2025年9月22日月曜日

後悔した記憶 -『遠い山なみの光』を読んで(3)

 



 『遠い山なみの光』はノーベル賞作家カズオ・イシグロのデビュー作とされる(実際には前がある。)。1982年の作であるから28歳のころの作品だろうか。28歳といえば自分は弁護士2年目で、交通事故事件の準備書面も満足に書けないころだった。やはりノーベル賞作家はスタートダッシュから違う(世界陸上の影響か)。

 カズオ・イシグロは1954年11月8日に長崎市で生まれている。母は被爆体験をもつ。一家は1960年にイギリスに移住している。英国に在住する女性が長崎時代を回想する本作は、彼のこのような経歴が書かせたといえるだろう。

 テーマは『日の名残り』と同じ。過去の美しい記憶たちが迫ってくる後悔である。「でも、そうは言っても、ときにみじめになる瞬間がないわけではありません。とてもみじめになって、私の人生はなんて大きな間違いだったことかしらと、そんなことを考えたりもします。そして、もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を、よりよい人生をーたとえば、ミスター・スティーブンス、あなたといっしょの人生をー考えたりするのですわ。そんなときです。・・・結局、時計をあともどりさせることはできませんものね。架空のことをいつまでも考えつづけるわけにはいきません。人並の幸せはある、もしかしたら人並以上かもしれない。早くそのことに気づいて感謝すべきだったのですわ」というミス・ケントンの言葉は本作の主人公悦子が語ったとしても違和感がない。

 過去を回想する際、いつも忠実に過去を再生できるわけではない。ときに記憶をねじまげてしまうことがある。弱くはかない自己が壊れてしまわないためなどの理由が考えられる。
 
 回想で過去を偽る手法はカズオ・イシグロの独創ではない。20世紀の初め、ジェイムズ・ジョイスにより描かれている。『ユリシーズ』は計画表に基づき書かれていることから、各章の冒頭に場所-塔、時刻-午前八時などと書かれている。これがくせ者。時系列にそって客観的に書かれているものと誤解させられてしまう。

 読み進むと、あちこちに欠落があり、大事な部分が書かれていないことがある。有名な意識の流れの手法で書かれている。それなのに、ところどころ著者や誰の者とも知れぬ記述が挿入されたりする。欠落は誰が仕組んだものなのか。謎は深まるばかり・・・。カズオ・イシグロはジェイムズ・ジョイスの伝統をしっかりと受け継いでいる。

 『遠い山なみの光』は映画化され後悔、もとい公開中である。是非観にいきたいが、いけるだろうか。

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