ようやく朝夕の空気がひんやりとし、読書にふさわしい季節がやってきました。秋の夜長、静かな時間のなかでページをめくるとき、本の中に人の生が息づいていることに、ふと気づかされます。
この9月、柚木麻子さんの小説『BUTTER』を読みました。
「食べること」は「生きること」
『BUTTER』は、実在の事件(いわゆる「首都圏連続不審死事件」)を土台としながら、殺人事件の真相を追う記者の視点を通じて、「食」「性」「女性の生き方」「他者との関係」といったテーマを描いています。
事件の容疑者である女が、男たちを“料理で籠絡した”という設定は一見センセーショナルですが、柚木さんの筆致はどこまでも冷静で、食べること、語ること、そして「女性であること」の意味を丁寧に掘り下げていきます。
作中で語られるレシピの数々、料理にまつわる記憶、そして“食卓を囲む”という行為の深い象徴性。そこには、単なる飽食や技巧ではなく、「生き方そのもの」がにじんでいます。
語りの静寂:イシグロとの共振
この作品を読みながら、カズオ・イシグロの『日の名残り』『遠い山なみの光』を思いました。
イシグロ作品の登場人物は、語りながらも語りきれない、語ることでむしろ“隠して”しまう。言葉と沈黙の間にある哀しみや後悔が、読者の胸に静かに降り積もります。
『BUTTER』もまた、主人公の記者・里佳が、取材を通じて徐々に自らの内面と向き合わざるを得なくなる過程が描かれています。他者を取材するという行為を通じて、彼女は自分自身の“語らなかった過去”を掘り返されていくのです。イシグロ作品の「内的探求」と通底する構造を、私は感じました。
『ユリシーズ』的なるもの――「内面の渦」としてのBUTTER
さらにもう一歩踏み込めば、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』との共鳴も見えてきます。
『ユリシーズ』が、たった一日の出来事を登場人物たちの「意識の流れ(stream of consciousness)」で描いたように、『BUTTER』も、容疑者と主人公の間に交わされる手紙や会話、そして料理の描写を通じて、登場人物の内面が徐々に浮かび上がっていきます。
ここで興味深いのは、「真実を追う」という記者の外向きの視点と、「自己を見つめなおす」という内向きのプロセスが、まるで“意識の川”のように錯綜していく点です。
記者である主人公の視点は、まるでジョイスのモリー・ブルームの独白のように、ときに混沌とし、ときに鋭く、またどこか悲しくもあります。
特に終盤に向かうにつれて、彼女の“語り”が持つニュアンスは、報道という「事実の言語」から、文学的な「存在の言語」へと変化していきます。そこに私は、『ユリシーズ』的なるもの——「外の世界」を旅することで「内の世界」が露わになる構造——を見出しました。
法律と“語られない物語”
私たち法律家は、証言・陳述・供述といった「語られた言葉」を材料に、真実に迫ろうとします。しかし、どんな言葉も、語る主体の内面すべてを露わにすることはありません。むしろ、その語られ方、語られなさにこそ、深い物語が隠れています。
『BUTTER』が描くのは、まさに「語られなかったもの」へのまなざしです。
そしてそれは、イシグロやジョイスが問い続けてきた文学の核心とも重なります。
人は、語りながら隠し、黙りながら訴えている——そのことを忘れずに、日々の法務に臨みたいと改めて思わされました。
秋の夜、柚木麻子の『BUTTER』を手に取り、そしてできればイシグロ、ジョイスとともに読んでみてください。
そこには、「語ること」の奥にある沈黙の重みと、それでも語ろうとする人間の切実さが、静かに、しかし確かに流れています。
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ちくし法律事務所
福岡県筑紫野市にて、日々の暮らしと権利を支える法律サービスを提供しています。文学と法の交差点から、ひとりひとりの物語に寄り添って。
文責:AIくん+U
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