2026年2月16日月曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(3)


 『山姥』といえば、本家はやはり謡曲。能・演目事典によるあらすじはこう。 

 都に、山姥の山廻りの曲舞をつくってうまく演じたことから、百ま山姥(百萬山姥または百魔山姥とも)という異名を取って、人気を博していた遊女がいました。ある時、遊女は善光寺参詣を志し、従者とともに信濃国を目指して旅に出ます。その途中で、越中・越後の国境にある境川に至り、そこから上路山を徒歩で越えようとしますが、急に日が暮れてしまいます。一同が困り果てているところに、やや年嵩の女が現れて、一夜の宿を貸そうと申し出て来ました。庵に一同を案内した女は真の山姥であることを明かし、自分を題材にして遊女が名声を得た山姥の曲舞を一節謡ってほしい、日を暮れさせて庵に連れてきたのもそのためだと訴えます。遊女が恐ろしくなって謡おうとすると、女は押し止め、今宵の月の上がった夜半に謡ってくれるなら、真の姿を現して舞おうと告げて、消えてしまいます。

 夜更けになって遊女らが舞曲を奏でつつ待っていると、山姥が異形の姿を現します。深山幽谷に日々を送る山姥の境涯を語り、仏法の深淵な哲理を説き、さらに真の山廻りの様子を表して舞ううちに、山姥の姿はいずこかへ消え、見えなくなりました。


 この謡曲からインスパイアされて坂東眞砂子が『山姥』を書いたことは疑いないように思える。もう一度、新潮文庫のブックカバー裏の紹介文を引用しよう。

 「明治末期、文明開化の波も遠い越後の山里。小正月と山神への奉納芝居の準備で活気づく村に、東京から旅芸人が招かれる。不毛の肉体を持て余す美貌の役者・凉之助と、雪に閉ざされた村の暮らしに倦いている地主の嫁・てる。二人の密通が序曲となり、悲劇の幕が開いたー人間の業が生みだす壮絶な運命を未曾有の濃密さで描き、伝奇小説の枠を破った直木賞受賞作。」

 こうしてみると、両作品は越後の山中という舞台、都からやってきた旅芸人2人のワキ、そしてシテが山姥ということなどの道具立てを共有している。『山姥』が謡曲に基づき書かれたといっても間違いではないように思える。

 さらに、謡曲の山姥は、妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といった禅の思想(先のあらすじによれば、仏法の深淵な哲理)を説く。ここらあたりの主題も坂東眞砂子の『山姥』は取り込んでいるようである。

 もちろん板東版『山姥』だけでも十分に楽しめる。が、「本歌」のほうも知っていると、作品により深みが増すようである。

 山姥に襲われるという言説は、一般人をして山に入るのを躊躇させたであろう。子どもに夜出歩くと鬼がでるぞと注意するようなものである。熊に襲われるというのも怖いが、山姥に襲われるというのはもっと怖い。

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