2025年9月17日水曜日

葛の花と『日の名残り』

 

 いまの時期、四王寺山に登ればあちこちに咲いていて、また、たくさんの落花が道を赤紫にそめている。残暑厳しきみぎり、旺盛な繁殖力である。

 クズの花。葛湯とか、葛もちとかの葛(クズ)である。根は風邪のひきはじめにお世話になる葛根湯にもなる。万葉の昔から秋の七草として歌われている。

 萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花  山上憶良

 しかしいまや葛湯や葛もちの原料は、安価なコーンスターチにとって替わられていて、採集に手間を要する葛は使われていないそうである。

 そうなると、クズの旺盛な繁殖力は人間にとって邪魔な存在になってしまっている。外国にまで伝播し、特定外来種として駆除の対象となっているという。クズは万葉の昔からなんら変わらず、人間の側の都合が変化しただけである。

 先日、映画「日の名残り」を鑑賞した話は書いた。その後、小説のほうも数十年ぶりに読んでみた。以前読んだときの感覚は一切よみがえらなかったものの、映画が原則にほぼ忠実に作られていたことは分かった。

 主人公の執事スティーブンスはほぼ変わらない、変化することが難しい人間である。他方で、時代は第二次世界大戦を経て大きく変化した。そうしたなか、執事として一世を風靡したスティーブンスは時代に取り残されてしまう。むしろ、時代に裏切られてしまう。

 心に沁みた(いまふうに言えば、心に刺さった)部分を引用してみよう(『日の名残り』カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 早川文庫) 。

 ・・・開いた各寝室の戸口から、夕焼けの最後の光がオレンジ色の束になって廊下へ流れ出している様は、いまでも鮮やかに思い出すことができます。

 芝生はもう大部分ポプラの影でおおわれていましたが、あずまやに向かう上り坂になった片隅だけは、まだ日に照らされていました。

 父はまだ両手を見つづけていました。そして、ゆっくりと言いました。「わしはよい父親だったろうか?そうだったらいいが・・・」私はちょっと笑いました。「父さんの気分がよくなって、何よりです」「わしはお前を誇りに思う。よい息子だ。お前にとっても、わしがよい父親だったならいいが・・・。そうではなかったようだ。」

 ・・・私どもの世代とそれ以前の執事との間に見られる、根本的な価値観の違いを浮彫りにすることになりましょう。・・・私は、私どもの世代のほうがずっと理想主義的であると申し上げたいのです。・・・私どもは雇い主の徳の高さを重視する傾向があると存じます。・・・できるものなら人類の進歩に寄与しておられる紳士にお仕えしたい・・・

 しかし、いつまでもこんな憶測をつづけていて何になるのでしょう。あのとき、もしああでなかったら、結果はどうなっていただろう・・・。そんなことはいくら考えても切りがありますまい。・・・「転機」とは、たしかにあるのかもしれません。しかし、振り返ってみて初めて、それとわかるもののようでもあります。いま思い返してみれば、あの瞬間もこの瞬間も、たしかに人生を決定づける重大な一瞬だったように見えます。しかし、当時はそんなこととはつゆ思わなかったのです。・・・私にはそれを訂正していける無限の機会があるような気がしておりました。・・・

 ・・・そうですわ、ミスター・スティーブンス。私は夫を愛せるほどに成長したのだと思います」ミス・ケントンはしばらく黙り込みました。そして、こうつづけました。「でも、そうは言っても、ときにみじめになる瞬間がないわけではありません。とてもみじめになって、私の人生はなんて大きな間違いだったことかしらと、そんなことを考えたりもします。そして、もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を、よりよい人生をーたとえば、ミスター・スティーブンス、あなたといっしょの人生をー考えたりするのですわ。そんなときです。・・・結局、時計をあともどりさせることはできませんものね。架空のことをいつまでも考えつづけるわけにはいきません。人並の幸せはある、もしかしたら人並以上かもしれない。早くそのことに気づいて感謝すべきだったのですわ」

 海上の空がようやく薄い赤色に変わったばかりで、日の光はまだ十分に残っております。・・・夕方こそ一日でいちばんいい時間だ・・・

 いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。・・・必ずしももう若いとは言えんが、それでも前も向きつづけなくちゃいかん・・・人生、楽しまなくっちゃ。夕方がいちばんいい時間なんだ。

 あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれないーそう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えて十分な理由となりましょう。

 人々が、どうしてこれほどすみやかに人間的温かさで結ばれうるのか、私にはじつに不思議なことのように思われます。・・・人間どうしを温かさで結び付ける鍵がジョークの中にあるとするなら、これは決して愚かしい行為とは言えますまい。


 













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