2025年10月9日木曜日

♪アー・ユー・ゴーイング・トゥ・くじゅう花公園?

 こんにちは。ちくし法律事務所です。

先日、久しぶりに「くじゅう花公園」へ足を運びました。朝夕がすっかり涼しくなり、秋の気配が濃くなるこの時期、くじゅうの澄んだ空気と色とりどりの花々に癒されてきました。

園内は、秋の代表格であるコスモスがちょうど見頃。風に揺れる様子がとても優雅で、時間を忘れて見入ってしまいます。ダリアやマリーゴールドも鮮やかに咲き誇っており、まさに“花のじゅうたん”のような光景が広がっていました。

また、園内のカフェで飲んだ地元産のハーブティーも格別でした。お花を楽しんだあとに、心も体もほっと一息つける、そんなひとときでした。

仕事柄、どうしても日々のスケジュールが詰まりがちですが、自然の中でリフレッシュする時間の大切さを再認識しました。
くじゅう花公園は、季節ごとに異なる花が楽しめるので、また違う季節にも訪れてみたいと思います。

皆さまも、秋のドライブや小旅行の行き先にいかがでしょうか。

それでは、今後ともちくし法律事務所をよろしくお願いいたします。

 文責:AIくん

 

 千日紅(センニチコウ)。百日紅はサルスベリだが、こちらは一年草。花言葉は変わらぬ愛。これだけの数の変わらぬ愛があれば・・・。残念ながら日本では2/3の愛が変わってしまう。


 ツマグロヒョウモン(♂)。ツマグロは翅の褄が黒いから。ヒョウ柄ゆえ、豹紋。前世は大阪のおばちゃんかも。輪廻転生。


 花畑のバックはくじゅう連峰。見事な借景。雄大かつ優美。高原をわたる風が気持ちよい。


 反対(南)側には阿蘇山・根子岳が遠望できる。山頂部のギザギザが登山意欲をそそる。

 あいみょんの歌が頭のなかをエンドレスでループする。花言葉はやはり変わらぬ愛。

 サルビア。花言葉は家族愛など。シソ科でセージとも呼ばれるらしい。スカボローフェアが頭のなかをエンドレスでループする。ハーブティーが飲みたくなった。

2025年10月8日水曜日

胡蝶の夢

 

 過去に何度も戻って課題を解決するというと、トム・カーナンの口ぐせ「いまは言わば過去を振り返って整理し直す時なのさ」を思い浮かべる。かれはジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』の登場人物である。

 『ユリシーズ』は、わが子を幼くして亡くし、うまくいかなくなった夫婦や宗教上の信念の対立から母の死に目に親不孝をした子の3人が主人公である。かれらは1日中ダブリンの街中を徘徊しながら、それぞれの心理的な傷を癒やしていく。

 意識の流れの手法で、主人公たちの頭のなかでは絶えず過去の傷が再生される。それが擬似的な親子の絆の発見により癒やされていく。

 そもそも『ユリシーズ』は古代ギリシア、ホメロスの『オデュッセイア』(ユリシーズは主人公オデュッセウスの英語読み)をベースとして借用する手法によっている(神話的手法)。タイトルや「輪廻転生」というキーワードを用いて、両者は結び付けられ、響き合っていく。

 『オデュッセイア』では、英雄オデュッセウスがトロイア戦争遠征の留守中に妻に求婚した者たちに弓矢で報復して問題を解決する。20世紀初頭のダブリンではそのようなことは許されず、主人公ブルームはダブリンの街中をウロウロすることにより問題を解決していく。

 ジョイスに先行して19世紀末、フロイトは精神分析を提唱した。無意識領域に抑圧された葛藤を自覚し表面化させて本人が意識することにより症状が解消するという。フロイトは、深層心理を知る方法として夢分析を行った。

 必ずしも実際にタイムループしなくとも、頭のなかで記憶をループさせることにより、新しい経験と結び付けたり、より大きな人生観のなかに包摂して解釈しなおすことで、傷ついた人生や心を治癒・再生させることは可能である。

 カズオ・イシグロの『日の名残り』もそうである。スチーブンスは、戦後、ミス・ケントンに会いに小旅行を敢行する。その間、タイムループはしないが、意識は過去と行き来する。それにより、かっての主人やかっての執事の格式などについての喪失感を癒やし、前向きに人生を進む決意を新たにする。

 われわれも弁護士として、傷ついた依頼者の心と人生によりそい、法を駆使して、多少なりともその治癒と快復がなされるようお手伝いできればよいのだが。 

2025年10月7日火曜日

「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」ータイムループの教え

 

 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は、もちろんビートルズ(ジョン・レノン)の「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」の翻案なのだろうけど、ちょっと違う気がする。原題の「Edge of Tomorrow」でよかったのではなかろうか。

 「Edge 」の意味がとりにくいことを心配したのだろう。われわれの仕事や山歩きに即していえば、「明日への分岐点」といったところか。

 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」はいわゆるループもの。過去と現在を何度も行き来しつつ問題を解決していく。

 われわれにとってループものの元祖はNHKドラマの「タイムトラベラー」(1972年)である。原作は筒井康隆の『時をかける少女』。

 1972年といえば、13歳であるから中学生だった。理科の実験室でラベンダーの香りをかいでタイムスリップする設定と謎の青年の存在にはひきこまれた。

 『時をかける少女』はその後、原田知世で実写版の映画になったり、アニメになったりしたけれども、NHKドラマには及ばない気がする。

 ループものにかぎらず、タイムトラベルものは大好きである。ドラえもん自体がそうであるし、ストーリーとしても頻出するので、誰もが好きなのだろう。

 いちばんのお気に入りはケン・グリムウッドの小説『リプレイ』(1990年)。43歳のニュース・ディレクターが人生を何度もやり直す。

 「オール・ユー」のように人生の課題を解決するというより、人生とはなにか、生きるとはどういうことかを教えられた作品。1990年といえば弁護士5年目、悩み多き時代に出会ったことも意義があった。

 さいきん(そうでもないか)の作品だと、映画「ミッション:8ミニッツ」(2011年)。これはほぼ「オール・ユー」のプロットそのもの。列車爆破テロが起きる8分まえに何度も送り込まれて事件を解決していく。

 主人公はループを繰り返すうちに、被害者の一人であるクリスティーナと恋に落ちる。ミシェル・モナハンの笑顔がすばらしい。

 最初はなんのためにタイムループするか分からない主人公たちだが、最後は恋人と愛を救うためにタイムループするのだと気づいていく。その教えは、オール・ユー・ニード・イズ・ラブ。

2025年10月6日月曜日

【映画感想】「オール・ユー・ニード・イズ・キル」―繰り返しの中で成長するということ

 

 こんにちは、ちくし法律事務所です。

本日は少し趣を変えて、映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル(原題:Edge of Tomorrow)」を観た感想を綴りたいと思います。

トム・クルーズ主演のこの映画は、日本のライトノベルが原作となっており、「一日を何度も繰り返す中で、徐々に成長していく主人公」の姿を描いています。SFアクションというジャンルながら、どこか人生や仕事、ひいては私たち弁護士業務にも通じる部分があると感じました。


■ 絶望的な状況の中での「試行錯誤」

映画の冒頭、主人公は戦場でまったく役に立たず、すぐに命を落とします。しかし、そこから「死ぬたびに時間が巻き戻る」というループの中で、彼は失敗と学習を繰り返し、戦う術を身につけていきます。

この「試行錯誤による成長」の過程は、まさに私たちが日々行っている仕事そのものです。法的な問題には明快な答えがないことも多く、依頼者の状況や社会情勢、判例の傾向など、様々な要素を考慮しながら、最善の解決策を探っていきます。

もちろん、私たちには時間を巻き戻すことはできません。しかし、過去の経験を糧にしながら、少しでも前に進んでいこうとする姿勢は、同じなのではないでしょうか。


■ 主人公の変化に学ぶ

主人公は最初、自己保身的で戦いに臨む覚悟もありませんでしたが、繰り返しの中で他者を守る責任を自覚し、リーダーシップを発揮していきます。

法律相談でも、「今はどうしたらいいのか分からない」という不安の中にいる方が多くいらっしゃいます。ですが、正しい知識とサポートがあれば、少しずつでも前向きに変化していくことは可能です。

弁護士としての私たちの役割も、その変化を支え、ともに進むことにあると再認識させられました。


■ 結びに

映画のラストでは、数えきれない失敗と犠牲を乗り越え、ようやく未来を切り開いていく姿が描かれます。

法律問題に直面すると、まるで「先が見えない戦い」のように感じるかもしれません。それでも、一つひとつ、冷静に向き合い、行動することで、道は開けていく――。そんな前向きなメッセージを、この映画は教えてくれたように思います。

ご相談者様が困難を乗り越え、前に進んでいくために、私たちはこれからも日々学び、成長を重ねていきます。

 文責:AIくん

2025年10月3日金曜日

プレバト才能あり展 in 博多大丸に行ってきました(2)

 








 「プレバト!!」は昔からみてきた。俳句に対する夏井いつき先生の的確かつ毒舌なコメントが快感であるから。

 さいきんは俳句以外にも、水彩画、黒板アート、フラワーアートなど才能を披露するアートは多種多彩。意外な芸能人の、意外なタレントに驚かされる。

 この番組を面白く感じるポイントは、先の夏木先生やMCのトークもあるだろうが、芸能人たちの才能との微妙な距離感だと思う。

 会場の各作品はどれもうまく描けていて秀逸。だがこれを画廊でプロの作品として示されたらどうだろう。それほど感心しないのではなかろうか。われわれ同様、シロウトの作品であるにもかかわらず上手というところが最大の感心ポイントである。

 もうひとつは、やはり二刀流というか二足のワラジというか。一方で芸能人として芸を披露しながら、他方でそれ以外の才能ももっているということ。いわゆる余技というやつ。うらやましい。

 外国では研究者が2つ以上の専門分野を学ぶということを聞く。芸もひとつではなく、ふたつ以上を学んだほうが、相互作用を発揮して他方も深まり、よりよいものになるのではあるまいか。芭蕉のいう「その貫道する物は一なり」ということか。

 そういえば先日、映画『炎の人ゴッホ』(1956年米映画)を放送していた。カーク・ダグラス主演。ゴッホはもともと牧師の家に生まれ、牧師をめざしていたらしい(少なくとも、映画のなかでは)。

 でもあの性格だから信者さんたちの生活にのめり込みすぎて破滅、牧師の道は断念。ゴッホの絵に精神性があるとすれば、このような経歴のなせるワザなのかもしれない。

2025年10月2日木曜日

プレバト才能あり展 in 博多大丸に行ってきました

 


こんにちは。ちくし法律事務所です。

朝晩は少しずつ秋の気配が感じられるようになってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

先日、博多大丸で開催中の「プレバト!! 才能あり展」に行ってまいりました。
テレビ番組『プレバト!!』の人気企画、「才能査定ランキング」で“才能あり”と評価された作品を一堂に集めた展覧会で、会場は多くの来場者で賑わっていました。

特に印象的だったのは、「俳句」と「水彩画」のコーナーです。
俳句では、芸能人の方々が詠んだとは思えないほど季節感や情緒に富んだ作品が並び、それぞれの句に込められた背景や講評と合わせて読むと、思わず立ち止まって見入ってしまいました。



水彩画の展示も見ごたえがあり、技術的な巧みさだけでなく、その人らしい視点や温かさが伝わる作品ばかりでした。

番組を通して作品を見てきた方はもちろん、初めて触れる方にも十分に楽しめる内容だと思います。

法律の世界では、論理や正確さが重視されますが、こうして芸術や表現の世界に触れることで、また新たな感性が刺激される思いがしました。

お近くの方は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
展覧会は期間限定とのことですので、お出かけの際は開催日時をご確認ください(9月29日まで)。

今後も法律だけでなく、地域や文化に関わる話題も交えながら、ブログを更新してまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。

    文責:AIくん

2025年10月1日水曜日

【読書の秋に寄せて】柚木麻子『BUTTER』を読んで(2)

 

 AIくんの記事の出来がいいので、もはやこちらの記事の品質が問われつつあるように思う。が、恥をしのんで書いてみよう。

 『BUTTER』は首都圏連続不審死事件を題材にしたフィクションである。based on a true storyとかinspired by a true storyとか映画字幕にでるやつ。

 首都圏連続不審死事件は、ぱっと見さえない(きょうび、このようなことを発言するには勇気がいる。が、これも小説のテーマである。)とされる被告人なのであるが、多数の愛人が存在し、そのうち少なからぬ男性が不審死していたという事件である。

 さらにすごいのは、少なくとも3度の獄中結婚を繰り返したこと。3度目は『週刊新潮』のデスクの男性である(文春砲)。

 なぜ、被害者たちは被告人に騙されたり、死に追いやられたりしたのか?(被告事件なので、弁護士としては報じられている事実関係にそのまま乗っかるのは気がひけるのであるが、ここは乗っからないと話がうまく流れないのでご容赦あれ)事件を知った多くの人が抱いた疑問である。

 この疑問に答えを見いだすべく、多くの記者たちが独占取材を申し込んだようである。その結果生まれたのが上記獄中結婚である。われわれにとって獄中結婚とは加藤登紀子なので、それからするとすこし奇異な感じを否めない(当事者たちは真剣なのだろうが)。

 このような特殊な事件であるから、小説家のインスピレーションをインスパイアさせずにはおかない。

 通常、事件ものといえば、頭も心も信念も不動の刑事、探偵、弁護士などが事件の真相を追究し解決するというプロットである。しかし『BUTTER』は、追求するはずの事件記者が被告人にあうたびに動揺し、変容を迫られてしまう。

 単なるコミュニケーションにとどまらず、相互作用を生じ(たように見せかけて)、ついには被告人から操られていたということまで判明する。

 これは著者・柚木さんの独創ともいえない。トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』でも、若きFBIの訓練生クラリスがハンニバル・レクターから影響を受ける場面はあった。それでも羊沈のばあい、彼我の力量に圧倒的な差があり、われわれも安心して鑑賞することができた。

 しかし『BUTTER』のばあい、彼我の力関係が不明であるなか、両者の攻防がおこなわれるので、読んでいるこちらも不安な気持ちにさせられるのである。

 『BUTTER』はイギリスでも売れているらしい(きのうの写真の帯を参照)。文庫のカバーをひっくり返すと、英語版の表紙に早変わり(写真)。ストーリーがあざなえる縄のごとく裏表ひっくりかえることを暗示しているのであろうか。