2024年8月5日月曜日

虎に翼(7)-統一教会返金を求めない念書無効判決

 

 「虎に翼」では、家庭裁判所の創設期の輝かしい理念や先人たちの熱意や努力が描かれた。われわれも、先輩たちから断片的にうかがってきたことであるが、ドラマとして描かれたことで実によく理解することができた。

ドラマで描かれた家庭裁判所の創設期の輝かしい理念がいまも忠実に受け継がれているかといえば、残念ながら、疑問である。

そもそも近年まで、家庭裁判所の建物は地方裁判所のそれとは別であった。地方裁判所が福岡城跡のいかめしい堀のなかにあったのに対し、家庭裁判所は通りに面していた。桜の時期には美しい情景を望むことができた。

しかし、いまは福岡高等裁判所や地方裁判所と同じビルの1画に押し込められている。入口ではものものしくセキュリティチェックが行われているし、廊下は暗い。

家庭裁判所では、ドラマでも描かれたように、離婚や遺産分割などの調停や審判をおこなう家事事件と少年非行に対する処遇を決する少年事件の2つが取り扱われている。民主化か官僚化かという対立軸でみて、より大きな変容を被ったのは後者だろう。

創設期、成人の犯罪に対し、少年の非行は、可塑性、教育可能性が重視すべきとされた。教育学部や心理学部をでた調査官による調査が尊重すべきとされた。刑務所における処罰とは異なる教育的な試験観察等による社会内処遇が選択すべきとされた。

戦後の少年事件はトレンドでいえば落ち着いてきたといえる。しかし、少年による重大事件が発生するたびに、少年事件の凶悪化と重罰の必要性がセンセーショナルに報道された。

これに呼応して少年法の解釈や法が改正され、審判は形骸化し、重罰化が選択されるようになった。世論の批判を浴びて現場が変容したというより、最高裁事務総局による上からの指導が大きかったと思われる。

「虎に翼」をみて、発足期の理念に思いをいたし、失われたものの大きさを実感した法曹は少なくないのではなからろうか。

ところで、先の旧優生保護法違憲判決後に、最高裁では、統一教会に対する違法献金の返金を求めない旨の念書が無効であるとの判断が示された。除斥の適用を制限するというのも思い切った判断だったが、念書を無効とするのも思い切った判断である。下級審はかかる念書を有効であると判断していたのであるから。

このような最高裁の状況をみて、最高裁判事たちも「虎に翼」をみているせいだという説がささやかれるようになった。今年四月にはじまったドラマの影響がもう現れることは時系列としてはありえない。7月初めの判決の結論は、どんなに遅くとも4月初めころには固まったいたはずであるから。

しかし、今後のことをいえば、「虎に翼」効果を期待せずにはいられない。最高裁判事は、スーパーじいちゃん、スーパーばあちゃんの集まりである。NHKの朝ドラを見ているヒマなどないのかもしれない。しかしこれから最高裁判事になる世代や、孫と会話するスーパーたちもいるのではないかと夢想するのである。

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