は人生の意味を見出すことができる」
 というわけです。

 自身の人生をふりかえると、後者のような観点に立った選択のほうが多かったようにも思います。

                                              やま

2010年9月26日日曜日

 世の人の見つけぬ花




         世の人の見つけぬ花や軒の栗

                           芭蕉

2010年9月25日土曜日

 商人しぐさ



 福岡県中小企業家同友会の共育委員会で「江戸しぐさ」についておしえてもらったことがあります。

 江戸しぐさは、江戸町方の商人道、生活哲学・道。
 雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと(傘かしげ)、たとえば相手に自分の足を踏まれたときに「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで場の雰囲気を保つこと(うかつあやまり)など。
 現代の世相にかんがみ、江戸人の知恵を今にいかそうというお話しでした。

 最近、建築会社どうしの紛争解決を手がけました。
 依頼人の会社の数量計算ミスにより発注会社に損害が発生したとされ、その賠償を求められた事件です。
 請求額は代金の6倍以上でした。
 
 以前であれば不問にふされたようなミスなのに、時勢がら発注会社も元請けから賠償を求められ、下請けにまで賠償を求めることになったとか。
 建築業界においても、江戸しぐさが衰退しつつあるということでしょう。

 当方は、商法526条の「買主による目的物の検査及び通知義務」という、あまり日ごろ使わない条文を根拠に応戦しました。
 
 商人間の売買において、売主は、その売買の目的物を受領したときは、遅滞なく、その物を検査しなければならない(1項)。

 前項の規定する場合において、買主は、同項の規定による検査により…その数量に不足があることを発見したときは、直ちに売主に対してその旨の通知を発しなければ、…数量の不足を理由として…損害賠償の請求をすることができない(2項)。

 残念ながら、現在の日本の商法は江戸しぐさに由来するものではありません。
 が、売主だけでなく買主にも応分の「しぐさ」を求める考え方は、商人道としてあい通ずるところがあるようです。

 交渉の結果、当方が代金相当額をおかえしして(損害賠償はしないで)解決することになりました。

 示談書の差しかわしがすんだあと、相手方の担当者から「こちらに遺恨はありません。(私の依頼人に)よろしくお伝えください。」との言葉をいただきました。
 相手方にとっては必ずしも満足な結果ではなかったと思います。それでもこのような商人しぐさ、厳しいご時勢においてはなおさら必要であろうと思います。

                                              やま

2010年9月24日金曜日

 称名は大行なり

(写真①)

(写真②)

(写真③)


 薬師岳にのぼる前日、立山の称名滝を散策しました(写真①)。

 称名滝は、日本一の落差を誇り(350メートル)、名勝・天然記念物。日本の滝百選のひとつ。
 称名川が弥陀ケ原の台地をV字状に浸食してできたもので、称名川は立山直下に源流を発しています(写真②)。 

 称名とは、仏・菩薩の名を称えること。
 立山が阿弥陀浄土として信仰を集めている以上、ここでの名号は南無阿弥陀仏。
 南無阿弥陀仏を称えることにより浄土に至ることができるとされます。

 われわれは薬師如来の浄土である薬師岳に至ることができるよう、薬師如来の名も称えさせてもらいました。

 足もとをみると、花までが大行をおこなっていました(写真③)。

                                              やま

2010年9月23日木曜日

 窮するもまた楽しみ



 薬害肝炎事件などをずっといっしょにやってきた先輩ら7人で薬師岳にのぼりました。
 北アルプス初心者も数名いましたので、無理はできないなと思っていました。

 薬師岳山荘あたりから山頂へむかうと、あいにく横なぐりの雨と風。バチバチと音をたてて頬を打ち付ける雨粒は痛いほどで、強風は雨具を破きそうな勢い。
 だいじょうぶか?

 すると突然、先輩は「鷹の踊り」を舞いはじめました。
 ついに、おかしくなったかと心配したところ、大自然のふところに抱かれていることが楽しくてしょうがないとか。

 さすがです。
 おかげさまで、7人とも意気軒昂なまま無事生還できました。

                                             やま

2010年9月22日水曜日

 不変の愛を誓うとき




 クイズです。なんのことをいっているかわかりますか?

 その手順はとても簡単である。はじめに,ものをいくつかの山に分ける。もちろんその全体量によっては,一山でもよい。次のステップに必要な設備がないためどこか他の場所へ移動する場合を除いては,準備完了である。一度にたくさんしすぎないことが肝心である。多すぎるより,少なすぎる方がましだ。すぐにはこのことの大切さがわからないかもしれないが,めんどうなことになりかねない。そうしなければ,高くつくことにもなる。最初はこうした手順は複雑に思えるだろう。でも,それはすぐに生活の一部になってしまう。近い将来,この作業の必要性がなくなると予言できる人はいないだろう。その手順が終わったら,再び材料をいくつかの山に分ける。そして,それぞれ適切な場所に置く。それらはもう一度使用され,またこのすべてのサイクルが繰り返される。ともあれ,それは生活の一部である。(Bransford & Johnson,1972)

 こたえは「洗濯」。

 キー概念をあらかじめ把握していないと、だれもが知っていること(洗濯)であっても理解がむずかしい(とりわけ、さきに山の写真などみせられたときには、推理は別の方向へ行ってしまいます)。

 民法もそんな感じです。
 民法のキー概念は「約束は守ろう」。
 そのようにいわれれば、子どものころからいわれてきたことですからわかりますよね。
 ところが民法には「約束は守ろう」とはどこにも書いてありません。

 のっけから、「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。」「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」「権利の濫用は、これを許さない。」などと定められていて(第1編 総則、第1章 通則、第1条)、民法を学ぼうとする意欲をくじくしかけになっています。

 つづいて、「第2章 人」、「第3章 法人」、「第4章 物」と一般人を撃退する強固な砦がつづき、その後にようやく約束ごとにかかわる「第5章 法律行為」が登場します。

 しかし、そこでも民法は素直でありません。
 「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」(90条)、「相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。」(94条1項)、「意思表示は、法律行為の要素の錯誤があったときは、無効とする。」(95条本文)だとか、「詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。」(96条1項)などと規定しています。
 なにをいっているのかわかりますか?

 これらの定めは「約束を守らなくてもよいばあい」を列挙しています。
 じゃ約束を守らなくてもよいのかというとそうではない(ややこしい)。
 このようないくつかの例外をのぞいて「約束は守ろう」ということ。
 つまり、原則は「約束は守ろう」。
 そのように裏からいっているわけです(わかりにくい)。

 指きりげんまんの「指きり」は遊女が客に愛情の不変を誓う証として小指を切断したことに由来(「龍馬伝」でお元・蒼井優が内蔵太・桐谷健太に指きりをしなかったのは芸妓だったせいか?それとも?)。
 やがてこの「指きり」が一般にも広まり約束を必ず守る意味へと変化したとか。

 不変の愛を誓うとき「大洪水と大地震と惑星衝突…のばあいはちがうけど」とか言われても、愛は伝わりませんよね。
  
                                            やま

2010年9月21日火曜日

 恋とはなんと



「漫画がすきなの?」
 一緒に入った本屋の漫画コーナーで、少し歩調をゆるめた私に薫は聞いた。
 「ううん、たまに読むていど」
 さりげなく売場から離れた私の後を、薫は急いで追ってくる。薫は私の動作や視線にとても敏感だ。それだけ私のことを気にかけているということだろう。だがそれが恋のなせるわざなのだとしたら、恋とはなんと鬱陶しく中途半端なのか。どうせなら私が漫画を好きで、しかしそのことに触れてほしくないと思っていることまで察してくれればいいものを。

                (三浦しをん「秘密の花園」より那由多)


 結婚してからしょっちゅう女をつくっては家出を繰り返し、生活費もわたさない夫に対する離婚訴訟を引き受けました。
 よろこんで離婚に応じてくれると思いきや、家出には理由があるとして争われました。
 うーん、いつものことながら男女のあいだがらは分かりません。

                                   やま

2010年9月18日土曜日

 押尾学被告のつながり


 
 押尾学被告に保護責任者遺棄罪の実刑判決。
 死亡との間の因果関係は認めず、致死罪は不成立(一部無罪)。
 有名人に対する初の裁判員裁判として注目を集めました。

 保護責任者遺棄致死罪の成否を判断するには、刑法各論だけでも以下の3つの条文を踏まえる必要があります。
 
 老年者、幼年者、身体障害者または病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、またはその生存に必要な保護をしなかったときは、3月以上5年以下の懲役に処する(刑法218条)。

 その罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、思い刑により処断する(刑法219条)。

 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する(刑法205条)。

 保護責任者遺棄致死罪は結果的加重犯です。
 結果的加重犯とは、犯罪行為をなした際、予想していた以上の悪く重い結果を引き起こしてしまった場合に、その悪く重い結果についても罪に問い、より重く科刑する犯罪のことをいいいます。
 この場合でも、犯罪行為と死亡の結果との間につながり(因果関係)が必要です。

 同種事案における因果関係について、最高裁判決があります。
 「被害者の女性が、被告人らによって注射された覚せい剤のため錯乱状態に陥った午前0時半頃の時点において、直ちに救急医療を要請していれば、同女の救命は十中八、九可能であり、合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められるから、被告人がこのような措置をとることなく漫然同女をホテル客室に放置した行為(不作為)と午前2時15分頃から同4時頃までの間に同女が同室で覚せい剤による急性心不全のため死亡した結果との間には、因果関係が認められる」というものです(最決平1・12・15)。

 難しいことを言っているようですが要は、遺棄行為と死亡の結果との間のつながり(蓋然性)が80%以上必要であるということです。
 同じような状態の患者が100人病院に運び込まれて70人しか救命できないのであれば因果関係が切れるということです。
 刑事裁判にかぎられたことではなく、民事裁判においてもおなじようなハードルを越えることが要求されています。

 検察側の医師は80~90%助けられた、弁護側の医師は30%程度しか助けられないと見解が分かれたこともあり、本件では因果関係が否定されています(このような統計データがあるとも思えないので、それぞれの医師の経験に基づく見解だったのでしょうか?)。
 薬物事案だけを先に立件したという経緯にてらし、保護責任者遺棄致死での立件は困難と捜査当局も判断していたことがうかがわれることからしても、因果関係を認めることは困難だったのだろうと思います。

 男女のつながり(関係)を裁く場として法廷が適切であるとは思えません。が、他に適切な選択肢がないというのもほんとうです。

                                              やま

2010年9月17日金曜日

 わたしを離さないで



 ある医療機関の倫理審査会の委員をつとめさせていただいており、先日、審査会がありました。

 審査会に参加するたびに、スタッフのみなさんの医療レヴェル向上への熱意に頭がさがります。

 審査会は、臨床研究が倫理指針に適合しているかどうかを審査。
 私は、門外漢として医療スタッフのみなさんの熱意にできるだけ水をささないよう、でも患者(被験者)の人権も尊重されるよう「細き道」をとおって意見を述べています。

 「臨床研究に関する倫理指針」は、厚生労働省が03(平成15)年に定めたものです(04年と08年に全部改正)。
 その淵源は「ヘルシンキ宣言」。
 ナチスの人体実験に対する反省から、世界医師会総会で採択された人体実験に対する倫理規範です(1964年)。
 このなかに患者福利の尊重、インフォームド・コンセントの必要性、倫理審査会のことが定められています。

 ナチス・ドイツが数百万人といわれるユダヤ人等を大虐殺したこと(ホロコースト)は「シンドラーのリスト」などで知られるとおり。
 優れた生(民族、人種など)とそうでない生を差別することから(優生思想)、後者を大虐殺するだけでなく、人体実験、強制断種などもおこなったわけです。

 日本もひとごとではありません。731部隊による人体実験、ハンセン病療養所における強制断種・堕胎、九大病院における生体解剖事件などがすぐに思い浮かびます。731部隊は薬害エイズの原因企業であるミドリ十字の創設者・内藤良一らの出身部隊ですし、九大事件は「海と毒薬」(遠藤周作)の題材となっています。

 われわれはこれらと無縁でしょうか?

 先に紹介した「ひそやかな花園」(角田光代)の主人公・樹里は非配偶者間人工授精によりうまれた子。
 その母はドナー選択をしたときの気持ちを「私とあなたのパパは、クリニックで、さまざまな情報を見るうちに、よりいい学校を、よりいい容姿を、よりいい暮らしを、よいいい収入を、って気持ちになっちゃった。それが、生まれてくる子に対するせいいっぱいの善きことだと思いこんだ。」と述懐しています。

 「海と毒薬」の主人公・勝呂医師は集団心理(空気)に流されて自己の倫理観を手ばなし残虐な生体解剖に参加してしまいます。「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけた」とされます(山本健吉)。

 こうした「海と毒薬」に負けて患者(被験者)の手をはなすわけにはいかないなぁと思っています。それで、医療スタッフの方がたに煙たがられるのを自覚しながらも、愚見を申し上げている次第です。

                                              やま 

2010年9月16日木曜日

 空をながめると何かが



 僕は、この花園へ来るようになってから、ときどき、あおむいて木の間ごしに空をながめるんだ。
 そうするとまるで何かが僕の胸を押したり引っ張ったり、息を早くさせたりするかのように、妙にしあわせな気持ちになるんだ。


                          (「秘密の花園」よりコリン)

 

2010年9月15日水曜日

 菅直人首相、続投



 長かった民主党代表選は菅直人さんが制し、続投することに。つまり、内閣総理大臣(首相)も続けることになりました。

 このように政党の代表者と首相の地位が連動しているのは議院内閣制だから。
 議院内閣制は、権力分立の要請にもとづいて、行政権と立法権をいちおう分離したのちに、民主主義の要請にもとづいて、行政権を民主的にコントロールするために設けられる制度です。

 日本国憲法は、内閣総理大臣を国会が指名すること(67条)、内閣総理大臣及び他の国務大臣の過半数は国会議員であること(67、68条)、内閣は国会に対して連帯して責任を負うこと(66条3項)、内閣は衆議院の信任を必要とすること(69条、70条、71条)などを定め、議院内閣制を採用しています。
 
 内閣を支持する政党が強力な多数党のときは、内閣も強力で安定したものとなりますが、そうでなければ、強力な政治が望み得なくなるおそれがあります。
 にもかかわらず、多くの国で採用されているのは、長所が短所を補って余りあるとみなされるから(以上、清宮四郎・憲法Ⅰ)。

 参議院や民主党内の状況などを踏まえれば、菅首相が強いリーダーシップを発揮するのは重きを負うて遠き道を行くがごときことでしょう。しかし、課題も山積。薬害エイズ事件、ハンセン病事件、薬害肝炎事件のときに患者側に立って支援してくれたように、官僚にひきずられないで国民目線に立った政策実現を期待したいと思います。

 以下、250年以上の長期政権の基盤をつくった徳川家康の語録から参考になりそうなものを。

 
 人の一生は重きを負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。

 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え(イラ菅じゃダメ)。

 最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。

 
 うーん、さすが。
 

                                         やま 

2010年9月13日月曜日

 7年目の負債整理



 とても暑い夏休み、BSでマリリン・モンローの「お熱いのがお好き」をやっていました(お暑いのは苦手)。
 モンローは子どものころなんということはなかったのに、なかなかに魅力的でした。年は人の好みを変えるのでしょうか。 


 その暑い夏、7年越しの負債(借金)整理ができました。

 借主は行方不明。依頼人は連帯保証人で物上保証人。物上保証人とは不動産を担保として提供している人のことです。
 債権者は大手サラ金業者で、負債の残額は約250万円。
 依頼人は大病を患い働けない状態で、支払能力はゼロでした。

 担保となっている不動産は山間にあり市場性なし。でもこれを売って整理資金をつくりだすしかありません。
 当初、売却手数料などを差し引いてもいいように300万円くらいで売りに出しましたが売れません…。

 どんどん値を下げていき、一時、180万円くらいで買い手がつきました。「この値段でしか売れないので、残金は免除して。」と交渉しました。
 債権者は元本割れを認めず、残債務を分割で支払えとの態度でした。
 売買は流れました。時も流れました。

 (中略)

 そうこうしているうちに7年が過ぎました。
 見かねた関係者が100万円で土地を買ってもよいと申し出られました。180万円で整理できなかったものが100万円で整理できるのか?ダメもとで申しいれてみました。どういうわけか、決済がおりました!100万円を支払うだけで、利息・損害金はもとより残りの元金もすべて免除。こうして解決することができました。

 モンロー作品に「7年目の浮気」があります。7年たてば人の恋も冷める。法人にあっても冷静な判断ができるようになるのでしょうか?それとも暑さのせい?それともラッキー・セブン?
 ともあれ、よかった。
                                   やま

 元厚労省局長無罪と人質捜査



 村木元厚生労省局長に無罪。繰り返し報道されました。
 捜査の問題点は多岐にわたるでしょうが、ここでは人質捜査、人質裁判といわれていることに触れます。

 テレビを見ていると、村木さんは歩いて法廷へ入っていきます。保釈されているからです。
 保釈は裁判のあいだ被告人の身柄を自由にする制度。
 村木さんは5か月以上勾留されていました。起訴後何ヶ月も保釈が認められなかったわけです。

 裁判で有罪とされるまで被告人は無罪と推定されるのが大原則(憲法31条)。
 憲法は、逮捕も含む身体の拘束について、その理由と必要性を裁判所がチェックし、一時たりとも不当または違法な身柄拘束を禁止しています(33条、34条)。
 保釈も原則として許されなければなりません(刑事訴訟法89条)。

 しかし、村木さんのように否認したりすると簡単には認められません。
 人質捜査、人質裁判と呼ばれるゆえんです。
 「裁判になれば長くなる。」などと検察官が自白を強要する手段ともなっています。
 勾留制度を目的外に使用しているもので明らかに違法な運用です。
 が、なかなか改められてきませんでした。

 改善の兆しはあります。
 先日、大麻取締法違反事件で保釈申請をしたら認められました。
 検察官はこれに不服があるとして準抗告を申し立てました。
 これまでだと、準抗告審で保釈が取り消されることが少なくありませんでした。
 それがなんと検察官の準抗告は棄却され、保釈が維持されました!
 刑事弁護は国民のみなさんの理解が得られにくく、弁護人のモチベーションも湿りがち。
 ですが、少し元気がでました。

                                              やま
 

2010年9月12日日曜日

 薬害肝炎九州原告団総会



 薬害肝炎九州原告団の総会が大分で開催されました。国と基本合意(和解)を交わしてから3回目になります。

 闘病中のかたも参加されました。治療の結果ウイルスがマイナスになったとの報告も多数なされました。30歳で肝臓ガンを患い、その後数十年も移植を含む治療をつづけているとの報告にはみなが惜しみない拍手を送りました。
 まもなく移植にのぞむ仲間に、折りヅルをおり、寄せ書きをして励ましのエールを送りました。
 全国原告団代表の山口美智子さんも、裁判をして和解をすることが目的ではない、治療をして治ることが本当の目的だと繰り返し強調されました。ほんとうにそうです。

 専門医にかかることの必要性はいうまでもありません。でも、それだけでは足りない。患者どうし励ましあって長く困難な治療にいどむことも重要。そのことを再認識させられた総会でした。
 みなさんが一日も早く快癒されることを祈ってやみません。

                                             やま

2010年9月10日金曜日

 筑紫戒壇院



 私は高校までは関西で育ちました。奈良に行くときは必ず東大寺の戒壇院によって四天王像を拝し、端正な造形にそのつど感動していました。興福寺で阿修羅像を拝するのもいいですが、戒壇院にもよってみてください。おすすめします。

 弁護士になってからは筑紫の地で暮らすようになりました。なにかのご縁でしょうか、事務所のすぐちかく(太宰府)に戒壇院があります。戒壇院とは、奈良時代、出家者が正式の僧尼になるために必要な戒律を授ける施設。筑紫戒壇院とも呼ばれ、東大寺や下野薬師寺のそれとともに、三戒壇と呼ばれています。

 中学のとき、歴史を教えておられた牧野勝先生に「これくらい読んどったほうがええよ。」といわれて読んだのが「天平の甍」(井上靖)。栄叡ら若き日本の学僧らが唐の高僧・鑑真を招へいする苦難の物語。現在でいえば、サッカー日本代表の監督やハーヴァード大学の名物教授を招へいするようなレベルではなく、映画「アルマゲドン」でブルース・ウイルスらが命をかけて人々の生命を救うくらいのヒューマン・ストーリーです。


 たれも答えるものはなかった。すると鑑真は三度口を開いた。
 「法のためである。たとえびょう漫たるそう海が隔てようと生命を惜しむべきではあるまい。お前たちが行かないなら私が行くことにしよう。」(「天平の甍」より鑑真)

 
 鑑真は失明するほどの苦難のすえ6度目のチャレンジでようやく鹿児島に上陸し、太宰府を訪れ初の受戒をおこなったとされています。そうであれば、かなりのトリビア!(残念ながら、井上さんの「天平の甍」は太宰府を訪れことに触れるのみで、受戒の場面は記されていません)。

 ところで、現在、仏僧ならぬ法曹(裁判官、検察官、弁護士のこと)になるには、受戒ならぬロースクールを卒業し司法試験に合格しなければなりません。弁護士が都市部に集中していたことの弊害をあらためるためもあって制度改革がなされ、ロースクールが各地につくられました。しかし、先の司法試験の結果にみられるように、地域に根ざしたロースクールの苦戦が伝えられます。地域に根ざすことを志す法律家のひとりとして、残念なことです。奮起を期待したいと思います。

 
 「こうしたことを、いままで大勢の日本人が経験して来たということを考えている。そして何百、何千人の人間が海の底に沈んで行ったのだ。無事に生きて国の土を踏んだ者の方が少いかも知れぬ。一国の宗教でも学問でも、何時の時代でもこうして育って来たのだ。たくさんの犠牲に依って育まれて来たのだ。幸いに死なないですんだら勉強することだな」(「天平の甍」より栄叡)

                                               やま 

2010年9月9日木曜日

新司法試験合格発表

落合です。

本日は、新司法試験(第5回)の合格発表がありました。

合格者は2074人(男性1482人、女性592人)。

もともと今年をめどに3000人まで合格者数を増やす方針だった新司法試験ですが、第2回以降今回に至るまで2000人程度の横ばいが続いています。
この制度がこれからどこに向かっていくのかいまいち見えてきません。

何はともあれ、合格された皆さま、本当におめでとうございます。

 ひそやかな花園


 
 菅野美穂のオビに釣られてある作家の小説を読んだら、ちょっと紋切り型で宣伝臭がしたので途中で放り投げてしまいました。

 たまたまその後に読んだのが角田光代さんの「ひそやかな花園」。

 産科医療の技術的進歩と倫理(人の道)との相克という背景は同じながら、こちらはさすが「これぞ小説」という感じ。意識の背景に広がる氷山の下部のごとき無意識にもビンビン働きかけられ、多様なイメージが喚起、ハラハラ、ドキドキし、最後まで裏切られませんでした。

 角田さんがインスパイアされたかどうか知りませんが、これは私が大好きな「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ)のまるで姉妹編のよう。角田さんのほうが現実となめらかに地続きとなっていて受けとめやすい作品となっています。


 「この大根おろしには二つの運命があるわけだ」

 「おい、涼子、知らなかったな、この子が生まれてくるのは、こんなにも美しい場所だったのか。」

 ねえ、私、あの二人を守ったよ。きちんとできたよね?だいじょうぶだよね?あの子たちはもう、だいじょうぶだよね?

 「そっか。でも、また次がある。」

 
 主人公たちをつうじて角田さんが語りかけてくる言葉たちに励まされます。「この人の言っていることは、光太郎が私たちに伝えたかったことに違いない。すれ違うように知り合っただけの私たちに。」
 
 本歌であろう「秘密の花園」はそれこそ小学校時代に読んだきりで内容をまったく思い出せません。でも、「まるで、海に沈んだ花畑のよう」に意識下で作用したことでしょう。あらためて読んでみたいと思います。

                                               やま 

【B型肝炎訴訟-⑤】全国学生シンポジウム(仮)

落合です。

9月に入って涼しくなってきたので、俄然ブログ更新欲が高まっています。

さて、昨晩は以前も1度お話したB型肝炎訴訟の支援者の集まり“支援連絡会”がありました。
主に議題となったのは、来る10月17日(日)開催に向けて準備が進んでいる、全国のB型肝炎訴訟を支援する学生会による全国同時シンポジウムについてでした。

それにしても支援の学生の人たちを見ていると感心します。
自分が同じくらいの歳のころはもっぱらゲームをして遊んでいたような…。

シンポジウムの詳細については、またこの場を借りて告知させていただきたいと思います。

2010年9月7日火曜日

 好みは何と訊かれたら



 シオガマ(塩竃)が好きですね。
 そのわけは、見た目の美しさだけではありません。名まできれいだから。
 
 高山の花の名前は、シラネアオイ→白根山の葵、クロユリ→黒い百合、コマクサ→駒の形の草というように、ふつうはストレートにつけられています。
 これにたいしシオガマは、花はもちろん「葉まで美しい」姿から、→「浜で美しい」→「塩竃」という洒落に由来しているそうです。
 いつの時代の誰の命名によるものかは知りませんが、このような遊び心(心のゆとり)が大好きです。

 「浜で美しい」→「塩竃」という連想はわれわれには難しくなっています。
 でも、「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」の歌を詠み(百人一首)、源氏物語の光源氏のモデルとされる河原左大臣こと源融がみちのく塩釜の風景をモデルにして河原院の庭を造ったというエピソードに思いを馳せることはできます。

 厳しい山道で息も切れ切れのおりシオガマに出会えると、そのようなイメージが広がり気持ちが楽になったような気がします。
 
 どんな厳しい局面においても、遊び心を忘れず、葉まで美しい仕事ができればいいのですが。

                                               やま  

2010年9月6日月曜日

【コンビニ・フランチャイズ問題-②】対本部集団訴訟

落合です。

連続投稿です。

今日はB型肝炎訴訟の他に、コンビニ本部に対して集団で提訴している事件の裁判もありました。

この裁判は、昨年4名の原告で提訴したものですが、この度、2名の原告が追加提訴で加わり、2つの裁判の併合が認められて、今後は6名の原告で闘っていくことになりました。

このコンビニ・フランチャイズの問題もかなり根深いものがあります。
しかし、この問題はまだまだ市民の方々にあまり知られていません。

私自身、弁護団に加わるまではこの問題のことをあまり知りませんでしたし、加わった後も、問題の複雑さから理解するまでに時間がかかりました。

司法修習生の給費制やB型肝炎訴訟などと同様に、このコンビニ・フランチャイズの問題もまず世間の皆さまに知っていただくことが解決の第一歩だと思いますので今後の動向も報告していきたいと思います。

【B型肝炎訴訟-④】九州和解協議期日②

落合です。

今日は午後2時から全国B型肝炎訴訟九州訴訟の和解協議期日がありました。

全国10地裁で係争中の全国B型肝炎訴訟ですが、裁判所から和解勧告が出て和解協議が行われているのは、札幌地裁とここ福岡地裁の2箇所です。

今のところ同時進行で2つの和解協議が進められていますが、国は今回も具体的な補償金額を示さず、被害者の救済範囲を狭めよう、狭めようという方向で小出しに和解条件の提案をしてきています。

一部報道では、国が年内に解決をする意向を固めたなどというようなものもありましたが、実際の国の姿勢はそれと程遠いものがあると思います。

この裁判は人のいのちに係る裁判です。
国はもっと誠実にこの問題に向き合って欲しいと思います。

【刑事事件-③】第2回裁判員裁判に関する経験交流会

落合です。

先週土曜(4日)に、東京で日本弁護士連合会主催の『第2回裁判員裁判に関する経験交流会』が開かれましたので、私も参加してきました。

刑事事件、とりわけ裁判員裁判においては、検察官は「検察庁」という組織をあげて取り組んでいます。
裁判員裁判のノウハウは組織の中に自然と積み上げられていっています。

これに対し、弁護人はその事件、その事件ごとに選任されて行動することになりますし、弁護士は基本個人事業主なので、なかなか個々の経験した裁判員裁判のノウハウを共有化することができません。

そこで、弁護士もこれまでそれぞれの弁護人が得た裁判員裁判の経験を全体として共有し、検討する機会を持ち、より強力かつ的確な弁護をしていくための取り組みが「経験交流会」です。

日弁連主催のものは、全国から弁護士が集まる大掛かりなものですが、「経験交流会」自体は各県の弁護士会単位でも行われています。

裁判員裁判の弁護は、事前に準備すべきことが多く(制度上も裁判までかなりの時間を要する仕組みになっています。)、また、一般の市民の方々へのプレゼンテーション能力、共感を得るための創意工夫が必要となってくるため、なかなか大変だというのが率直な感想です。

「なんで悪い人を弁護するの?」と理解をされにくい刑事弁護の分野ですが、刑罰というのは使い方を誤れば最大の人権侵害です。
弁護士としては、冤罪を防ぎ、適正な量刑を実現するため、日々努力しなければならない分野でもあります。